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月刊中小企業レポート
更新日:2007/06/20

元気な企業を訪ねて ―チャレンジャーたちの系譜―

八ヶ岳山麓の高原野菜一大産地に。
信頼される種苗の提供で明日の地域農業を担う。

嶋屋種苗株式会社代表取締役会長 井出 公陽さん
嶋屋種苗株式会社
代表取締役会長 井出 公陽さん


高原野菜の一大産地化へ。

高原野菜の一大産地化へ。  長野県は全国一の生産量を誇るレタスの一大産地。高原の冷涼な気候を活かして栽培する夏場のシェアは圧倒的だ。首都圏をはじめ全国に新鮮なまま届けるため、未明から採り入れ出荷する「朝切り」や、真空予冷庫を導入するなど鮮度維持には特に気を使っている。
 地中海沿岸から中近東が原産のレタス。平安時代から「ちしゃ」として栽培されていたが、本格的に生産されるようになったのは戦後、朝鮮戦争の頃から。米軍が戦地で食べるために日本に生産要請があったのが始まりだという。長野県では川上村をはじめとする佐久地方と塩尻地方で生産が始まり、日本のレタス栽培の草分け的産地となった。レタスは高温に弱いため、夏場は冷涼な地を選んで栽培されたからだ。
 レタスは畑に種をまいて収穫まで約90日。この期間を半減し、複数回の収穫を可能にしたのが苗の植付けによる栽培方法だった。昭和40年代、この方法にシフトしつつあったアメリカ農業を何度も視察。地域の関係者とともに苗の普及に尽力したのが、嶋屋種苗の井出公陽代表取締役だった。
 「40年代まではマルチフィルムも使っていなかったので、種まきから間引き、除草とかなり手間がかかった。しかしアメリカ視察で、畑への直まきと苗の植付けとでは栽培管理面での労力の違いが大きく、苗は少面積でより手をかけることができるため品質のばらつきも少なくなることが分かりました。それで苗づくりからやっていこうと移行したのです」
 直まきから苗の植付けへ。アメリカに影響されて普及をめざした取り組みだったが、定着したのは昭和50年代になってから。「先がけだったこともあり、約10年はなかなか軌道に乗りませんでした。苗の値段は種の10~20倍もしたので、農家がなかなか買い切れないという問題も大きかった」。
 しかし時代は動く。野菜の大量生産・大量消費という時代の波をとらえ、行政、JA、農家等が連携し、八ヶ岳山麓は高原野菜の一大産地へと成長。その呼び水となったのが、井出さんらの取り組みだったのである。

商売そのものを皮膚感覚で身につけてきた

商売そのものを皮膚感覚で身につけてきた 同社は明治時代に入って間もなくより、蚕種の販売業としてスタート。養蚕業の衰退にともなって、野菜や花卉の種苗の販売が中心となっていった。井出さんはその4代目。今年2月に社長職は二男に譲ったが、引き続き代表取締役として経営に携わる。
 「職業軍人だった父親(3代目)は昭和20年に戦死。私は昭和30年に高校を卒業してすぐ、18歳で4代目を継ぎました。もっとも中学時代から祖父に連れられて東京の問屋への仕入れや、千葉、茨城の農家から山上げ(農家に委託してつくってもらった種を持ち帰ること)をしていたのです。祖父は試験があろうがお構いなし(笑)。私は嫌々でしたが、高齢の祖父は少しでも早く跡取りとして私を仕込みたかったようです。その年の9月、見届けるように祖父は83歳で亡くなりました。茨城県土浦の荒川沖あたりのなじみの問屋の間では今でも、私が学生服で仕入れに来たという話は有名なんですよ(笑)」
 農家とのかけひきや、手の皮膚感覚で鮮度を察知し良い種を選別することなど、中学生時代から祖父に仕込まれた商売のテクニックは貴重な財産となった。加えてさまざまな経験が今日の井出さんを形作っている。
 「いつものように山上げに行くと、大手問屋に私が手付けした種子を倍額で引き取られてしまった、なんてこともありました。当時は年に一度しか種が採種できないから、種が手に入らないとなったらもう大変。厳しさも嫌というほど味わいましたが、商売そのものを皮膚感覚で身につけてきたという気がしています」

その性質を知り尽くさないことには信頼できる苗はできません

その性質を知り尽くさないことには信頼できる苗はできません 同社では種子の販売のかたわら、きめ細かい温度管理が可能な自社農場(ハウス)でレタス等の野菜、花卉の苗の生産も手がける。農家が確実に収穫を手にすることができる苗づくりには高度な技術が不可欠だ。
 「『苗半作』という言葉が昔からあるように、作物は苗の段階で半分できている。それだけに、その性質を知り尽くさないことには信頼できる苗はできません」。例えば白菜は13度以下の温度条件で苗を作ると、畑に植えてどんなに手入れをしても結球せずに花が咲いてしまう。逆にキク科のレタスは高い温度条件で育った苗は結球しない。育苗管理をいかに厳密に行うかが一番重要だ。
 「今はハウスに温度センサを付け、自動的に暖房したり、空気を入れ換えて冷やしたりできるようになっていますが、昔はハウス内の温度を人がつねに肌で感じ調整していました。どんなに酔っぱらって帰っても、夜中に必ずハウスを一回りしたものですよ(笑)。苗の良し悪しは農家の収益に関わる。農家は我々が生産した苗を信用して買ってくださるだけに責任は大きく、その信頼関係で成り立っている仕事です」
 同社の育苗技術を担うのは、農業大学や農学部で専門知識を身につけてきた社員たち。とはいえ長年にわたる農業経験によって、苗づくりを肌で覚えてきたベテランの豊富な知識が大きくものをいうことも少なくない。
 大切なのは、信頼できる苗づくりとともに、「顧客である農家に栽培技術指導ができる人材の育成」と井出さんは強調する。
 「社員はJAの技術員と対等に話ができる技術レベルを身につけてほしい。当社では新種の種苗を売り込む際、必ず品種ごとに性格をつかみ詳しく説明し栽培指導を行います。例えば、生育土壌の窒素、リン酸、カリなどの成分はこういう比率にしてくださいとか、これは肥料が少なくてすむだとか。消費者に好まれる野菜づくりをめざしてブリーダー(育種業者)が苦心の末に作り出した種苗は性格がすべて違いますから。農業も工業と同様、日々進歩し、生産者もかなり勉強されています。それだけに我々もつねに最新の技術・知識を身につけていかなければと考えています」
 ただ、井出さんが懸念するのは「ひとつの品種の寿命サイクルが短くなっている」こと。生産者の目が新しい品種へと向きがちで、十分作りこなせないうちに新しい品種に手を出すからだ。そのためなかなか栽培成績が上がらず、いつまでも収益が上がらないという悪循環。そんな生産者に的確な指導を行うのも同社の仕事と考えている。

業界と地域農業の発展に大きく関わる

 若くして種苗の生産販売事業に経営手腕を発揮する一方、井出さんは県内はもとより全国の種苗業界と地域農業の発展に大きく関わってきた。
 端緒となったのが、家業を継いでまだ間もない頃、県内同業者が集まる「長野県種苗生産販売協同組合」の設立に参加したことだった。
 同組合は種苗の協同生産・販売・購入・備蓄保管等の協同事業をめざして設立された。長野県は県、市町村、農業関係団体、種苗関係団体が一体となって「長野県原種センター」を中心に種苗生産を一元化し、県試験研究機関の研究成果をスピーディに農家に普及させる取り組みに全国で先駆的に着手。同組合は種苗業界としてそれを具体的に担ってきた。
 井出さんは当初から積極的に活動し、昭和44年には初代青年部長に就任。県農業試験場などと連携して新品種の育成、優良種苗の増殖技術の開発に努める。平成14年からは同組合理事長として、長野県における種苗生産流通のけん引役という重責を担う。
 一方、長野県農業のあり方、生き方を根本的に変えなければという強い思いから、長野県議会議員も3期務めた。「10アールあたりの損益分岐点は長野県は40万円。一方、東北は20万円、北海道は10万円です。今までは長野の農業技術が上回っていたので有利に進んできましたが、技術の差はどんどん小さくなってきている。それが長野県農業が抱える大きな問題です」。
 昭和46年には全国の若手種苗業者が集まる「青年種苗人懇談会」の初代会長に就任。さらに品種改良の促進、生産の改善、円滑の流通、国際交流の発展をめざす「日本種苗協会」に設立当初から理事として運営に参画するなど、全国業界の発展にも尽力している。
 食品、醸造などの大手企業が種苗事業で成果を上げ、大手建設業が機械産業的農業分野に参入するなど、種苗業界や農業を取り巻く状況も変化している。「工業の空洞化と同様、最近は種苗の海外生産も増え、国産の半値くらいのものが入ってきています。また日本の中堅ブリーダー企業が世界的な企業と合併するなど、我が業界にも国際化の波が押し寄せてきている。それらにいかに対抗するか。難しい課題です」。

苗づくりで特に気を使うのは、安全・安心です

 食品関連業界の不祥事が続き、食の安全性への信頼が揺らぐ昨今。「苗づくりで特に気を使うのは、安全・安心です」と井出さんは力を込める。
 「特に農薬の問題。例えば、野菜の生育過程のなかで2回しか使用できない農薬の場合、生産者が2回使用する状況が予想されるので当社では使いません。残留農薬の検査は今簡単にできる。うかつなことをするとひとつの産地に致命的な打撃を与えかねません。今は何よりもまず安心・安全。その上で、消費者ニーズに合った”おいしい野菜“づくりをめざしています」
 苗の植付けの定着と栽培技術の向上は一方で、生産過剰による価格低下と、高額な農業機械の導入など生産コスト高による利益率の低下という、生産者にとっては皮肉な状況を招いた。厳しいコストダウンが農業にも求められているのだ。
 労働力確保も課題だ。佐久地域では人材派遣や中国人研修生を活用するケースも増えているが、農業ならではの労働時間の問題に頭を悩ませる。
 「農業は季節的要因があり、朝8時から夜5時までの8時間労働という働き方にもなじまない。職業安定法は職業ごとの事情にあった労働時間を考えなければいけないと思います。今の労働体制は大企業にあわせて作られているように感じる。スローライフなどが注目されるなか、ゆっくり昼寝ができる労働体制というのも悪いことではないと思いますよ(笑)」
 農業に新しい種をまき、育てていくこと。井出さんの仕事は長野県の農業全体を支えている。



プロフィール
井出 公陽さん
代表取締役会長
井出 公陽
(いで きみはる)
中央会に期待すること


中小会への提言

 協同組合に環境関連やグリーンビジネスの企業・団体が参加し始めている。工業だけでなく、農業分野にも中央会として目を向けていってほしい。

嶋屋種苗株式会社

嶋屋種苗株式会社


経歴
1936年(昭和11年)6月2日生まれ
1954年 嶋屋種苗(株)代表取締役社長に就任
2007年2月 嶋屋種苗(株)代表取締役会長に就任
出身   佐久市臼田
家族構成   妻・二男夫婦・孫3人
趣味   土いじり。自ら品種改良した花豆をはじめ、さまざまな品種を自分の畑で試作栽培。自社で販売する種苗の何%かは自ら栽培を手がけている。

 

企業ガイド
嶋屋種苗株式会社

本社 〒384-0301 佐久市臼田1706
TEL(0267)82-3171(代)
FAX(0267)82-5968
創業   明治22年
資本金   1,000万円
事業内容   野菜・花卉種苗、農業・園芸資材、農業施設等の販売及び生産
事業所   本社、小売部売店・佐久穂町売店
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