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月刊中小企業レポート
更新日:2008/08/20

特集
「インド市場環境・産業立地基盤視察研修」報告
~急成長するインドの産業立地基盤を訪ねて~

 中央会と表裏の関係にあり、主に個別企業の経営・労務問題について研究を行う「長野県中小企業労働問題協議会(以下 労問協)が計画した「インド市場環境・産業立地基盤視察研修」に中央会も共催、さる6月8日~13日に実施した研修の報告をいたします。

1 視察研修の背景

 過去、労問協におきましては、時宜をとらえ、インドネシア、ベトナム、ミャンマー、フィリピン、中国についてはテーマを変え複数回、視察研修を実施してきました。巷間「BRICs」と言われる新興国のうち、その人口規模から、市場としてインドに注目が集まり、80年代から立地した先発のマルチ・スズキに追いつけと近年国内自動車メーカーが相次いで進出を進めるなか、昨年秋より日本航空がデリー直行便を再開、視察研修を計画いたしました。

2 視察研修の内容

 6月8日


デリー郊外、朝のラッシュ。


マルチ・スズキと車軸が折れたトラック。事故も車軸やプロペラシャフトが折れたトラックも多数。トラックは移動したい人を道で拾い、有料で乗せています。


長くて細いインド米
 成田空港特別会議室にて星沢会長による結団宣言の後、事務局より現地情勢について説明しました。インドでは、多数を占めるヒンドゥー教徒と少数派ながら過去インドを支配したイスラム教徒(ムガール帝国)との対立があり、イスラム教過激派による爆弾テロ、ヒンドゥー教徒の報復によるモスク(イスラム寺院)破壊など実力行使もあるなか、出発前の5月13日、訪問予定先のラジャスタン州の州都ジャイプールにおいてイスラム過激派による連続爆弾テロが発生、60名以上が犠牲となる事件が発生しました。また、インドの特徴のひとつ、カースト(厳しい身分制度)制度に端を発して、同じくラジャスタン州内で、「グルジャル(Gurjar)」と呼ばれる集団による暴動が5月29日に発生し、訪問予定先であり移動予定のアグラとジャイプール間の鉄路、道路を封鎖していたため、行程の変更を余儀なくされました。
 定刻にJAL471にてデリーへ直行しました。ルートは中国国内を横断し、バングラデッシュ、コルカタ(カルカッタ)上空経由となります。天気が良いと、遠くヒマラヤの山々が進行方向右手見えるそうです。直線距離ではシンガポールとあまり変わりませんが(東京~シンガポール3,311マイル、東京~デリー3,656マイル)、偏西風の影響により飛行時間は長めとなっています。
 デリー(インディラ・ガンジー)国際空港には、途中機内サービスのため、気流の良い低い高度を飛んだこともあり、定刻より遅れての到着となりました。インドの国際空港は急速に増加する国際路線に対応しきれず、どこも飽和状態で、とりわけデリー空港は改装中のため入国審査ブースが半分になっていて、航空機到着から入国まで4時間かかることもある、と6月5日付け朝日新聞に特集記事が掲載されており、参加者一同覚悟していましたが、JALの到着時間帯は、ヨーロッパからの到着便ラッシュの前であるためか、案外スムースな入国審査となりました。
 また、各旅行ガイド、ホームページ等で、入国ロビーには客引きなどが溢れかえり、非常な警戒を要する旨の記述がなされていましたが、こちらも人影はまばら、

これぞインド。蛇遣い。
ロビーを出て専用バスに向かう間も特に問題が無く、むしろ拍子抜けするほどでした。現地ガイド氏によると、イメージ向上のため政府、関係機関が相当注力したとのことでしたが、実際は日本からの直行便の乗客は商売にならないと見て、その後続々と到着する欧州便に備え、体力を温存しているのかもしれません。
 空港からデリー市内に向かう道路は片側3車線、時に4車線あり、夕刻のラッシュアワーでしたが、各国大使館等が立ち並ぶエリアにある投宿ホテルまで、搭乗バスが鳴らすクラクションを除き、事前に収集した情報に比較して、とても快適でした。

 6月9日


車道を闊歩する聖なる牛


デリー→アグラ オートリクシャー


車道一車線を占有して、のんびり進むラクダ車。他の車両にとって危険この上無い。
 計画では、この日、インドに入国した外国人のほとんどが訪れる観光立地都市、デリー特別区の隣り、ウッタル・プラデーシュ州のアグラで宿泊することとなっていましたが、暴動の影響によりデリーから日帰りとなりました。そのため、予定より早く出発することとなりデリー市内の渋滞を避ける形になりました。デリーからアグラまで道路距離で200km程度、片側2車線の道路が整備されているとのことでしたが、現地での提示では片道約4時間とのことで、2車線のわりには所用時間が多めなため道路事情が悪いことが推定されました。
 デリー市内走行中も「牛」がそこかしこに散見できました。ヒンドゥー教において牛は聖なる使いとされ、道路の真ん中にいても人車が避けることとされています。市内を抜け、郊外に出ると状況は一変しました。 道路を埋め尽くす軽三輪自動車(オートリキシャ)、人力三輪車(リキシャ)、オートバイ、自転車、乗合バス、トラック、農業用トラクター牽引車。しかも道路のすぐそばに商店街、露店が展開し、人が溢れかえっていました。乗合バスは平気で道路の真ん中で乗降を行い、各車両が互いに譲り合うことはほとんど無く、我が道を進むため、我々のバスは80km/h出していたかと思うと10km/hに減速するなど、再三再四行く手を阻まれました。さらに郊外に出るとラクダ車まで出現、バスの真横を悠然と闊歩していました。運転手さんは、クラクションとスペシャルホン(別掲)を使い分け「セーフティ・ファースト」のリクエストに応えて進んでくれていたようですが、最前列に座っていた事務局は右足を動かし続けていました。性能があまりに違う車両(ラクダ含む)が混在する道路は、ジェットコースター並みのスリルの連続でした。

タージマハールの入り口。テロ予告もあったため結構厳重なセキュリティチェック。 遺跡見学料は、どこも外国人はインド人の10倍。


タージマハール正面の門。門もなかなか立派。


宮崎松記氏の記念碑。ヒンズー語の内容は不明。
 アグラ市内では、道路工事現場に遭遇してしまいました。バスが徐行していると、その間隙を突く乗用車、乗用車同士の隙間に突っ込むオートバイ、ラクダなどなどにより身動きできない大渋滞となり、大幅に時間を取られてしまいました。整然と通行すれば、やみくもに突進するより、早く安全に目的地に到達できることに気づいてくれることを望まずにいられない光景が45分間展開しました。通常に進行すれば5分もかからない距離での出来事でした。
 アグラにあるムガール帝国時代の世界遺産「タージマハール」。その白い大理石は、近年の経済発展による大気汚染のため、酸化が進み、黄変しつつあるとのことで、現在、周囲では工場の操業を禁止し、自動車も乗り入れ制限があり、我々も電気バスに乗り換えました。確かに写真等で見たタージマハールより黄色みがかっているようでしたが、壮大であることは予想を超えていました。 タージマハールへのエンタランスに、「DR.MATSU-KI MIYAZAKI ROAD」と書かれた記念碑がありました。事務局も不知でしたが、事後、調べた所、宮崎松記氏という、インドのハンセン病根絶に多大な功績を残された方のものでした。
 アグラのもう一つの世界遺産「アグラ・フォート」を視察し、帰路も往路同様のインフラ状況が展開するなか、デリーに到着したのは夜もかなり更けてからとなりました。

 6月10日


有料道路料金所に群がる車。
今後のマイカー普及にいつまで耐えられるか。


アンバサダーとマルチ。政府機関等公用車はアンバサダーが多く使用されている。 今ではノスタルジックなフォルムは、40年以上変わっていないらしい。
 アグラ~ジャイプールの暴動による交通途絶のため、デリーからジャイプールへ約260kmに及ぶ移動となりました。ジャイプールは、デリー~ムンバイの、現在インドで一番の基幹国道の途上にあります。デリーを出る時もデリー空港までのハイウェイを通るため快適でした。
 インドでは、有料道路の他に、州を跨ぐ際には関所があり、通行税を取られます(前日のデリー~アグラも同様です)。デリー→ジャイプールでは、デリー特別区からハリヤナ州(トヨタ、ホンダ、スズキ等多くの日系企業が立地)に入る際、ハリヤナ州からラジャスタン州に入る際、そして有料道路のゲートと、3カ所の関門がありました。関門毎に、溢れる車でそれぞれ大渋滞していました。関門では、料金を受け取りチケットを発行しますが、その後にそのチケットが本物かどうかチェックする担当者がいました。料金収受者が料金をネコババして偽チケットを発行することを防止しているようでした。関門には警備員がいて、マシンガンを携行している様は、カシミール問題や宗教・民族紛争によるテロ等が発生しているインドの現状を現しているようでした。

正真正銘のインド象。


王様の命令で建物をピンクに染め上げ、ピンクシティと呼ばれる、ジャイプール市街。


ニムナラ城から工場団地を望む。右側はチェス盤模様のテラス。誰が打ち手を指示し、誰が駒を動かしたのか。宿泊したホテル全てにありました。
 ジャイプール市内に入る手前、荒涼たる山に展開しているアンベール城の遠景は、ムガール帝国に屈しなかったラジャスタンのラージプート族の誇りを象徴しているようで、機会があれば、象の背に揺られて訪れてみたい場所でした。
 ジャイプール市内は城壁に囲まれ(ジャイの後の「プール」は城壁に囲まれた街、の意)整然と街路が整備されていますが、1都市で230万人余の人口を有し(長野県平成20年5月現在人口約217万人)、市内の道路は、勤務時間終了後には人で埋まるそうです。
 ムガール帝国により藩国として認められたジャイプールには「マハラジャ」が存在し、その住居だった「シティ・パレス」には現在もその末裔が住んでいます。シティ・パレス内には、マハラジャが英国へ旅行する際、聖なるガンガー(ガンジス川の事)の水を携えた巨大な銀の壺(ギネスブック登録)2器があり、シティ・パレスの威容とともに、当時の栄華がうかがえました。
 その財力により街区全体の建物をピンクに染め、「ピンクシティ」と呼ばれる市街の一角にある「風の宮殿」はイスラム教の強い影響を感じさせるものでした。

 6月11日

 インドには、その経済成長により、本邦の有力自動車メーカーが進出を開始、それにあわせて一次部品メーカー等が拠点を築きつつあります。中国での展開が進行するにつれ、一次から二次、三次メーカーへと立地が進んだように、インドにおいてもその可能性は充分にあります。
 今回は、JETRO様がラジャスタン州政府の関連団体であるRajasthan State Industrial Development&Investment Coporation Ltd.(以下 RIICO・ラジャスタン産業開発投資公社)と、日系自動車関連企業が多数立地した隣接のハリヤナ州グルガオンから1時間30分程度に位置する、ニムナラ工場団地フェーズ3地区に関して06年7月から2年間限定で日本企業専用に提供する等の覚書に調印したことを受け、研修を行いました。
 ジャイプール市内のRIICOにおけるレクチャーの概要は以下の通りです。

星沢哲也会長挨拶
 ラジャスタン州の首都、ここジャイプールは、インドの首都デリーから約260km、標高431mと、日本における長野県各都市と似通っており親近感を覚えています。
 インダス文明に始まる伝統あるインドは、27の世界遺産とともに、人口は中国に次いで第2位の11億人超を有し、私たちにとって、とても魅力ある国です。
 本日は、当地のRIICOとJETROニューデリーセンターの間で結ばれた、ニムナラ工場団地フェーズ3地区の現状と、将来展望を研修させていただくため訪問いたしました。あわせて労働事情などもお聞かせいただければ幸甚です。
 ご多忙の中、大勢の方にお迎えいただき誠にありがとうございます。

BUREAU OF INVESTMENT PROMOTION, RAJASTHAN.
Commissioner Mr. Umesh Kumar 答礼 及び 概況説明
 遠方よりおいでいただき、心からありがとうと申し上げます。州内で民族紛争があり、一部行程を変更されたこと、ご迷惑をおかけしました。インドは日本と同様、民主主義であるため、デモなどが行われますが、州の経済に影響はありません。
 2年ほど前からJETROや日本企業と仕事をしていることを、大変喜ばしく思っています。2007年7月から当州クシケラに建設していたホンダの第二工場が本年内に操業を開始し、その周辺には多数の関連会社も展開します。これから現地をご覧になる、ニムナラ工場団地日本ゾーンには、訪問される日信工業はもとより、三井化学、ダイキン工業など多数が立地します。
 当州は財政が健全で、デリーとムンバイを結ぶNo.8 High Wayには総工費の45%を投資し、通過州で一番です。当州は、デリー~ムンバイ間にあり、良い立地となっています。また、州内には多数の専門学校があり、年間10万人が労働市場に供給され、人材も豊富です。電力は充分に供給されている上、今年末には更に供給量が増えることとなります(※この説明に対しては、後述の「日信工業」様でのご説明と対照してください)。
 ニムナラ工場団地日本ゾーンの他にも州内にはNo.8 High Way沿いに多数の工場団地がありますし、既に操業しているインド企業への委託生産も可能です。皆様が当州への立地をされる日をお待ちしています。

ラジャスタン州のプロモーションビデオを視聴。その後、RIICOとニムナラ工場団地日本ゾーンの説明。

説明者 RIICO General Manager Mr. Mok Kumar
 RIICOは1969年に設立されたRIDMCから1980年に改組され今日に至っています。 RIICOは現在、309の産業団地を州内至る所に展開し、その面積は36,500エーカー(1エーカー≒4,047平方メートル≒0.4ha)持ち、約2万事業所が操業しています。RIICOは、産業団地内に立地を検討する皆さんに、ワンストップで、国・州などへの手続き、金融、人材供給などあらゆる支援を行えます。
 ニムナラ工場団地日本ゾーンは、ジャイプールとデリーの中間に位置し、デリー国際空港からは約100km、また、構想中のDelhi-Mumbai Industrial Corridor の一部となる予定で、恵まれた立地となっています。588エーカーの今回分譲に対して、既に約270エーカー、55%が成約しています。
 当州の州民は、温和な性格で、争いを好まず、労働争議などの心配が少ない土地柄となっています。ニムナラ周辺の労働人口も多く、非熟練者の賃金相場は1日100ルピー程度で、訓練が終了した労働者は平均1日150ルピー程度となっています。現在、インドは、週48時間労働と法規定されていて、日曜日以外働くことができます。労働関係法は、多数ありますので、問い合わせてください。また、皆さんと会える日をお待ちしています。

 その後、ジャイプール市内から、ニムナラへ1時間半ほど移動しました。ニムナラは開発途上にあり、ニムナラ内での昼食は、1464年に築城された石造りのニムナラ城を、そのままホテルに改装した、ニムナラ・フォート・パレス以外には無いという感じでした。
 そして、長野県に本社を置く企業では、工場建設を伴うインドへの単独進出第1号となる、ニムナラ工場団地日本ゾーンの日信工業さんへお伺いしました。研修概要は以下のとおりです。

ご面談者NISSIN BRAKE INDIA PVT.LTD. President Yoichi Iijima様
 北野建設株式会社インド事務所 所長 中村孝司様
 当社は2006年3月からF/Sを開始、用地選定にあたってきました。ハリヤナ州のグルガオンに事務所をおいています。グルガオン周辺にはHERO HONDAやMARUTI SUZUKIなど多数の輸送用機器工場が立地していたため、当社も同地周辺も検討しましたが、既に購入可能な土地が無いこと、また、土地価格が上昇していたため当地を選定しました。
 ラジャスタン州では外資は土地の所有が出来ないため、99年間のリースとなっています。公表できる範囲では、豊田合成、帝国ピストンリング、三井化学が当地に立地することとなっています。敷地面積は12,000m2、建物面積は8,000m2で、施工は北野建設さんにお願いしました。北野建設さんにとっても、インドでの施工第1号となっています。
 7月末に竣工し、立ち上げのための生産設備を日本本社から輸入し、10月から量産開始となる予定です。生産設備については、今後はインド国内での調達を行うこととなるでしょう。現在、今いる2階部分を仮開設して、従業員の教育・訓練を行っています。従業員は50名、2009年当初には160名規模となり、2010年の生産は20億円を目標としています。
 資本金は16億円で、日信工業株式会社の100%出資となっています。ここでは、鋳造から組み立てまでの一貫生産を行い、2008年10月から 組立を開始し、2009年5月には、一貫生産でのブレーキシステムの出荷を行います。インドの2輪市場では、まだ9割がドラム・ブレーキのため、当面はドラム主体となりますが、今後は「安全」・「環境」の方向性から必ず、ディスク・ブレーキ化されていくことになるでしょう。
 National High Way No.8沿いのグルガオン、ノイダには1980年代から生産を行い、現在インドの乗用車市場の50%を占めるマルチ・スズキやホンダの合弁、独資工場が多数展開しており、市場として見込むことができます。トヨタは、インド最大都市ムンバイに、より近い、南部バンガロールに進出し、先頃、第2工場の建設も発表されています。今後は、デリー~ムンバイのスーパーハイウェイ構想もあり発展が見込まれます。
 電力については、停電が発生するなど不安定なため、自家発電装置を導入しています。水も、井戸を150m掘って自家調達しました。労働力については、派遣会社等に依頼し紹介を受けています。近い将来、当社の幹部となるスタッフについては月10万ルピー程度で、アソシエートという現場従業員は、ここから半径30km以内での採用が充分可能で、月4千ルピー以下となります。インドの労働法では、週休1日制のため、日曜日のみ休日とし、日本でいう祝日等もありますが、1日8時間で年間300日の稼働となります。
 工場建設にあたって、建設資材は輸入関税が高いこともありますが、思いの外インド国内での調達で間に合いました。駐在員は、3ヶ月に一度、食料調達を兼ねて帰国、またはバンコクなどへ出向いています。

 以上のご講話の後、ほぼ完成に近い工場内を視察、星沢会長より、過酷な環境のなかでのご苦労と、本日は出張前のご多忙の折のご対応に謝意を述べて工場を後にしました。
 本日の最終研修先で、ニムナラ工場団地フェーズに立地するLIBERTY社を訪問しました。工場入り口にはインド国旗と日本国旗が掲げられ、予想外の歓迎を受けました。
 研修概要は以下のとおりです。

ご面談者LIBERTY WHITEWARE Ltd. General Manager Mr. Gunjan Chowdhury氏
 他 多数

 まず、ショールームで同社製品を視察、続いて工場内生産現場を視察ののち、最新のAV機器を装備した会議室にてレクチャーを受けました。

 当社は、靴の製造で世界トップ5に入るLIBERTY SHOES Ltd.の子会社で2004年10月に設立、2005年11月に操業を開始しました。LIBERTY SHOES Ltd.は1956年に創業され、世界の有名ブランドのO.E.M.で成功し、今では独自ブランドと小売子会社も持ち、国際株式市場に上場しています。当社は今後インド経済が発展するとともに、住宅建設も増加することを見込んで、トイレ、シャワールーム、同ユニット製造を目的として設立しました。
 ここニムナラには、ニムナラ工業会(N.I.A.)という組織があり、州政府と協調して運営され、私がそのGeneral Managerをしています。ニムナラは、皆さんが昼食をとられたニムナラ城で有名でしたが、日系企業向け工場団地ができるということで、更に有名になりました。ニムナラ工場団地は開発が進み、現在マンションが建設中です。また、デリー~ムンバイのスーパーハイウェイ構想が進んでいて、このスーパーハイウェイ建設にあたってはB.O.T.などの手法で日本企業にお任せする考えもあるようです。
 また、デリーで進んでいる地下鉄を延長する、国内線空港を建設するなどの期待もありますが、もっとも優先して検討しているのは、日本の駐在員向けにゴルフ場を建設することです。ここニムナラの地は、お城の観光と農業が主な生計基盤であり、外部都市と接する機会がなかったため、住民の気質は温和で、悪いことをする者はいません。
 リバティグループでは、住宅市場の拡大の後にくるのは、自動車市場であると考え、自動車部品の製造に着手することとしました。既に、子会社としてLiberty Automotive Pvt.Ltd.を設立し、工場も建設済みで、すぐにでも生産を開始することができます。もちろんインフラも整備済み、国、州政府の煩雑な手続きもクリアできますし、投資をしても、背景にリバティグループがあるので安心です。我々とパートナーとなっていただける日本企業を探しています。是非ご協力ください。

 レクチャーの後、ティーパーティまで準備いただき、Liberty Automotive Pvt.Ltd.のGeneral Manager Mr.S.Ravichandran氏も加わり交流促進を行いました。星沢会長より大変な歓待に対して謝辞を申し上げて同社を後にしました。
 デリーへ向かうHigh WayNo.8は、帰宅時刻とも重なり、料金所等もの凄い混雑、また、デリー市内もラッシュアワーと重なり、ホテルに着き、夕食となったのは21時頃となりました。

 6月11日

 インド最終日は、当初からさまざまな情報のご提供をいただき、もし、ご支援いただけなかったらこの研修自体実施できなかったほどお世話になった、JETROニューデリーセンター様での講習でした。ご講義いただいた内容は大変なボリュームでもあり、インドのマクロ経済動向等はJETRO様のホームページ等で入手いただけることから割愛させていただき、特徴的な概要を以下のとおり報告いたします。

JETRO様ホームページ インド
http://www.jetro.go.jp/biz/world/asia/in/
外務省様ホームページ インド
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/index.html

さらに詳しい内容等に関心をお持ちの方は本会までお問い合わせください。

講 師独立行政法人 日本貿易振興機構 ニューデリーセンター
 DIRECTOR 河野 敬様
 OFFICER 田澤和徳様
 ジェトロホームページにおいて、インドの貿易・投資制度情報へのアクセスが急増し、国別ヒット件数で第2位、月間1万件以上となっています。(河野氏は)赴任してから、個人で対応した企業は150社以上、センタートータルでは500社を超え、毎月50~60件の来客があります。来客のほとんどは大企業やその系列会社です。ただし、昨年、お問い合わせを含めて対応した件数の半数は中小企業の方のものでしたが、実際に進出を決めたのは10社あるかないか、といった実情です。今、進出をしている日系企業は大多数が大企業で、中堅企業はその系列会社です。中国の当初進出ブーム時のような労働集約による輸出加工を想定した進出ではなく、進出企業の60%が自動車・同関連企業であることからもご理解いただけるように、インド国内市場確保を狙った立地がほとんどのため、独立系中小企業には販路確保等、難しい側面があると推定され、チャイナ・プラスワンにはなっていないと思われます。独立系の中小パーツメーカーが進出する際にはインド企業との競合、価格競争となることが推測されます。
 インドは91年まで社会主義型経済で、鎖国に近い状況でした。そのため、製造業の基盤はあり、エンジニアリングには優れたものがあります。品質はともかくとして、コストダウンには優位性があります。現在では関税、外資規制はアセアン各国と同様になりました。
 国民所得は1000ドル以下で、中国の2000年当時と同程度ですが、GDPの年度の伸びは、マレーシア1国分のGDPに匹敵する金額となっており、世界中の企業がインドの11億人の人口、市場に注目するのも頷けます。ただ、強い購買力のある層は人口の10%未満と推定されますし、個人の所得税を払っている人口も2.6%とされており、そのような市場のなか、低価格製品で中国、韓国企業と競合するのか、ハイエンドな商品で購買層を絞り込むのか、日本企業も戦略を錬っていることと思います。
 インドは民主主義の強い国で、政治は選挙等を意識し、大衆迎合の政策を取ることがあり、今回皆さんが遭遇された民族争議も与野党の政争の道具にもなり、そうしたカントリーリスクも潜在しています。また、労働法制も労働者優位であることが多く、2004年位までは労働争議が激しく行われていました。その後は少なくなっていますが、労働組合とうまく付き合うことが必要となるでしょう。
 今回、ラジャスタン州の工場団地を研修されましたが、同州を含め、インドにおいて外資系企業による土地の取得は99ヶ年の土地使用権購入となっています。一方、ハリアナ州では商業用の土地を購入できます。デリー近郊では、とある時に購入した価格より、その後数年して周辺の土地が値上がりし、元の所有者が現在の価格との差額を要求した場合にはその要求に応じる義務を定めた契約であったため、支払いが発生するという事例や、インドにも農地の転用制限があり、購入した土地が農地から工業地への転換ができていない事例などがあるので、契約の際には弁護士入れるなどの防衛も必要です。
 デリー~ムンバイ産業回廊とスーパーハイウェイ構想などについてRIICOでもお聞きになったと思いますが、インドは民主主義が強いお国柄のため、人口の多くを占める産業回廊建設による恩恵から遠い農民にとって必要性に乏しいため、国政上の最優先事項となりにくく、ベトナムや中国のような開発スピードはあまり期待できないと思われます。産業インフラが整ったら進出を考慮する、としたら相当時間がかかってしまうことでしょう。都市と地方の格差拡大などの諸問題を抱えながらも急成長するインド進出にあたっては中小企業といえども充分なF/Sを行っていただくようおすすめします。

 以上のご講義のあと、星沢会長より今回のご支援に関し心よりの謝辞を申し上げ講習会を終了しました。
 飛行機の出発時刻までの間を利用し、デリー市内のインフラ状況、世界遺産の活用状況等を視察し帰国便に乗り込みました。往路はビジネスクラス、エコノミークラスともほぼ満席でした。復路はビジネスクラスはほぼ満席でしたが、エコノミークラスは空席があり、隣席はほぼ空いているか、場所によっては横になることも出来ました。観光もさることながら、仕事での往来が多いことがうかがえました。出発は、機材到着遅れのため約1時間遅延しました。

 6月12日

 「インドは貧しい国ではなく、貧しい人が多く住む国である(Wikipediaより)。」という事が、なんとなく分かる研修でした。不毛の砂漠でテント生活をする人々や生死すら不明な状態で歩道に寝転がっている多数の人がいる一方、ビール1本が1000円を超すレストランで食事をする家族もいる国。お揃いの制服で登校する小学生達と、もの乞いをする同年齢の子供達が交錯する国。識字率が別掲資料のように、周辺国に比べて低いにも関わらず、優秀なエンジニアを多数排出する国。一度行くと「好き」か「嫌い」か、はっきり分かれるという国。
 JA472は、出発は約1時間遅れたものの、偏西風にのって順調に進み、成田到着はほぼダイヤの時刻となりました。夜行便による疲れが見えられる方もおられましたが、不慣れで拙い事務局にも関わらず、大きく体調を壊されること、また盗難等のトラブルなども無く帰着できましたことは、星沢会長様はじめ、ご参加された皆様、添乗いただいたJTB中部長野支店の井関様のご理解とご協力の賜物であり、また、研修先のアレンジなどご多忙の中大変なご高配をいただきましたJETROニューデリーセンター様、同じく長野センター様、ラジャスタン州内暴動に関しまして、情報のご提供と現地でのご支援をいただきました外務省様、在インド日本大使館様、今回視察研修の機会を与えていただいた関係各位とあわせ、あらためてこの場を拝借して心より感謝申し上げ、報告とさせていただきます。

インドを始め各国に関する情報については、長野県内の方
JETRO長野センター
http://www.jetro.go.jp/jetro/offices/japan/nagano/
JETRO長野 諏訪支所
http://www.jetro.go.jp/jetro/offices/japan/suwa/
県外の方は最寄りのJETRO各センターへお問い合せください。
http://www.jetro.go.jp/jetro/offices/


「インド市場環境・産業立地基盤視察研修」に参加して
-ご参加いただいた皆様にお聞きしました-

星沢哲也
県中小企業団体中央会 会長・東京法令出版(株) 取締役社長

BRICsの中で、中国の後はインドだろうといわれている。その実態を一度見てみようと参加した。デリー、アグラ、ジャイプールのゴールデントライアングルを5日間見ただけでインド全体を語ることはできないが、その範囲ではまだまだ秩序のない国だというのが印象。中国と比べても8~10年遅れているというし、識字率の低さ(64.8%)には驚いた。国民全体がもっとルールを守れるようになり、教育、道徳やマナーを身につければ素晴らしい国になるのではないかとは思うが。



関 一朗
ダンク セキ(株) 代表取締役

当社は製本事業からWEB事業に脱皮しようと取り組んでいることもあり、インドのITビジネスや大発展しているという現状を見てみたいと参加した。実はちょうど3年前、今回とまったく同じコースを回った。その時は大きなカルチャーショックを受けたが、現地はそれからほとんど変わっていないようだ。自動車産業をはじめ、インド国内需要の獲得をめざす業界なら進出の理由と裏づけは当然あるだろうが、単に安価なものづくりの場とする従来の考え方は成り立たないと思う。



堀内 哲
春日井アルマイト工業(株) 代表取締役

中国は行ったがインドは初めてだったのと、もともと興味があったので参加した。実際観光して面白いところもあった。国自体にバイタリティ、成長の勢いを感じた。しかし聞くと見るとでは大違い。インフラからすべて自前で整備しなければいけないというのは大変だと思った(当社ではインド進出の予定はないが)。90年代には海外企業が進出していなかったためトラック、バスなど自動車は自分たちで製造している。修理工もたくさんいて、たとえ壊れやすくてもつくる力があるというのはたいしたものだと思った。



水谷克人
(株)エヌ・イー 代表取締役専務

中国とは明らかに違う。それが分かって良かった。インドは中国の後を追って成長していくというイメージがあったが、輸出よりも内需に対応するだけで精一杯。中国の歩みとは違う新しい成長パターンだ。面白いと思ったのは、インドでは「いかに品質を落とすか」という感覚がないとものづくり産業は成長しないということ。30年前の中国と今のインドは似ている。今中国は行くたびに変化しているが、インドももしかしたら10年後そうなっているかもしれない。車と牛が一緒に歩き、ゴミの中に暮らしているような生活に彼ら自身が気づいた時、インドは変わるのだろうと思う。



矢島哲男
長野精工金属(株) 代表取締役

「生きる」という人間の本質的な部分で、インド人のすごさと文化の違いを感じた。中国とは明らかに違う。交通などルールがないようだが、譲りあったりお互いに理解し合ったりしている。人間として本質的な部分ですごいと感じた。世界経済は知恵、教育の限界に来ている。ただ豊かになればいいという時代は終わり、新しいルールが求められている。インドの文化を尊重しつつ、日本企業が教えてあげられる最先端技術(環境関連など)も少なくないと思う。裸足で歩く人に靴を売る必要はないのだから。そうすれば将来、日本からこんな技術を教わったと感謝されるはず。



平林健吾
(株)サイベックコーポレーション 代表取締役社長

自動車産業は当社が関連する事業なので、インドの現状に興味があり参加した。しかしイメージとは違った。高速道路などのインフラも整っていないし、道路脇には事故車や故障車が非常に多い。IT産業が盛んな地域に行けばもっと富裕層がいて、街にも高級車が走っていたかもしれないが。ものづくりはただ「安ければいい」という印象。日本のような安全、環境に配慮したものづくりは難しい。インフラも進まず、効率的に仕事をする雰囲気もない。教育という側面からみてもまだまだ大変というのが実感だ。



山谷清廣
諏訪国際経済事業(協) 理事長

長野県から行くととにかく耐えられない暑さに閉口した。しかも水が悪いので(ホテルでも腹を下す)、サラダ、アイスクリームなど現地の水を使っているものはすべて食べないようにと言われ、食事が大変だった。中国より人件費が安く、労働者の派遣体制が比較的しっかりしている点では有利かもしれない。工場進出には有利なのかなと思ったが、インフラの整備状況など、現地政府関係者の言と実際はかなり違っていた、進出を考えるにしても周到な事前調査が不可欠だと感じた。



佐々木正行
佐久市工場団地事業(協) 理事長
義務教育も受けていない人々が相当数いる一方、かなり優秀な人々もいて両極端。教育レベルを総体的に引き上げるには相当時間がかかるだろう。その点で日本が手を差し伸べ成長の手助けをする必要もあるのではないか。中国に比べ、日本企業の進出を歓迎するムードは強く感じた。工場団地の組合理事長としては、組合員にインド進出の構想はない。もっとも、もし日信工業さんのように親会社が現地で操業し必要とされれば行くだろうし、需要が期待できるのではあれば魅力的だとは思う。


手塚 伸
コトヒラ工業(株) 代表取締役会長

進出した場合、中国と比較して税金面等の制約が少ないのはメリットと感じた。貧富の差、能力の優劣の格差が非常に大きいが、大卒の優秀な人材の採用は“よりどりみどり”の状況だという。日本より恵まれていると思うくらいで、うらやましいと思った。もっとも日本と比べて生活環境の違いは大きく、日本人の駐在は厳しい。しかも日信工業さんはインフラは自前と聞き、中小企業が進出した場合、立ち上げまで相当時間がかかり大変だと感じた。しかし10億人のマーケットの大きさは魅力だ。



小布施弘明
信州LOHAS事業(協) 代表理事

外国人研修生受け入れを主目的とするNPOとしての観点から、中国、ベトナムなどの新興国と比べて、インド人の生活レベルはどうかを見てみたいと参加した。観光を通して街の様子を通して、また訪問先の従業員の待遇なども聞くことを通して、実際の様子をかいま見ることができて良かった。賃金面で日本で働くメリットは大きいが、中国人と比べ文化的なギャップが大きく難しいという印象。もともと広大な土地を持つだけに、現地の日本企業向け工場団地の区画も規模が非常に大きく、可能性は感じた。



宇治孝治
(株)長野地方卸売市場 事務局長

BRICsの中でインドの「今」はどんな状況にあるのか、ビジネスよりも国そのものの動きを見たいと参加した。しかし、私が抱いていたイメージとは違った。読み書きができない人が多いせいか、ルールの周知徹底ができない。高速道路を逆走する車がいるなど法律が守られていない。個人プレーの集団という感じ。基本的レベルに問題があり、中国のようには発展しないのではないかと感じた。全体の教育レベルを上げるにはかなり時間がかかると思う。食事や気候が身体に合わないことを身をもって体験したが、行って良かった。



荒井亮治
信光工業(株) 代表取締役社長

レベルアップする海外の状況を見て、逆に日本に残るための施策を考えたいと参加した。インドは世界三大商人(印僑・華僑・ユダヤ商人)のひとつであり、ビジネスは非常にしたたかだと感じた。10億を超える人口を抱え、無視すべき国ではないとは思っていたが。日本からの投資にはかなり期待しているし、しかも「おんぶに抱っこ」的な思惑が見え隠れしていると参加者は感じたのではないか。インドのものづくりが今後いかに力をつけていくか興味はある。



平出知之
(株)日本機材 執行役員 穂保製造部部長

今注目の国であり、どういう状況にあるのか見たい。また大きな市場を持つ国だけに、進出先の選択肢として考えた場合、何が必要なのかを見てみたいと参加した。自動車部品製造では規模の大きさを感じたが、インフラがまだまだ遅れているのが難点。現地の人たちの学力レベルは思ったより高く、中国より勤勉さがあり、将来的に大きな可能性を秘めていると思う。ただ日本人が現地で暮らすにはまず食事があわず、日本との行き来も大変。1カ月ごとに帰国できる大企業はともかく、中小企業には難しそうだ。



若林邦彦
アネックス・インフォメーション(株) 代表取締役

インドが最近かなり評価されているが、実際はどの程度のものなのか知りたかった。本当は仕事柄、IT産業を見てみたかったが。インフラや教育の状況を見ておきたいと思って参加したが、実際に見てみると過大評価だ。文盲率40%と義務教育もままならず、社会インフラもまったく整っていない。また現地関係者からも基本的倫理観に欠けているという印象を強く受けた。そんな国情を見るに、インドがこれから急速に立ち上がってくるというのはあり得ないと思う。インド進出に興味もあったがこれでは無理。ガッカリだ。



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