Case1 (株)セルコ
Case2 (株)スワコー
Case3 (株)東京マイクロ
Case4 (株)パルコート
Case5 (株)羽広工業
Case6 (株)龍門堂
Case7 (株)マイナック
Case8 (株)タカモリ
Case9 トピーファスナー工業(株)
Case10 (株)みくに工業

Case1 海外工場を量産専門とし、国内工場を試作開発型へと転換!

(株)セルコ
コイル製造業

主要製品 コイル、光ピックアップコイル、車載用コイル
国 内 所 在 地 小諸市
従業員数 20人
海 外 国  名 タイ
進 出 年 1992年
従業員数 250人

海外進出のきっかけ及び経過
 「摘発されるところだったよ」
 海外工場を出す前のことである。タイ人を当社で不法就労させていたところ、警察は「1ヶ月の猶予を与えるから、帰しなさい」と言ってくれた。
 そこで至急、タイに工場を作り、不法就労者を全てその工場へ送り込んだ。警察からはかなり褒められたという。
 「海外へ進出するきっかけ? あの時、摘発されそうになったことかな」

海外進出による効果、成功要因
「成功要因? その時、就労者を束ねていたタイ人女性の存在かな」
 当時、そのタイ人女性が国内工場の生産管理や品質管理を担当し、生産性向上や不良率低下等の戦力の柱になっており、タイ工場運営においても現地従業員をまとめてくれた。
 現在、そのタイ人女性は同じタイで兄が経営している会社へ移り、当社のタイ工場も兄の会社と合併したが、当社のコイルの量産部門として業績は伸びている。
 国内工場については、進出前120人いた従業員を20名まで絞り込み、開発や設計専門に特化させた。また、国内工場の空きスペースを研究開発型のベンチャー企業に安価で貸し、その企業との連携を深めたことで、試作開発型企業への転換に拍車がかかった。
 国内メーカー等が当社保有の巻線技術に関心を示し、新製品開発等を共同で始めることで、試作は国内、量産は海外という棲み分けで、取引先も増えている。
「海外工場でしっかりした量産機能を持っていることが、当社が国内で試作開発に特化できた要因だ」

今後の戦略、方針、教訓
「社員と経営者との信頼の厚い日本的経営はどこの国へいっても無くならない。現地の人を機械や道具のように使ってはだめだ。」
 タイ工場では、現地の従業員が入院し、治療費の全額を社で持ってあげたところ、社員の信頼感が深まり、生産量は伸びたという。
 「国内工場を試作型に特化されることが出来たのも海外工場があるからこそだ」海外工場を運営する上でも「日本的経営」は忘れてはならない。


Case2 お客様がいるところに積極的に出ていって商機を掴む!

(株)スワコー
プラスチックフィルム加工業

主要製品 プラスチックフィルムの2次加工
国 内 所 在 地 岡谷市
従業員数 64人
海 外 国  名 中国(深セン) 台湾
進 出 年 1998年 2000年
従業員数 220人 15人

海外進出のきっかけ及び経過
 「今から進出しても遅いよ」当社が海外進出を検討し始めた頃、セットメーカーから、こう返答されたという。
 「しかし、取引先が進出している海外への展開無しには当社の未来は無い」
社長は海外シフトを決意した。
 「現地でも競争は激化しており、他社と同じ設備では競走に負ける。他社に勝つためには、他社以上に何でも出来るための設備を揃えなければ」と考え、フィルム加工の殆どの工程を中国にシフトした。

海外進出による効果、成功要因
 全工程をシフトしたことによって、国内で取り引き出来ないような大手企業との取引も出来、その結果国内工場でも試作などの受注に結びついた。また、受注量が伸び、進出当初30人であった現地工場の従業員も今では200人を超えている。
 「人件費や材料費のコスト面の効果も大きいが、新たな市場を開拓出来たことが、当社にとって、大きな成果であった」
 しかし、一方で、苦労したこともあった。
 以前雇っていた中国人の管理者から、売上の1%という法外な報酬を要求され、断ったところ辞めてしまったという。
 これを教訓として、現地の日本人スタッフには、現地人の管理者の一人が協力しなかったり、辞められても困らないように、いつも「2人の現地人の味方を作れ」といっている。
 また、現地のワーカーは品質管理の意識が薄いため、品質面でのトラブル時には一緒に客先へ連れて行き、「何故いけないのか」を理解させるようにしている。

今後の戦略、方針、教訓
 「お客さんがいるところに積極的に出て行って商機を掴む」
 中国市場は毎年確実に膨らんでいるため、仕事を取り込むための営業は益々重要になっている。今後、中国の他地域にも営業を広げる予定であり、現在、中国人2人を営業マンとして育てているところである。「中国企業の営業は中国人の方が向いている場合もある。最終的には管理も中国人に任せ、現地化したい」
 「今後の海外戦略? コストと品質を基礎に、グローバル化の中で総合的に効率を追求していくことだ」社長は熱く語った。


Case3 グローバルな環境の中に活路を見い出す!

(株)東京マイクロ
電気機械器具製造業

主要製品 マイクロモーター
国 内 所 在 地 佐久市
従業員数 125人
海 外 国  名 中国(上海) 中国(東莞)
進 出 年 1993年 1996年
従業員数 600人 900人

海外進出のきっかけ及び経過
 当時、大手メーカーは殆ど中国に進出しており、当社は業界の中では遅かったが、現社長が就任してすぐに進出を決意した。
 平成5年に国営企業と委託加工する形態で上海に進出した。その際、丸子の子会社を閉鎖し、その設備を全て上海に移転したため、進出経費を抑えられた。
 委託契約の期間が終了した後は、現地企業と合弁会社を設立したが、出資比率を9:1にし、あくまで当社が主導権を握れるようにしている。
 その3年後には、上海でのノウハウを活かして、東莞に進出したが、進出にあたっては中国人をブレーンに据え、工場の立ち上げから現地従業員の管理までを任せた。その中国人は、現在国内工場の生産管理課長に抜擢され、社長の片腕として大いに期待されている。
 グローバルな環境の中で生きる中小企業にとって、優秀な人材に国籍は関係ない。

海外進出による効果、成功要因
「うちは、企業が生き残るための手段として海外を選択したが、その選択は間違っていなかったと思う。もし進出していなかったら、数年前に倒産していただろう」
 社長は「中小企業であっても海外へ進出すべきだ」と明言する。
 海外進出が成功した要因は、優秀な現地スタッフが確保できたことと、トップダウンによる行動力であろう。
 「進出については、机上の計算と実際とはかなり違うので、トップ自らその地の生活様式、習慣、風習などを肌で感じ、決断することが大事である。また、現地の人、特に行政とは良好な人間関係を築いて置けば、法的な手続き等がスムーズに運べるし、トラブルが発生した時の解決は速い」

今後の戦略、方針、教訓
 「現在、ベトナム進出を視野に入れ、現地の市場規模や競争相手などを調査している。また、うちは、モーターの小型化や省エネ化、軽量化を目指しており、大手と競合しない分野にターゲットを絞っている」
 「長期的には、国内は特急品や特殊品の生産、開発や試作、サービスなどを残し、生産の98%は海外に持っていく。ただし、コア技術と設計と試作技術は、うちが国際競争に勝ち抜くための大事なノウハウであり、最後まで国内に残す」
 グローバルな環境の中で、したたかに成長する中国企業との競争も視野に入れ、勝ち抜くための明確な経営戦略を描いている。


Case4 きっかけは思いつきでも、その経験と実績は大きな財産!

(株)パルコート
塗装業

主要製品 塗装(テフロンコート、潤滑、導電、焼き付け、プラスチック)
国 内 所 在 地 上伊那郡箕輪町
従業員数 60人
海 外 国  名 中国(深セン)
進 出 年 1994年
従業員数 700人

海外進出のきっかけ及び経過
 親企業の仕事は海外へどんどん流れ、中国はまさに活況を呈していた。
 「ここは一つ行ってみるか」と決断し、進出したところ、必要な情報が少なくどうやって工場を作っていいのか分からない。先に進出した同業者の情報も不確かで、後で考えれば普通の10倍の経費がかかってしまった。
 また、工場が出来た後も仕事が無く、日系企業を営業に回っても「今は出す仕事が無い」と言われ、軌道に乗るまでの2年間は大変苦労した。
 当社は、進出してから知恵をつけ、うまく行くようになったが、先に進出した同業者は既に潰れてしまったという。
 進出にあたっては、しっかりした情報収集と周到な準備も、成功するための大きな要因である。

海外進出による効果、成功要因
 現地工場は、進出当初は50人程度の規模であったが、現在では700人になり、受注量が大幅に拡大している。
 その要因としては、他社は最低限の工程のみを海外にシフトしていたのに対し、当社は自社の全ての工程を最初から海外にシフトしたことが挙げられる。
 また、当社は売上増によって既に投資分を100%回収したという。
 「顧客が海外移転する中、うちもグローバルな戦略が生き残りのために不可欠であったが、今ではいつでも撤退出来ることを考えている」
 中小企業といえども、グローバルな世界に経営の根を生やしつつ、いざとなればいつでも撤退できる柔軟性や迅速性が、厳しい競争を生き抜くためには必要である。

今後の戦略、方針、教訓
 中国の市場や人件費の安さは大きな魅力であるが、規制の変化や環境問題も厳しくなり、決して一筋縄ではいかない難しさがある。
 一方で、日系企業の他にも、力をつけ始めた台湾系や香港系の企業を含めた熾烈なコスト競争も始まっている。
 「これからは昔のように進出すれば儲かる時代ではない。これから進出するところは、国内よりも厳しい競争を勝ち抜くつもりでないと生き残れないのでは」
 「当社もモールド屋や組立屋と組み、仕事を取ることも考えなければならない」
 「ただ、当社は、投資を100%回収したらいつ辞めてもいい。工場を中国人に任せて資本家に徹するのも一つの方法だろう」


Case5 思い切った設備投資と現地化で成功!

(株)羽広工業
モーター製造業

主要製品 コンピューターHDDドライブモータ部品
国 内 所 在 地 伊那市
従業員数 17人
海 外 国  名 タイ
進 出 年 1996年
従業員数 500人

海外進出のきっかけ及び経過
 親会社であるモーターメーカーの組立工程がタイへシフトした。
 当初、国内でのNC加工はコスト競争力があり、また海外では高精度加工は出来なかったため海外進出は考えず、国内から海外の親会社へ部品を供給していた。
 しかし、タイの投資環境が整い、国内の同業の部品加工メーカーが進出し始めると、当社も進出した。
 「取り出し工程は機械化するより人手の方が安く、教育すればバリ取り工程だって任せられる。しかも最新鋭の設備を導入すれば精度だって上がる」
 「ただ、やるからには中途半端な投資では競争に負ける」思い切った投資で、現地の親企業からの仕事を全て取る位の意気込みも大事である。

海外進出による効果、成功要因
 国内工場よりも最新鋭設備(NC旋盤)を百台単位で導入するなど、積極的に設備投資をし、高品質、高精度、大量生産化し、親会社からの要請に応えている。
 しかし、工場が大規模化するほど、労務、品質、納期といったマネジメント面が重要になるが、当社では国内からの出向は1人のみで対応するなど、難しいといわれる現地化に成功している。
 「工場長クラスは、国内工場でしっかり教育した現地人であり、俸給面でも優遇している。また、従業員に対しても400人規模で運動会を開催したところ、従業員に大変に喜ばれ、定着率が上がった」

今後の戦略、方針、教訓
 今後、海外で生産する流れは変わらないだろう。
 NC加工であれば、熟練技能的要素が少ないため、海外でも十分高精度加工が出来る現状にある。今年度新たに200台のNCを現地に導入する予定であるが、市場が膨らめばさらに投資していくことも考えている。
 海外で勝ち抜くためには、従来の発想を替え、他社が行わない(行えない)環境を自らが作り出していくことが重要と言える。
 「そのための資金調達と設備購入の手続きをするのが国内工場の役目かな」
 社長の目は、経営の楽しさを訴えかけているようでもあった。


Case6 二世代にわたるヒューマンネットが当社を支えている!

(株)龍門堂
家具製造業

主要製品 家具、漆器
国 内 所 在 地 楢川村
従業員数 30人
海 外 国  名 中国(上海)
進 出 年 1995年
従業員数 20人

海外進出のきっかけ及び経過
 「うちは張さんで持っているんだ」
 張さんとは、当社上海工場の支配人である。
 「戦前、私の父は張さんの父を上海の支配人に置き、上海の日本料理店向けに漆器を納入していた。漆器以外にも日本軍への生活物資を送るなど、商社的な仕事を行ってかなり成功した」
 数十年後、その張さんの息子が当社で17年間塗装や家具製造の修行を積み、社長は、修行を積んだ張さんを上海工場の支配人として現地に送り込んだ。
 「中級品の家具を上海で作れば、1/3のコストで生産できる」社長は海外進出を決断し、平成7年に上海工場を立地し、経営資源を家具部門に集中させた。

海外進出による効果、成功要因
 当社では、現地工場の運営を全て張さんに任せ、日本のホテル向け家具を製造し納入させているが、国内の大手家具業者も同じ試みで行っているものの、現地の品質管理や納期管理が思うように進まないため、仕事は当社に流れ、大変忙しい状況にある。
 「うちは張さんで持っているんだよ。中国人もいろいろいるからね。1人の信頼がおける人物を育て上げるには、長い年月がかかるということだ」
 「成功要因? 中国進出が当社を支えているよ。それ以上に二代にわたって良い中国人(張さん)と巡り会えたことかな」

今後の戦略、方針、教訓
 昔から楢川村の漆器は丈夫で、旅館等で使われていた。当時、当社でも50人の漆器職人を抱えていたが、生活様式が変わるとともに漆器の需要が停滞したため、今では当社では家具部門にも力を入れている。
 「当社の場合、漆器に固執しなかったことが良かった。ただ、この商売は中国の生産現場を押さえてないと出来ないよ」
 「今後の方針? 今もそうだが、ヨーロッパ製のような高級品家具は狙わない。あくまで当社は中級品を狙い、QCDを重視した経営展開を図っていく」
 遠く離れた地の二世代にわたるヒューマンネットが当社を支えている。


Case7 意志決定と変わり身の速さでグローバル時代を生き抜く!

(株)マイナック
婦人服製造業

主要製品 婦人服
国 内 所 在 地 飯田市
従業員数 80人
海 外 国  名 中国(南通市)
進 出 年 2000年
従業員数 110人

海外進出のきっかけ及び経過
 8年前に生地メーカーと合弁で中国へ進出した。仕事はさほど出していなかったが、当社が納期管理や品質管理を担当し、合弁先が営業を行っていた。
 ところが、合弁先との経営方針の違いから工場運営に支障を及ぼすと判断した社長はすぐに手を引いた。その合弁企業はその後倒産したという。
 5年前、香港でイタリア製の良い生地を見つけ生地の輸入を始めたが、素材調達も自社で行うことで、トータルで利益を稼ぐことが出来るようになった。
 3年前、韓国企業と業務提携し大連に工場進出をした。また、6名を研修生として自社へ受け入れるとともに、中国南通市へ合弁で工場を立地した。

海外進出による効果、成功要因
 当社はグローバル化をチャンスと捉え、様々な戦略を展開している。
 「長年、大手アパレルをメインに高級婦人服の製造を受注してきたが、自分の代になってから、そことの取引はゼロにした」
 「メインの取引先から離れたことが、逆に当社にとって取引先の拡大や海外展開に結びついた。うちは下請だなんていう意識は無く、大手とも対等な付き合いをしている。朝令暮改といわれようが、当社にとってメリットが無ければ、どんどん取引先を替えていく」
 海外進出したことによる効果云々よりも、「中国工場の運営に失敗しそうならすぐに手を引く」など、常に次なる手を打ち新たな経営展開を図っているこの社長はまさしく「機を見るに敏なり」である。
 「営業も含めて取引先との折衝は全て自分が行っている。だから、その場で即決できるし、取引先だってその場で断れる。当社の強み?意志決定と変わり身の速さかな」

今後の戦略、方針、教訓
 「アパレルの戦略がコスト追求型になってから、海外の低価格の婦人服が入って来るが、8割は超えないはずだ。なぜなら残り2割は人と同じ物を着たがらない高級志向の女性はいるもの、当社はこの2割の中で生き抜く」
 手作り中心の高級婦人服を供給する当社の将来に掛ける意気込みを感じた。


Case8 とことんアジア市場に進出し、グループで活路を拓く!

(株)タカモリ
金型、プレス加工業

主要製品 金型、プレス加工
国 内 所 在 地 豊丘村
従業員数 70人
海 外 国  名 インドネシア 中国(東莞)
進 出 年 1994年 2001年
従業員数 260人 30人

海外進出のきっかけ及び経過
 「もう、待った無しだ」
 飯伊地域の代表企業と言える金型プレスメーカー社長の第一声であった。インドネシアに進出したのが、7年前。親企業の進出がきっかけである。
 しかし、その親企業が中国工場の生産比率を高め、当然現地から部品調達することになったため、当社も中国進出を決めた。当初、プレス加工のみを中国でと考えていたが、現地では香港系金型メーカーが同品質の型を1/3の値段で出しているとの情報を入手し、急遽、当社も国内工場から金型製作に必要なMCや放電加工機を中国工場へ送り、金型部門の中国シフトを決めた。
 「国内工場が縮小してしまうが、仕方がない」考えたあげくの決断であった。

海外進出による効果、成功要因
 金型のメンテナンス機能を現地工場に確立し、金型の修正等をタイムリーに行うシステムにしたのが成功要因といえよう。
 現地人の技能も向上し、今では金型メンテナンスを現地従業員が行っている。品質面でも向上し、不良率は0.1%まで下がったという。

今後の戦略、方針、教訓
 「中国は金型産業を根付かせるため、日本から金型を送ったのでは通関で2週間も止められ、生産に支障をきたす。また、中国で金型製作すればコストは1/3、しかもタイムリーにプレス加工が出来る。十分現地で競争出来るんだ」
 当社全体の売上高は伸びており、収益性もそこそこだが、今後は海外工場であっても今までどおりの収益は上がらないだろうという。
 「日本の中小企業は3割しか生き残れない。ここの工場は将来、技術センターになるのか、日本営業所になるか分からないが、もうメンツなんて気にしていられない。これからは、グローバルな企業グループとして、その3割の企業の中に当社は残りたい」
 社長の強い意志が感じられた。


Case9 同業他社より早く進出し、営業力で活路を拓く!

トピーファスナー工業(株)
輸送用機械器具製造業

主要製品 自動車・電機用薄板ばね製品、製品、MIM製品
国 内 所 在 地 松本市
従業員数 217人
海 外 国  名 タイ アメリカ
進 出 年 1994年 1988年
従業員数 103人 60人

海外進出のきっかけ及び経過
 納入先から、「海外で現地供給が出来ない会社へは国内へも仕事は出せない」と言われ、進出を決意した。
「タイへの進出は板ばね業界としては1番最初だったんですよ」
 当社ではアメリカへも1988年に進出しているが、当時アメリカ進出も業界の中では最も早い進出であったという。

海外進出による効果、成功要因
 「他社より早く海外進出したことが、現地での受注に結びついている」
 確かに他社より早く海外展開することは、伴うリスクも大きいが、それ以上に効果も大きい面もある。
 先を見据えた戦略性があったからこそ、業界内における当社の現在の地位を築くことにも繋がっているといえる。
 「海外進出は、また、国内の受注にも繋がっている」
 「現地では、会社は違っても同じ日本人ということでいろんな面で協力しあっているんだよ」タイには当社のような同業社が進出していなかったため、現地で当社社員と現地の日系大手メーカーの社員との繋がりが出来て、そういったヒューマンネットによって国内においても取引に結びついたケースもあるという。
 ビジネス上の付き合い以上の付き合いが、思わぬところに効果をもたらしている。
 「この業界、品質、納期、価格は元より、どれだけ仕事を取れるか等、営業力の差も海外工場を活かす重要なポイントになる」

今後の戦略、方針、教訓
 大手家電メーカーが中国に進出しており、当社としても中国進出を検討中である。
 「当社の場合は、自社ブランドで製品を市場に出している訳ではないから、取引先にしっかり付いて行き、図面をもらって加工する経営しかない。図面をもらわなければ始まらないんだ。図面をもらうためには、市場があるところ、または市場が生まれそうなところに、照準を当て進出していかなければならない」
 「中国は今後、有望な市場であり、板ばね業界としては本格的に進出している企業は無い」という。「先手必勝」先回りした中国進出の戦略を今練っている。


Case10 海外工場との棲み分けにより、国内工場の高付加価値化に成功!

(株)みくに工業
電気機械器具製造業

主要製品 プリンターカートリッジ、専用機、電子部品等
国 内 所 在 地 岡谷市
従業員数 262人
海 外 国  名 中国(深セン) 中国(香港)
進 出 年 1993年 1986年
従業員数 100人 3人

海外進出のきっかけ及び経過
 8年前、親会社が時計部門を海外シフトしたことに伴って、自社も進出した。時計部門は国内に試作部門を残し、全て深センに移管した。

海外進出による効果、成功要因
 海外シフトした結果、国内工場をクリーンルーム化し、消費材生産に転換出来た。
 従業員も他部門へ配置転換出来たことで、社員の多能化及び技術力、管理力の能力向上に役立てることが出来ている。
 また、時計部門については量産部門を海外に移したことにより、国内工場を設計、開発、試作に特化させることも出来た。
 進出当初は現地従業員50人に対し、日本からの派遣を6~7人置いていたが、現在は従業員を100人に増やし、日本からの派遣を3人まで減らすことが出来る等管理コストが下がり、海外でも採算が合うようになっている。

今後の戦略、方針、教訓
 「将来的には海外工場の管理を一切現地人に任せたい。現在、現地で管理が出来るよう指導しているところ」
 工場の現地化の動きは、海外進出企業の課題であり、今後、いかに現地人に管理を任せられるかが、海外戦略の大きなポイントといえる。
 また、当社では、国内は若手技術者の採用や設計技術部門を国内に残すなど、社内でプロジェクトを組み、国内の柱となるような新たな分野を探っている。
 国内工場を開発設計型に向けるには、経営資源をそれに重点的に投下することが必要であり、それによって従業員もやりがいを持ち職務を遂行することが出来る。
 「今後、国内では、時計技術の応用をベースに付加価値の高い部品、ユニット及びFA機器の一貫受注を目指し、海外においては、コネクター、光通信パーツ、電子パーツ関係の拡大を図り、現地生産、現地供給を加速させていきたい」
 海外工場との棲み分けによって、更に国内工場の高付加価値化に挑戦しようと考えている。


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