元気な企業を訪ねて ―チャレンジャーたちの系譜―
商店ではなく地域住民の利益を考えたまちづくりで、
地域と共存し、共に生き、働き、暮らす街をめざす。
岩村田本町商店街振興組合
理事長 阿部 眞一さん |
その後の状況を予想し、
大きな危機感を抱いていた
「魅力ある商店街とは、いかに魅力ある個店の集合体であるか。これしかありません。外的要因を言い訳にせず、自分の店がいかにお客様に満足されているか、どんな魅力があるのかを客観的に感じられるかどうかに尽きると思います」。阿部眞一岩村田本町商店街振興組合理事長は、商店街の活性化に取り組んできた十数年の経緯を振り返りながら、そう結論づける。
1997年10月、長野新幹線佐久平駅が開業。周辺には大型店進出が相次ぐなど急速に商業集積が進み、にぎわいの街へと大きく変ぼうをとげた。
そこから約1キロ離れたところに位置する岩村田本町商店街はその数年前からその後の状況を予想し、大きな危機感を抱いていた。その先頭に立っていたのが、阿部眞一岩村田本町商店街振興組合理事長だった。
「新幹線やインターができるという話が持ち上がった時、最も危機感を抱いていたのは私たち青年会メンバーでした。何とかしなくてはと。そこでアーケードの建て直しをきっかけに、本気で商店街活性化に取り組んでいったのです」。
そして阿部理事長が呼びかけ、若手経営者や後継者ら青年会メンバーが勉強会を開き、構想を綿密に練って先輩経営者たちを説得。96年には今までの役員を一新し、青年会メンバーを理事とする「岩村田本町商店街振興組合」を立ち上げた。理事の平均年齢は36.7歳。全国で最も若い振興組合だった。
新生組合がまず手がけたのが約200メートルのアーケードを活用した「日本一イベント」。衰退の一途をたどる商店街の様子がマスコミに流されるのを見て、「逆にマスコミを利用して、元気な商店街をアピールしよう」と、阿部理事長は地元在住の放送作家、加瀬清志氏と夜を徹して語りあい、96年からスタートさせた。
第1回は日本一長い「草もち」づくり。翌年はパッケージに新幹線をあしらったいなり寿司をずらっと並べた。さらに百人一首の巻物、まつたけごはん、ロールケーキと、毎年日本一の記録づくりに挑戦した。
さらに今の日本の景気を時間で表し、景気とケーキをかけてショートケーキの形にしたのが「景気時計」。これも日経ビジネス誌に取り上げられ表紙を飾るなど、大きな話題を集めた。
めざすのは、地域密着顧客創造型商店街
活性化事業を展開していくなかで、阿部理事長は商店街の方向性をどうすべきか迷っていた。「近くの鼻顔稲荷神社をもっと活性化させて観光をキーワードにやっていこうか。それとも地域密着顧客創造型商店街をめざそうか」。2000年頃のことである。
結局、阿部理事長は地域密着顧客創造型商店街に賭ける。「地域のお客様に満足していただき、自分たち商店主も何とか食べていくことができる。そんな商店街があってもいいじゃないかと、地域密着でやっていくことに決めました。このくらいの規模の商店街がなくなったら全国どこもやっていけない、というコンサルタントの言葉にも後押しされましたね」。
街づくりのコンセプトは「手づくり・手仕事・技の街。地域と共存し、共に生き、働き、暮らす街をつくる」。古くから造り酒屋や味噌醤油の製造業者が集まっていたところから、手づくりの街づくりをめざした。
取り組みの第1弾としてつくったのが、地域のコミュニティ広場「おいでなん処」だ。02年3月のことである。
本町には誰もが気軽に使える公民館がなく、近くの病院の待合室が地域の
”井戸端“のようになっていた。それを知り、老舗呉服店の空き店舗を活用した。バスの時間待ちやトイレ、買い物の休憩などの場、また地域のサークル活動の場としても開放。年間約6000人が利用しているという。
翌03年4月には総菜店「本町おかず市場」をオープンした。
当時近くの大手スーパーが移転し、生鮮3品が買える店がなくなっていた。阿部理事長は組合で生鮮3品の店を開こうと考え、試みに生鮮野菜を販売する朝市を開催した。店舗経営のシミュレーションと、住民ニーズをつかむためだった。「手応えは感じていましたが、住民からは生鮮3品の店もいいけど、まず総菜店がほしいという声が圧倒的でした。そこで当初の計画を変更したのです」。
ここ1、2年で空き店舗が一気に埋まりました
出店を決めてからは、店づくりから資金繰りなどの財務まで15回にわたって組合員が集まり勉強会を行う。それを通して組合員同士の一体感や責任感も高まっていった。
オープン当日は「3日分を1日で売り切るにぎわい」。それを見て、おかみさん会のメンバーが急きょ駆けつけ夜中まで仕込みを手伝った。「それは15回の勉強会を通して、組合員みんなが情報を共有してきた成果。それがなければこうはうまくいかなかった」と阿部理事長は断言する。
同組合では「1理事1事業制」をとり、組合が行う事業は担当理事が責任を持って管理運営する決まり。ちなみに、本町おかず市場の経営を担当する理事の本業は文房具屋さんだ。
3つ目の空き店舗対策事業として04年に立ち上げたのが、25坪の空き店舗を活用したチャレンジショップ「本町手仕事村」。
「2.5坪を1.5万円ポッキリでショップに挑戦!」とチラシを打つと、44人の希望者が現れた。その場で手づくり作業をする職種に絞り、最終的に選定した6人が入居。チャレンジショップの改装資金は補助金を活用した。
開設4年目を迎え、4人が卒業。いずれも商店街の空き店舗に独立開業した。「ここ1、2年で空き店舗が一気に埋まりました」と阿部理事長は頬をゆるめる。これは空き店舗の大家に組合が保証し、大幅に家賃を下げてもらうなど積極的なバックアップの賜物だ。さらに、つねに商店街の取り組みを報告するなど、地域と情報共有を図ってきたことも大きいという。
06年には新たな事業「子育て村」がスタートした。県の「元気づくり支援金」を活用した全国初の商店街の子育て支援だ。
「住民アンケートを採ると、子どもをどう育てていけばいいのか、どの病院に連れて行けばいいのかなど、驚くような声が上がりました。地域とともに生きる商店街としては、子育て支援をすることがお客様サービスになるのではないかと考えたのです」。
子育て村会員を募集するほか、鼻顔稲荷神社での子育て祈願祭、浴衣の着付け、夏休み自由研究お助け講座、子育ての不安解消セミナー、ケーキづくり、子ども屋台村など数々のイベントを実施した。
「後継者養成塾」を立ち上げ、
1年間にわたり特訓を受ける
さて、阿部理事長の本業は「和泉屋菓子店」。天皇陛下が皇太子時代、軽井沢を訪れるたびに同店の「しなの追分」を土産にしたことでも有名な大正9年創業の老舗菓子店だ。
粋人だった初代が菓子づくりを始め、理事長の父(2代目)が地域文化としての菓子づくりに傾注。一方で、生産体制の近代化と多店舗化も進め、東京の百貨店の物産展にいち早く出品するなど情報発信にも力を入れた。
阿部理事長は4代目。大学卒業後、有名なパティシエ吉田菊次郎の「ブールミッシュ」で5年間の修業を経て、87年佐久に戻り家業を継ぐ。
2000年頃からオリジナル商品の開発に力を入れ「半熟チーズケーキ」が大ヒット。今でも同店の定番商品として人気を誇る。
ところが好事魔多し。ちょうどその頃、佐久平駅前にカフェ併設の洋菓子店「フォンティーヌ」を勢い込んでオープンするも、見通しが外れる。そこで思い知ったのが、経営者としての勉強の足りなさだった。そこで有志7人と「後継者養成塾」を立ち上げ、商店街活性化の視点も含めて1年間にわたりコンサルタントから特訓を受ける。これが大きな転機となった。
「私の理念を社員に伝え、それを現場で表現していくことが大切」と、阿部理事長は理念の理解と共有を徹底するため、まず社員1人ひとりと面談し勉強会も開いた。サービスのレベルをより高めるため、東京から販売や菓子づくりのプロをスカウトする荒療治も。時には摩擦も生まれたが「人材の大切さ、社長力、管理力、現場力と役割を明確にすることの大切さを教わった」という。
「うちの強みは、技術力、サービス(ホスピタリティ)、地域の野菜や果物といった素材。それを活かし、四季折々の旬を使ったお菓子で四季を感じさせる店をめざしています」。
そこで今取り組んでいるのが、地域の旬の農産物を使い毎月新商品を出し続ける「佐久平逍遥集」。すでに4年目に入り、そうしてつくった商品も100点を超えた。佐久市のほか、東御市のクルミ、野辺山高原の花豆など、生産地や生産者を明記したものも多い。
「私が企画し、現場でつくり、笑顔の接客でお客様に喜んでいただく、たすきリレーのようなもの。毎月つくり続けるのは大変ですが、そこにどれだけのこだわりと情熱を込めるかで、ぐっと深まりが出てくると思います」。
店主ではなく、地域住民の
利益を考えたまちづくりをめざす
「商店街が魅力ある商店の集合体なら良いのですが、そこにわずかでも魅力ややる気に欠ける、マイナスのオーラを出している商店があると商店街全体に悪影響をおよぼす存在になる。魅力ある商店街づくりのためには、まず個店が魅力を高めることが大事。そのためにはつねに勉強していくこと。それがないと自分たちがどんな商店街になりたいかという発想も出てきません。まずそこからですよ」。阿部理事長の言葉には熱がこもる。
08年1月、歴史的な景観をいかした街並みづくりを進める自治体を助成する「歴史まちづくり法案」が閣議決定された。同組合ではそれを活用した歴史と文化のまちづくり構想を佐久市と協議。中山道、3つの寺院、子ども未来館、鼻顔稲荷神社と周遊する約4キロの散策コースを整備するなど、道路、公園が整備され、安全・安心に住めるまちづくりをめざしている。商店街から構想が出るのは全国でも珍しいケースだという。
「歴史のまちづくりで住む人が増え、にぎわいが生まれる。そのなかで商店街としての機能を高めていく。そんなまちづくりをめざしています。つまり商店の利益ではなく、地域住民の利益を考えたまちづくりです」と阿部理事長は強調する。
歴史まちづくり法と中心市街地活性化法をミックスし、地域とともに生き、魅力ある店の集合体としての商店街をめざす岩村田本町商店街。あるべき商店街のモデルケースとなるかもしれない。
経歴 |
|
|
出身 |
|
佐久市 |
家族構成 |
|
妻、子ども(息子2人・娘1人) |
趣味 |
|
モータースポーツ。昭和48年型フェアレディZなど、クラシックなクルマを大切に乗っている。 |
|
|
|
|
企業ガイド
岩村田本町商店街振興組合
住所 |
|
〒385-0022 佐久市岩村田765
TEL(0267)67-4106
FAX(0267)67-3509 |
設立 |
|
平成8年8月 |
有限会社和泉屋菓子店
本社 |
|
〒385-0022 佐久市岩村田749-2
TEL(0267)68-5000
FAX(0267)68-5000 |
創業 |
|
大正9年 |
資本金 |
|
300万円 |
事業内容 |
|
菓子製造・販売 |
|