康治二年(1143)新義真言宗祖興教大師開創といわれ、初めは古城の東北芝間にあり、律宗の無本寺であった。
大永年間(1521〜1528)兵火で焼失廃寺となっていたが、紀伊国僧雄伝が天文19年(1550)この地に来て武田晴信戸石攻めの戦勝祈願をしたので、永禄年間(1558〜1570)武田氏が寺地寄進により現在地に再建。

梅の古木が数本ある。天神社があったので、山号を梅霊山と称した。そして円光院・善珠院・正法院・称名院・成就院・福寿院の六坊を建てたので、六供の地名が付けられたという。
戦国期兵火で再三焼失し、山号を大悲山と改め、内藤氏は領有以来祈願所として寺の維持に努めてきた。近在にないほどの見事な藤は有名で、満開時には、花見客の賑わいをみせる。

山号:大悲山
本尊:大日如来
本寺:京都 智積院
宗派:真言宗