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月刊中小企業レポート
更新日:2007/09/20

元気な企業を訪ねて ―チャレンジャーたちの系譜―

好調な軽自動車業界
ダイハツが年間販売首位を獲得

(株)長野ダイハツモータース代表取締役社長 和田 晶宜さん
(株)長野ダイハツモータース
代表取締役社長 和田 晶宜さん


好調な軽自動車業界
ダイハツが年間販売首位を獲得

好調な軽自動車業界ダイハツが年間販売首位を獲得 国内自動車市場が冷え込むなか、軽自動車が売れている。
 平成19年3月末現在、軽自動車の全国普及台数は100世帯当たり47.9台(8月20日全国軽自動車協会連合会発表)。税金の安さや燃費効率の良さなどにより普及が進み、ほぼ2世帯に1台の割合だ。保有台数は前年より85万9、485台多い2,475万6,432台で31年連続の増加となった。
 長野県は実に100世帯あたり92.3台。鳥取、島根、佐賀に次ぐ全国4位の普及率で、ほぼ「一家に1台」に近いレベルに達している。
 好調な軽自動車業界のなかで、特に存在感を高めているのがダイハツ工業だ。平成18年度メーカー別軽自動車販売台数で33年間トップだったスズキを抜き、初めて年間首位を獲得。登録車も含めた総販売台数に占める割合は過去最高の36%となった。
 長野ダイハツモータースは東北信地域をエリアにダイハツ全車種の販売を行うディラー。一方、関連会社「ファーレン長野」を長野、松本、上田、飯田の4カ所に展開し、長野県全域でフォルクスワーゲン、アウディの販売を行っている。
 軽自動車市場の好調はもとより、輸入車のなかでも日本ではトップクラスの人気を誇るフォルクスワーゲン車を扱い、同社の業績も順調だ。

自転車製造・販売で創業、こだわりのものづくりで信頼獲得

 「和田正のリヤカーを使っていたと声をかけてくださるお年寄りもまだ結構いらっしゃるんですよ」
 そう話すのは、和田晶宜長野ダイハツモータース社長。今年創業100年を迎えた老舗企業「和田正」現会長、和田守也氏の長男だ。
 昭和36年に設立された同社のルーツは明治40年、和田正太郎氏が個人創業した自転車の製造・販売店にさかのぼる。
 和田正太郎氏は鉄板をパイプ状に加工してフレームなどの部品をつくり、それに輸入部品を組み合わせてオリジナルの自転車やリヤカーを製造し、販売。品質の高い製品づくりへのこだわりから、オリジナルブランド「雷電号」は絶大なる信頼を獲得した。
 戦後間もなく(昭和22年)正太郎氏が代表となり「株式会社和田正商会」を設立。30年から原付バイク、オートバイの販売・修理業務を開始した。その時、登場したのが「ダイハツ・ミゼット」。数年前に大ヒットした映画『ALLWAYS 三丁目の夕日』でも印象的に使われたオート三輪車だ。
 和田現会長は「これだ!」とさっそくダイハツ工業に出向き、販売権を取得。それがきっかけとなり昭和36年、ダイハツ車ディラーとして同社が設立された。
 戦後の復興から高度成長へという流れのなかで大量生産の時代を迎え、和田正はものづくりから流通・販売に特化。扱う商品も自転車からバイクへ、そして四輪車へとシフトしていった。その流れのなかで誕生したのが同社だったのである。
 以来、半世紀近く軽自動車を取り巻く状況は紆余曲折を経て、4~5年前の原油高が引き金となり、軽自動車が50%を占める時代へと変化してきたのは冒頭でふれた通りだ。

時代のニーズを鋭くとらえ、軽自動車、そして輸入車へ

(株)長野ダイハツモータース代表取締役社長 和田 晶宜さん 「私が社会に出た1970年代はお客様のニーズが軽自動車から小型車へとシフトしていった時代。軽自動車はあまり性能が良いとはいえず、2台目からは小型車へ移ってしまう。一生懸命サービスに力を入れているのにと、何となくむなしい感じがして、将来的には小型車も販売していきたいと漠然と考えていました」と和田社長は当時をふり返る。
 もっとも80年代に入ると女性の社会進出が活発化し、主婦も積極的にパートなどの仕事に就くようになる。収入を得たことで経済的余裕が生まれ、それまで自転車やバイクで出かけていた主婦たちが軽自動車に目を向けた。それがダイハツ「ミラ」の爆発的ヒットにつながる。
 「長野県は特に女性の就業率が高く、そういった社会構造の変化によってセカンドカーとしての位置づけが明確になった。それが売れた要因だと思います」
 さらに長野県では、自動車を取り巻く環境に大きな影響を与える出来事が起こる。98年長野冬季オリンピックの開催決定だ。立ち後れていた高速道を含む県内道路網の整備が急ピッチで進み出す。本格的な高速道路時代を控え、耐久性が高くより高性能な車へのニーズの高まりは当然予想された。
 そこで和田社長は、かつて「漠然と」考えた小型車販売への取り組みを真剣に検討。アメリカが日本の自動車市場の閉鎖性を訴え、国内市場の規制緩和が進んだ時期とも重なり、フォルクスワーゲンのディラー権を取得する。「夏の暑さ、冬の寒さと雪や氷に強く、山間地でも使い勝手が良くて信頼性が高く、商品価値の高い車はないか。たとえ高級ブランドでも長野県で使えない車では意味がない。数多くの海外メーカー車をテストした結果、フォルクスワーゲンとアウディの取り扱いを決めました」
 現在「ファーレン長野」は県内全域に販売エリアを広げ、1ディラーとしては全国トップの店舗数を誇る。

サービス技術で全国トップクラス
「お客様満足」の精神が脈々と

 自動車ディラーとして、新車販売に総力をあげることはある意味当然のこと。しかし同社は「販売後もお客様の面倒をよくみる」「お客様に喜んでいただく」ことをより重視する。整備技術へのこだわりと技術力アップへの力の入れ方は、ものづくりから発祥した企業のDNAそのものだ。
 同社では毎年自動車整備専門学校の卒業生を数多く採用。社内トレーナー制度を導入し「先輩が後輩を教え育てる」取り組みを徹底し優秀なメカニックとして育て、さらに技術力向上に取り組んでいる。
 その成果は2年に1度行われる「ダイハツ整備技能競技会」で全国最多となる全35大会中7回優勝という実績にも表れている。またファーレン長野でも「フォルクスワーゲン・ディラー・パフォーマンス・コンテスト」のサービステクニシャン部門で準優勝に輝く選手を輩出。技術力の優秀さでは定評がある。
 「全国では”打倒!長野ダイハツモータース“が合い言葉になっているようです(笑)。先日も甲信越地区大会が当社工場で行われましたが、接戦を勝ち抜き7連覇。再び全国大会への出場を決めました。ものづくりから出発した伝統文化が今も連綿とつながっているのです」
 県内ディラーとして初めて車検センターを設置したのも、きめ細かく質の高いサービスの結果、車検の需要が高くなったからだという。
 自動車という「機能商品」は新車が出るたびにパーツ、塗装、ITなどの精度が向上する。それに対応するため同社はメカニックはもとより、営業部隊も巻き込んだ地道な質の向上を図ってきた。それが今日の信頼につながっているようだ。
 「自ら作って売る―これが当社の原点。だから取り扱う商品の使い勝手や性能にはこだわり、お客様が期待する能力を発揮しないものは看過できません。そんな商品はたとえ価格を引いて販売しても結局は満足していただけない。お客様に心から満足して使っていただくこと。その精神が当社の伝統的企業文化として今も脈々と生きています」
 同社では顧客とつねに接するディラーとして、ユーザーの声をメーカーにフィードバックし、商品開発に生かしてもらう取り組みにも積極的だ。
 「長野県は夏暑く、冬寒い。しかも積雪や凍結のため塩カルが大量に撒かれる。自動車には非常に厳しい環境だけに、ここで発生したトラブルやクレームは改良すべき点を教える貴重な情報になる。最終的にはお客様の声を反映した商品が残る。それを担っていくのが我々の仕事なんです。当社はそんな情報が提供できるディラーとして、メーカーから一目置かれる存在と自負しています」と和田社長は胸を張る。

「同じ井戸より隣に井戸を掘れ」
やるからには水が出るまで

「同じ井戸より隣に井戸を掘れ」やるからには水が出るまで 「自動車ディラーは新車、中古車、サービス、部品販売、保険の各部門があり、それぞれにプロがいないと回らない複合的なビジネス。しかしその垣根を取り払い、営業所として経営していく考え方が大事だと考えています」
 同社は代々、独立採算制と月次決算を基本とし粗利重視の経営を行ってきた。現在、中古車とサービスで粗利の7割を稼ぎ出すことを目標に全社で取り組んでいる最中だという。
 「ある方が講演で”2代目は同じ井戸より、隣に井戸を掘れ“と話しました。親父の井戸は将来は枯れる。それだけに頼っていてはいけないが、かといって、とんでもないところに掘るのもまた難しい。親父の井戸の隣に掘るというのが良いのだと。たとえ最初は石しか出てこなくても、やるからには水が出るまで掘るべきだと言うのです。
 それを聞いて、私はまさにそれをやろうとしてきたんだと分かりました。現在はダイハツディラーとしての事業も隆々としていますが、その隣に輸入車販売という井戸を掘って14年。今ようやく水が出てきたかなというところですね。それをやらせてもらったこともありがたいし、隣に掘ったこともよかったと思っています」
 同社はダイハツ工業100周年を記念し、長野県を通して介護施設に福祉車両を寄贈した。また福祉車両の販売など福祉分野にも力を入れる。「少子高齢化が急速に進むなかで、一人でも多くのお客様のご希望に添うことが我々の使命と痛感しています」
 商品の品質にこだわり「お客様が心から満足する商品を届ける」という同社のポリシーは、時代やライフスタイル、取り扱う商品が変わっても不変だ。「今が第2の創業と思っている」という和田社長。次に掘るべき井戸はどこに探しているのだろうか。


プロフィール
代表取締役和田 晶宜
代表取締役社長
和田 晶宜
(わだ まさのり)
ファーレン長野(株)中央会に期待すること

中央会への提言
 組合を窓口に出張指導をしていただいているが、各組合員には主旨がなかなか伝わりにくいのが実情。事前に指導や研修の内容をPRしてほしい。

経歴
1953年(昭和28年)2月4日生まれ
1982年 (株)長野ダイハツ入社
1999年 (株)長野ダイハツモータース代表取締役社長に就任
2000年 ファーレン長野(株)代表取締役社長に就任
出身   長野市
家族構成   妻、子供2人
趣味   朝のウォーキング

 

企業ガイド
株式会社長野ダイハツモータース

本社 〒380-8565 長野市稲葉中千田2142
TEL(026)227-3161(代)
FAX(026)228-5365
創業   昭和36年2月
資本金   8,000万円
事業内容   ダイハツ全車種の販売、福祉車両の販売・整備、車検・定期点検・一般整備などのサービス、純正部品用品の販売、自動車保険の取扱いなど
事業所   飯山・中野・須坂・北長野・長野・篠ノ井・更埴・上田・上田川西・小諸・佐久・マックス中野・マックス三輪・マックス稲葉・マックス佐久・部品センター・長野車検センター・上田車検センター・配車センター
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