新石器時代に入ると、人類は農耕技術を発明し、定住生活をするようになりました。農業の発展により、古代エジプトでは麻、中国・インドの綿を紡ぐ技術すなわち紡績産業技術が発展し、古代エジプトの壁画には、織機を手で上下させ、簡単な棒を差し込み分けながら指を上手に使う様子が描かれています。テントが織機によって生産されるのはまだ何世紀も後のことであるが、農業の発展がテントの進歩に関係したのは間違いありません。
ラップランド・ラップ人のテント、モンゴルのユルタ(ゲル)、北アフリカからイラクにわたるベドウィンのテント、そして北アメリカ・インディアンテント等、素材は獣皮から山羊の毛で覆った布や麻に変化したケースもありますが、民族や地域によって、独特の住居(テント)が作られ現在でも遊牧民に伝承されているのです。
ポンペイの壁画
円形劇場推定図
現在でも残っているキャノピー(天蓋型の日除け)という言葉は、ラテン語の“カナピウム”(蚊を追い払う網のついたベット)から来ています。
テントの語源はラテン語の“テントリューム”すなわちミリタリーテント(軍需用テント)から出ています。イタリア語のこの意味は日の光を避ける、目隠しをする、住居のインテリアまたはアウトドアの一部として使用する生地の総称としています。
人類の歴史は、たえず起こる戦争の歴史と背中合わせでした。当時の人々は、常に死と隣り合わせで戦地に出た人々にとって心の安まる場所はありませんでした。その戦地における住居は、移動が可能なテントでありましたが、軍人にとってこのテントの中だけが心の安まる空間であったに違いありません。
同世紀にフランスでは、ルイ十五世が権力を握っていました。フランス語で侯爵夫人のことを“Marquise”(マルキーズ)といいますが、ルイ十五世の溺愛したポンピドゥ侯爵夫人のファッションは当時評判となり、ファッション業界に少なからず影響を与えました。
現在、“Marquise”(マルキーズ)という言語は侯爵夫人の意味の他に、建物入り口のひさし、日除けテントと同じ用途の瓦やガラス板でできている固定式テントの意味を持っていますが、当時は、この侯爵夫人のファッションと引っかけエレガントのシンボルとして建物や店舗を華やかにする多色づかいのストライプ柄のテントのことを指し、“Marquise”(マルキーズ)と総称したのです。現在ではマルキーズという言葉はイタリア、ドイツでもオーニングのことを総称していますし、英語でも太陽を覆うという意味に使われています。