洗馬焼

洗馬焼の歴史

江戸時代末期から塩尻市本洗馬で、土地の人びとの暮らしのための陶雑器が上条窯、山崎窯、信斉窯等で盛んに焼かれていました。
明治初期には大量に作陶され、遠く東海、関東、北陸方面にも出荷されていたことが長野県町村誌(明治9年)に記されています。しかし、中央線の開通により安価な瀬戸物が長野県にも入るようになると洗馬焼の窯の煙はしばらく途絶えてしまいました。
昭和に入り、志を同じにする者がつどい洗馬焼振興会を結成し洗馬焼は再び作られるようになりました。

技法紹介

土の掘り出し

塩尻市の本洗馬の山から土を掘り出して来ます。

原土の乾燥とふるい

原土を水に浸して、ふるいにかけます。洗馬の土は砂分が多いので細かい目のふるいを使います。また、洗馬の土を単味のままでは使いにくい点もあり、耐火度の高い土を、30%くらい加えたりします。

土練

土練機で、三度くらい練ります。練りあげた土をビニールなどに包み、一年くらい寝かせます。

作陶

ロクロにて作陶に入ります。

乾燥

出来上がった作品を乾燥させます。

素焼き

窯に作品を入れて、750度で素焼きをします。

本焼き

素焼きした作品は釉薬をかけて、1,230度までに達するまで、15時間から20時間焼成します。

作品

洗馬焼

2015/07/23