第1部「2002年長野県経済を振り返る」

依然厳しい長野県経済
京谷教授 談義を深めていくための手がかりとして、まず長野県経済の全体的な動向、また昨今非常に重要なテーマである海外進出、特に中国が焦点となっていますが、そうしたことを簡単にお話ししたいと思います。
 まず最初に長野県の経済の全体動向ですが、長野県商工部の7月の景気動向調査結果を見ますと、業況、生産量、収益率等において、前年同期と比べ、回復の兆しが見られます。しかし7月の前後3ヶ月の動向を見通すと、昨年から続いてきた回復傾向が若干後退する兆しが見えています。これは、鉱工業指数あるいは、中小企業の受注動向を見ても、似たような動向が見られます。やや受注量は増えていますが、受注単価は下がる傾向が続いています。
 概して、いまだに厳しい状況であることには変わりがないという結論になります。国内・海外で分けて見ますと、国内向けは概して冷え込んでおります。自動車、OA工作機、精密電気、携帯電話などの一部を除きまして、国内向けの生産・製造品出荷額の動向は低調です。これに対して、海外向けは好調です。ヨーロッパ、北米、特にアジア向けが好調です。これはもう当たり前のことですが、1985年のプラザ合意以降、わが国は円高基調のもとで経営せざるを得ない状況に転換したわけです。その時点から日本企業は、海外での事業展開に積極的に向かい、グローバル経営戦略を推進してきたわけです。

海外進出は第3次ブームに。
京谷 特に1990年代には、中国への生産拠点の移転が拡大しました。この中国への移転傾向は、2001年12月、中国がWTOに加盟が決定した前後からさらにもう一段加速しています。
 1980年代は中国進出の第1次ブーム、そして90年代にその進出が拡大し、現在は第3次ブームという状況です。
 しかし当初とは様相を異にしてきていることも明らかです。すなわち、従来は低付加価値性、大量生産性、労働集約性の部門が中国へ移転される一方で、高付加価値部門、開発設計などは国内に集中されてきたのですが、このグローバル分業体制が今崩れつつあります。
 県が行った海外進出企業の状況調査によりますと、開発設計から量産まで全ての生産工程の海外シフトという選択肢が拡大しています。これはなぜかと言いますと、中国への進出はもはやただ単に低賃金労働力を求めて、生産コストを下げるという目的だけではありません。中国の市場を目的として、中国でどれだけ物を売るかを前提とした進出になっているということです。携帯電話しかり、コンピュータしかり、家電しかり、車もそうなっていくでしょう。そうしますと、中国企業はもとより、同様に進出しているヨーロッパやアメリカ、あるいは台湾、韓国の企業とも競争しなくてはいけない。従来の分業体制では、競争力を維持できなくなってしまうのです。従って、川上の分野の業務もシフトせざるを得ないというのが、現在進行している局面です。
 私は2001年11月にゼミの学生を連れて上海に赴き、長野県からの進出企業を調査しましたが、多くの日本人マネージャーの方の認識もそうです。中国各地の事業所の連携を深めるとともに、現地での管理機能やマーケティング機能を強化し、意志決定レベルを一段と高めています。「そうせざるを得ない」という訳です。
 2001年10月に三和銀行が発表した報告では、「人・物・金の現地化のレベルが日本企業の国際競争力を左右する」状況に至っているとまで指摘しています。
 すなわち、日本から部品や資財を調達しなくても、現地にある日系企業なり、あるいは現地で育てた企業なり、あるいはASEAN諸国から調達することができ、コスト的にも安い。ASEAN内部で完結するロジスティックスが築かれてきているのです。こうなりますと、すでにその輪に入った進出企業はいいですが、国内だけで頑張っている企業は蚊帳の外に置かれてしまう。そうした動向と、現在なお進行している長野県経済全体の低調傾向は、密接に結びついているということです。
 こうした前提に立って、実際に企業経営に携わるお立場から、この1年ないし近年においてどのような動きがあり、またどのような課題が生じているのかについて、お話をいただきたいと思います。
 まさにその渦中にいらっしゃる牛山会長さんはいかがでしょう。

中国での製品開発-生産体制にも着手。
牛山会長 私どもは、プリント配線板と電源アダプターという2つの事業を主体に取り組んでおります。このうちプリント配線板が全体の約六割、さらにその内の九割程は海外のお客様の仕事です。
 プリント配線板は、エレクトロニクス機器においては不可欠の基幹部品であるわけですが、業界動向はまさに京谷先生のお話の通りで、ことに2001年は大変でした。世界全体で、3割から5割程度も受注率が落ちました。惨憺たるものでしたが、今期に入ってからは、携帯電話やデジタルカメラ、あるいはスマートメディアなどのメモリカード、こういったものが比較的動いております。また医療機器関係などの専門分野向けのものが活発になりまして、量的には随分増えてまいりました。ただ、非常に値段が安いものですから、経営という面では依然厳しい環境にあります。
 ここに今日、見本を持ってきたのですが、こういうたいへん小さな基板に半導体が搭載されて機能を果たすわけです。完成品メーカーはどんどん海外に生産拠点を移しているわけですが、こうした高密度な基板は海外ではまず真似ができない。それで私どものところへ発注が来る。お客様の九割方は海外ということになるわけです。
 一方、電源アダプターの分野では、これは主にパソコンに使われるものですが、国内生産ではお客様の要求するコストで出せません。そこで7年前、香港に現地法人を作りまして、深で生産を始めました。そこで作った物を日本のお客様に納めるという形です。当初は国内工場で全品検査をして納めるというようなことをしたものですが、最近では品質的な問題はなくなっています。
 また昨年には、深にデザイン会社を設立しまして、中国の優秀な技術者を15人ほど採用し、電源やプリント配線板の開発設計を現地でも始めるようにしました。お陰様で比較的短期間に技術蓄積ができました。現在はさらに新たな工場を設け、現地での一貫生産に取り組みはじめています。
 最終的には中国の巨大市場をターゲットに供給していく体制づくりをしたいと思っていますが、多分まだ10年くらいはモノづくり拠点という位置付けだろうと考えています。
 私どもの近辺の企業さんを見ましても、やはり中国、さらに別のASEAN諸国などへ進出をしておりますし、トータルで見れば長野県内での生産は、かなり減っていると思います。では、これからは何をやるのかとなりますと、非常に難しいという思いはします。しかし諏訪地域では、昨年四月に諏訪東京理科大学が開学し、これを核として産学官の連携により新しい種を作り出そうという動きも始まっています。地域の企業や工場も積極的に参加をして、技術の種であるとか英知の種を探し出し、根気よくモノづくりに繋げていくべきではないかと思っております。
京谷 はい、ありがとうございます。大変勉強になるお話でした。星沢社長のところは出版業をなさっているわけですから、まさに内需型の産業といえるわけですが、近年の傾向としてはいかがでしょうか。

産業空洞化は、国内消費型産業にも間接的にかつ深刻な影響を与えている。
星沢社長 今、牛山会長さんから中国における直接的なお話をうかがったわけですが、私ども国内生産・国内消費という観点からしますと、デフレスパイラルと言われている経済情勢は、やはり中国が一つの原因かなと、こんなふうに思っております。
 というのは、先ほどからのお話にあるように、労働集約型の産業が海外へ移転し、国内に空洞化が生まれた。中国での大量生産によって安い物がどんどん日本へ入ってきて、価格下落の連鎖が起きた。こうなりますと、民間企業だけでなく、お役所も税収が上がらなくて困る。すると私どものような印刷・出版業界でも、役所・企業等の発注物は減少し、消費意欲は減退し、しかも価格を下げられるということで、まさに過当競争の真っ直中にあると認識しております。
 そういう意味では、国内生産・国内消費型産業といえども、間接的にかつ深刻に影響を受けていると感じております。
 IT化は私どもの業界でのモノづくりの流れを根本から変えるという点では大きなメリットを与えたのですが、一方では需要そのものを減少させてしまったのです。つまり、簡単な書物や資料ならパソコンで内製できる、社内調達してしまうということです。これは印刷関連での影響ですが、出版関連ではどうかというと、これは携帯電話とインターネットの出現です。
 ちょっとした情報であればインターネットでアクセスして欲しい情報がすぐに得られる。メールで情報交換できてしまう。週刊誌を買わなくても、辞書や専門書を買わなくてもなんとかなってしまう。こういうことが本離れの背景として起こっている現状があります。
 まあ実際に携帯電話でどういう情報が行き交っているかは知りませんが、とにかく道を歩いていても若い者はみんな下を向いて、背中を屈めて歩いています。あれは本来の若者の姿ではないなと思いますね。
京谷 ありがとうございます。長野県は日本でも最高の条件の自然に恵まれた県ですが、同時に、内陸県としては、群馬、栃木に次いで第3の工業立県です。全国でも13位ですね。県内の製造業が県経済全体に及ぼす影響というのは、重要なものがあります。星沢社長が従事していらっしゃる印刷・出版業の分野も、特色ある長野県産業の1つであるわけなのですが、不況の影響を受けていらっしゃる。単価の引き下げ要請にも応じざるを得ない状況なんですね?
星沢 そうなんです。しかも印刷というのは典型的な装置産業です。装置産業であるが故に、とにかく機械を回さなくてはお金が入ってこない。そういう世界ですから、赤字でも何でも機械を遊ばせておくよりも回して多少なりとも収入を得た方がいいということがあります。そうした業界事情がさらに過当競争に拍車をかけてしまうのです。
京谷 なるほど。それでさらに単価が下がるわけですね。
星沢 下がるわけです。デフレスパイラルの最先端を行くような過当競争ですね。
京谷 それと、もう1つの否定的な要因として、いわゆる活字離れ、若者だけではなくIT産業の発達、コンピュータを通した情報の普及によって、中高年までが活字を離れている?
星沢 そうですね。
京谷 私も長野大学での情報リテラシー教育を通じてその一翼を担っていますので、頭が下がってしまいますね。
 ところで小山さん、全体として県内の中小企業動向はいかがなのでしょうか。

業種によって競争力の異なる県内中小企業。
小山所長 そうですね。県内で今わりあい元気がいいというのは、自動車とか工作機械、建設機械関連などです。こういうメーカーについては、国際競争力を持っていると見ていいのではないかと思います。この間もトヨタの人が言っていましたが、人件費は製品の中の1~2割だというのです。それくらいのことは国内でもっと努力してコストを下げれば対抗できるという話をしていました。
 例えば自動車産業では消費地に立地するのがまず基本ですから、中国で車を作って中国で売るというのはどうこう言うことではありません。いずれ中国から輸出するという形になった場合に、日本とアメリカの関係のようになるわけです。でも、アメリカでも自動車産業は成り立っているわけですから。
 そういう形でも成り立つようコスト競争力をつけていくこと、それからブランド力も大事だと思います。そういう優位性を維持し、価格競争だけにのめり込むのではなくて、総合的な競争力を維持できればまだまだやっていけるのではないかという感じは持っています。ただ、電気関係はなかなか難しいのではないでしょうか。
牛山 そうですね。例えば電源アダプターを中国で作るとどれくらい違うかというと、3~5割位安くできます。やはり、安いというのは強い面がありますし、産業の集積もかなり進んでいまして、相当の分野まで調達できるようになっています。
小山 やはり電子部品は標準化が進んでいますからね、自動車などは数万点の部品から成り立ち、かなりの部品がメーカー特注みたいな形になっているので、その辺で創意工夫して付加価値を高めるということができるのですが、電気部品の場合は、半導体にしろ抵抗、コンデンサーにしろ、標準化されていて、取り寄せると製品ができてしまうので差別化が難しいという話も聞きます。
牛山 それはありますね。
小山 どう考えても既存の製造業のパイは減りますね。外国へ出てしまうのですから。しかしながら、これまで蓄積した高度な技術はあるのですから、そういうものをうまくコーディネートして、企業の垣根を越えて製品化するというような動きが産地に出てくれば、面白いと思っています。
星沢 知的クラスター創成とか、そうした動きのことですね。地域で誰かコーディネートして作るものが出てくればいいでしょうね。

市場や消費者を見てこなかったことが原因の一つ。
小山 今までは親企業が市場に結びつけてくれていたのです。でも今は親企業と部品メーカーの間が切れてしまって、部品メーカーだけが残されてしまってさあどうしよう、という状態です。今まで市場や消費者の方を見て仕事をしたことがないのですから、市場ニーズをつかむことに慣れていません。何かそこら辺をうまく市場と結びつけて商品開発のコーディネートができれば力はあるのですから、また活性化されるのではないかという感じは持っているのですが。
牛山 今はもう企業の大小ではなくて、本当にやる気になってやる企業が残っていくのでしょうし、1つの物を作り上げるには、やはり根気よくやる、そのためには色々知恵を借りてやればいいわけですよ。
京谷 今のお話の中で、いくつか考えるべき論点が挙がっていると思います。
 まず第1に、この地域でどういうモノづくりができるのかという問題です。
 確かに空洞化は起きているわけですが、しかし長野県の製造業や製造企業がなくなっているわけではない。そこで、グローバル化が進む中でも存在価値を主張できるモノづくりを進めるためには、どういう人材、どういう技術を、どういう分野で活かすのかという点を具体的に詰めて考える必要があると思います。
 中国進出も、ただ人件費が安いからではなくて、それなりの質を持った労働力なり人材が存在しているからできることです。優秀なワーカー、優秀な技術者が育っているということです。そう考えますと、では、それらとは一線を画したモノづくりとは、どういう人材と技術を活かしたものなのかという課題が出てきます。
 これと付随して、これまで長野県経済の牽引役であった製造業に代わる新しい産業を私たちは考えられるのだろうかという課題があります。
 例えば福祉分野であるとか、あるいは長野県の自然環境を生かした観光産業やグリーンツーリズム、そういう新しいサービス産業分野での新しい展開が考えられるだろうか。これも新産業を構想する上での課題であると思います。
 それから第2は、ではそういう新しい産業の展開にどういう支援ができるのかということです。自治体、あるいは指導的な立場にある組織やセンター、経営団体などが今述べたような課題を抱えている企業に対して、どういう支援ができるのか。それが2番目の課題だと思います。
 また、先ほど諏訪地域の事例でも挙げられていましたが、長野県内に立地する大学の役割も重要であろうと思っています。信州大学は県内各地に拠点を持っておりますし、私立大学としては、私が勤めております長野大学、昨年開学した松本大学、4年制大学として新しく開設された諏訪東京理科大学、それから松本歯科大もあります。そういう大学が地域にあるというメリットを、どう生かして21世紀の課題に取り組むことができるのだろうか。それも1つ考えるべき論点だろうと思います。
 後半では、こうした課題に沿って、今後の展望や取り組みについて話し合いたいと思います。


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