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月刊中小企業レポート
更新日:2008/2/20

元気な企業を訪ねて ―チャレンジャーたちの系譜―

伝統的工芸品「内山紙」の保存・継承・発展をめざし、
産学官の積極連携で後継者育成と新たな市場開拓にチャレンジ。

有限会社阿部製紙代表取締役 阿部 一義さん
有限会社阿部製紙
代表取締役 阿部 一義さん


「和のカタチ」として見事、グランプリを受賞

「和のカタチ」として見事、グランプリを受賞 今年1月18~20日の3日間、東京新宿のリビングデザインセンターOZONE(新宿パークタワー3階)を会場に、第3回「和のある暮らしのカタチ展」(主催・独立行政法人中小企業基盤整備機構)が開かれた。
 この展示会は「日本の伝統的なものづくりを継承し、新たなカタチを生み出すことにチャレンジする和のつくり手と来場者とのコミュニケーション型展示会」。毎年多くのファンが訪れ、伝統工芸の良さや可能性を再認識している。
 全国から選ばれた意欲ある50組のつくり手が作品を展示し、その歴史、文化、素材、技術などを紹介。同時に展示作品の中から来場者が一番使ってみたいと思う「和のカタチ」を選ぶコンテストも実施している。
 審査員の審査と来場者のアンケートにより選ぶこのコンテストで、今年見事グランプリに輝いたのが北信地域の伝統的工芸品、内山紙だった。出品したのは内山紙を使った照明。素材を活かしたシンプルであたたかみのある独特な明かりの世界を表現した。
 それぞれ素晴らしい伝統と技術を誇る伝統工芸品のなかで、最も来場者の心を動かし、将来の可能性を感じさせる作品としての受賞。それだけに同組合メンバーはもとより、支援する飯山市なども大きな喜びにわいた。
 この作品をつくった阿部製紙の阿部一義社長は、伝統工芸士にも認定される内山紙のつくり手。しかも、北信地域の内山紙製造業者でつくる「内山紙協同組合」の代表理事を務める業界のリーダーだ。
 「伝統工芸品の産地でも、早くから商品開発を手がけてきたところはそれなりに成果を出している。我々も今回のようなチャンスを積極的に活かしてアピールしていきたいと考えています。しかし、やはり基本を大事にしていかないといけない。伝統的なものがしっかりしていてこその新しい商品ですから」。受賞の喜びのなかにも浮ついたところはない。

コウゾ100%、雪ざらしは変わらず350年の歴史

コウゾ100%、雪ざらしは変わらず350年の歴史 障子紙の代名詞としてよく知られる、内山紙。スーパーでも「内山障子紙」として安く売られているのを見かけるが、本物の内山紙は原料がコウゾ100%で、雪にコウゾをさらして漂白する「雪ざらし」など独特の工程をいくつも経てつくられたもの。その丈夫さと通気性・通光性はコウゾのみを使っているからこその特徴だ。
 内山紙は江戸時代の寛文年間(1661年~)、信濃国高井郡内山村(現在の木島平村内山)の萩原喜右ヱ門が美濃国で製法を習得して戻り、自宅で紙をすいたのが始まりと伝えられる。紙の原料となるコウゾは繊維が長く丈夫なクワ科の植物。かつては田畑の脇に普通に見られたという。
 近隣農家が栽培し秋に刈り取ったコウゾを釜で蒸し、皮(黒皮)をはぎ、束ねて軒先に吊す。そして冬寒い頃、黒皮を水に漬けた後に凍らすことを何度かくり返し、表皮をはぎ取ったものを雪の上に並べ、その上に新雪をまばらにかける。その状態で1週間ほど放置すると、オゾンの漂白効果でコウゾの皮が白くなる。それが内山紙の特徴である、雪ざらし。繊維を柔らかくする処理などさらに数工程を経て、ようやく紙をすく作業に入る。
 手間のかかる仕事だが、飯山市、野沢温泉村、栄村など北信濃の豪雪地帯の農家の冬の副業には最適だった。さらに地元や新潟などで丈夫な障子紙の需要が高く、現金収入に結びついた。内山紙づくりが地域で広まったのはそんな理由からだ。

腰をすえて自分でやっていこう。
全国との交流で決意

腰をすえて自分でやっていこう。全国との交流で決意 阿部製紙の創業は昭和30年代初め。昭和43年に地域で初めて機械すきを開始するなど、早くから積極的に新しい発想で内山紙に取り組んできた。
 阿部社長が内山紙に取り組むようになったきっかけが面白い。「地元出身の母親が若い頃覚えた技術を生かして、紙すきを始めたのが私が10歳くらいの頃。でも私は継ぐ気はなく、高校を卒業したら自動車整備士になろうと思っていた。ところが父親に家業を継げば車を買ってやるといわれ、そのままこの仕事に(笑)」。
 職人として一人前になるのに5年はかかるという修業時代。誰にも負けない内山紙をすいた母の仕事をそばで見ながら、準備の工程をひとつひとつ経験し、紙すきを身体で覚えていった。
 仕事を始めて10年ほど経った頃、内山紙も加盟する全国手すき和紙連合会の青年部がスタート。これに参加したことが大きな転機になったという。「全国大会への参加など他産地との交流を通して、いろいろな和紙があるなかで内山紙もしっかり残していかなければいけないと思うようになりました。腰をすえて自分でやっていこうと思ったのは青年部活動がきっかけ。地場にいながら、全国の産地の人と広くつきあえたのも幸せでした」。
 昭和45年からは障子紙に加え、和紙人形の揉み紙、名刺、便せんなど新たな商品も手がけるようになる。さらに新潟県の伝統行事「白根大凧合戦」に使われる大凧(5メートル×7メートル)には、今も同社が特別につくる内山紙が欠かせない。

歯止めがかからない
組合員の減少

 同社が手がける機械すきは手すきとどんな違いがあるのだろう。
 阿部社長は「紙そのものは変わらない」と言い切る。「手すきの場合、すいたものを丸1日積み重ねて自然に脱水し乾燥させますが、機械ではすきの工程から脱水、乾燥まで一連の工程で行う。かつては手すきの方が若干強度が高かったのですが、最近では機械もほとんど変わりません」。
 もとより、紙すきまでの準備工程は手すきも機械すきも同じ。黒皮を煮て繊維を柔らかくする工程で加える薬品の量の微妙なさじ加減など、自分で工夫して身につけていくものが多い。それがその職人ならではの内山紙の味わいにつながっているのだ。
 ただ違いは、機械ならではの生産効率の良さ。手すきは28.1×41センチの紙を48枚つないだものが障子紙一本分だが、機械すきは長いロールで継ぎ目なく仕上がる。「もっとも、機械すきでも継ぎ目があるものがほしいというニーズにも応えています」。
 「“寒ずき”といって2月の最も寒い時にすいた紙が一番」という内山紙だが、同社では年間を通して生産している。「手すきも夏場もできる。後継者を育てるためには冬場だけでは難しい。夏場はすき船に冷房設備を設けるなどしないと、2日も休むと水が腐ってしまうので大変なのですが」。
 とはいえ、話はそう簡単ではない。組合員のほとんどが障子紙生産のみにとどまるため、住宅の洋風化などにより障子紙の重要が激減するなか、需要増も望めないという現実があるからだ。
 明治期には地域で1000軒を超えたという内山紙製造業者。しかし洋紙の普及にともなって急速に減少し、終戦直後には100軒前後に。昭和24年には長野製紙同業組合が解散し、60~70軒の生産者で北信内山紙工業協同組合が設立され、350年の歴史を今につなぐ。
 インクがにじまず保存性にもすぐれるという特徴を生かして手がけた戸籍原簿用紙を全国の行政向けに大量に供給したり、昭和51年には伝統産業法の指定を受けるなど追い風はあった。それにも関わらず、現在まで組合員減少に歯止めがかからない。それは伝統工芸品としての内山紙の維持・存続に関わる深刻な問題だ。

産学官連携で伝統技術の継承、
後継者育成に取り組む

地域のこだわり農産物を都内契約レストランに直販 そんななかで現在、同社が先頭に立って取り組んでいるのが、産学官連携による内山紙の生産振興と伝統技術の保存・継承、後継者育成といった活動。冒頭の「和のある暮らしのカタチ展」もその一環だ。
 なかでも大きな取り組みのひとつが「いいやま匠大学」。飯山市が地域の産業・伝統工芸を支える匠の技術・技能を活かし、新たなビジネスを創出するための、ものづくりと人づくりの拠点として07年10月に開学した。あわせて人の交流を盛んにし、地域の活性化もめざす。これはふるさと財団の「大学と連携した地域づくり」の助成を受けた。
 その第1弾として、デザインやファッションなどの専門的なノウハウを持つ文化女子大学と連携。内山紙の後継者を飯山市だけでなく市外・県外から求め育成をめざす「和紙工芸科」を開いた。
 同科には、内山紙の紙すき体験により3~1級・初段が認定される「和紙工芸基礎専攻」、実務経験を積んで独立をめざす「和紙工芸士専攻」、和紙を活用した工芸品の開発や素材研究を行う「和紙工芸デザイン専攻」の3専攻を設置。授業は阿部社長本人が講師を務める「阿部工房キャンパス」のほか、文化女子大学の飯山・東京の2施設で行う。
 対象とする受講生は文化女子大学をはじめ、全国の美術系大学生から一般まで。基礎専攻は1日から6日間までの体験コース、工芸士専攻は内山紙の製造業者にホームステイして学ぶ実務経験コース(1カ月)と独立コース(1年間)が用意され、デザイン専攻は文化女子大学のカリキュラムに沿って行われる。「手応えはまだまだこれから」だが成果への期待はふくらむ。
 さらに東京武蔵野市の小学校が毎年春・秋に実施しているセカンドスクール(6泊7日)で飯山市を訪れる小学生を対象にした「手すき体験教室」や、地元小学生を対象にした卒業証書づくりや体験教室も受け入れている。
 「観光客の連泊対策として個人客の受け入れも検討するなど、内山紙にふれてもらう機会づくりに積極的に取り組んでいます。そういう体験の中から1人でも後継者が出てくればと期待しますが、内山紙の市場開拓も今後の大きな課題です」
 同社が「和のある暮らしのカタチ展」に出品した作品はまさにこの視点に立ったもの。「和紙を使ったものづくりのアイデアを練ることが趣味」という阿部社長自らの発案で開発に取り組んだ。
 後継者難や障子紙市場の縮小など、内山紙を取り巻く課題はいずれも深刻だ。そのなかで地域の伝統産業を守るという観点から、同社への期待は高まるばかり。長男が後継者として頑張る同社と、阿部社長の今後の取り組みが楽しみだ。



プロフィール
代表取締役阿部 一義
代表取締役
阿部 一義
(あべ かずよし)
中央会に期待すること

中央会への提言
異業種交流の事例・成果などの情報をもっと多く提供してほしい。

有限会社阿部製紙


経歴
1948年(昭和23年)10月11日生まれ 
1968年 (昭和43年)家業として紙すきを始める
1990年 (平成2年)有限会社阿部製紙設立、代表取締役社長に就任
出身   飯山市
家族構成   妻、長男夫婦、孫 5人家族
趣味   和紙を使ったものづくりのアイデアを練ること。

 

企業ガイド
有限会社阿部製紙

本社 〒389-2322 飯山市瑞穂4894    
TEL(0269)65-2594
FAX(0269)65-4695
創業   平成2年4月
資本金   500万円
事業内容   伝統的工芸品内山紙の製造・販売
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