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月刊中小企業レポート
更新日:2007/2/09

元気な企業を訪ねて ―チャレンジャーたちの系譜―

伝統技術の継承、改良から新工法開発へ。
伝統的建築様式を高級鋼板と先端技術で造り出す現代の名工。

株式会社二見屋代表取締役社長 水沢 仁亮さん
株式会社二見屋
代表取締役社長 水沢 仁亮さん


屋根・板金施工で県下トップクラスの実績

清水寺(長野市)ステンレス加工施工ステンレス鋼材による寺社造営 現在、長野市の善光寺では重要文化財である三門の大修理が行われ、寛延3年(1750)落慶当時の栩葺(とちぶき)に復元が進む。
 社寺建築では檜皮葺、柿葺、茅葺、瓦葺といった伝統的工法が多く用いられてきたが、一方で銅板を中心とする金属屋根の歴史も古い。銅板自体が非常に高価だったが寺社建築などに多く使われ、現存する最も古い建物は日光東照宮(1636年建立)。東京・お茶の水にあるニコライ堂(1891年)や日本銀行本店(1896年)も有名だ。
 銅板葺屋根は時間の経過とともに、当初のきらびやかな「赤橙色」から、最終的に独特な「天然緑青色」へと変わる。その地域の自然環境、温度、湿度などの条件で緑青がさまざまな表情を見せるのが大きな特徴だ。
 江戸時代に飾り職としてスタート以来、建築金物ひと筋に百数十年の歴史を持つ二見屋の五代目、水沢仁亮社長は「銅板は生きているんです」と言う。
 善光寺出入り職としての重責を担うとともに、長野県内外の社寺などの伝統的建築物から一般建築まで、屋根・板金施工で県下トップクラスの実績を誇る同社。
 社寺では善光寺を筆頭に、湯島天神神楽殿(東京)、清水寺(長野市若穂)、四柱神社(松本市)、湯島天満宮信濃支社(長野市)など。一般建築では八ヶ岳高原音楽堂のほか、最近では軽井沢大賀ホール、軽井沢星野リゾートなどを手がけている。
 「伝統的建築物、一般建築のどちらにも実績を持っていますが、以前に比べて一般建築の比率が減少。伝統的建築物にじっくり腰を落ち着けて取り組んでいます」と水沢社長。ピーク時には売上高15億円を記録したが、バブル崩壊後、6億円にまで急落。現在は7億円を超えるまでに回復してきた。
 一人親方など中小零細業者が主体で、後継者難、経営困難などに悩む建築板金業界。水沢社長は長野県板金工業組合理事長の重責を担い、業界活性化にも熱心に取り組んでいる。

江戸時代から続く善光寺出入りの飾り職


 同社は明治二十六年、建築飾り金物の「二見屋鉄工所」として長野市から鑑札を受ける。これを創業とするが、江戸時代から飾り職として善光寺および界隈の商家の建築金物を請け負っていたという。
 戦後、屋根材にトタン(亜鉛鉄板)が多く使われるようになるとともに、銅板の工事数も増加。同社は昭和26年「有限会社二見屋板金加工所」に改組した。昭和39年には「有限会社二見屋金属工業」に改称し、昭和61年「株式会社二見屋」となり、現在にいたる。
 「先代まで土蔵のヒンジから錠前まで手がけていました。老舗の問屋から土蔵の錠前が開かなくなったと連絡を受けては、先代が開けてきたりしていたんです。昭和30年代からは茅葺き屋根がトタンに葺き替えられるようになり、次第に屋根の仕事にシフト。高価でなかなか使えなかった銅板も、高度成長期の昭和40年代から徐々に一般にも使われるようになり、また軽くて切れ目のない長尺銅板の登場と、一番の欠点だった錆をコートして長持ちさせる技術が進歩したことで需要が大幅に伸びました。昭和六十年代に入ると、既存鋼板屋根のメンテナンスに塗装を行うなど、ランニングコストのかかるトタンから、長持ちがしてメンテナンス不要というメリットにより銅板への張り替えが進みました」
 伝統を継承していく飾り金物。昭和30年代までは毎年一月一日の深夜、親方と職人がふいごで鉄を溶かし、守り神である不動明王の剣を打つ正月儀式も続いていたという。
 「当時も珍しく、マスコミが取材に来たものです。しかし昭和41年に現在地に移転以降、途切れてしまいました。残念ですが、やはり時代の流れで……」

必要は発明の母。つねに新たな工法を探る

湯島天満宮信濃分社湯島天神神楽殿(東京) 水沢社長は昭和34年に入社。現場で修業を積み、伝統技術を継承するとともに、新しい技術、商品の開発にも積極的に取り組んできた。
 昭和49年には新たな屋根葺き工法として「長尺やまと一文字葺き」を意匠登録。これはコイル状になった長尺銅板をそのまま使い、短い銅板をつないで張っていく伝統的な「一文字葺き」の美しいデザインを実現するとともに、雨漏りもほとんどなく施工も早い画期的な工法だ。さらに屋根材の完全緊結加工を可能にする「芯木なし瓦棒C型鋼締付金具」も考案し実用新案特許を取得した。水沢社長はこれらの特許を広く業界に公開し、普及に努めた。
 「銅板は生きている」と話す通り、夏は伸び、冬は縮むが、その伸縮度合いは半端ではないという。一日の内でも、また日向と日陰、風通しなど建物が置かれた環境によっても伸び縮みがある。それを考慮に入れた工法をとらないと銅板が切れてしまう。加えて雨漏り対策も重要だ。
 水沢社長は銅板が継ぎ目で伸縮を調整しているため夏にも冬にも対応できる屋根材の加工法を考案。その後もつねに改良を加えているという。
 一方、昭和50年代には、寺社などの伝統建築用に日本古来の木組技術である「枡組(ますぐみ)」を木造そっくりに造り出すステンレス鋼材を開発。東京の湯島天神神楽殿、善光寺大勧進位牌堂など数多くの施工例を持つ。「当社工場で施工材を加工し、現場で溶接して組み上げます。軽い、燃えない、工期が短い、価格が安いというメリットがあり、木に近い色を着けているため一見してステンレスとは分かりません。この技術を持っているのは日本で当社だけ。そんなことができるのかと建築家も驚きます」と水沢社長は胸を張る。
 「必要は発明の母。今も他と変わった工法、省力化したり仕事を効率化できる工法をつねに探っています。今年も新しい工法に対応した加工機械を開発したんですよ。それが若い職人たちの励みにもなるんですね」

建物が”作品“として将来に残っていく仕事

 微妙な曲線を描く寺社の屋根。銅板葺きの場合、現場で職人が銅板を打ち出し、伸ばしたり縮めたりしながらかたちを整えていく。まさに職人技だ。
 昭和45年に一級板金技能士を取得した水沢社長は今も現役の職人として腕をふるい、信州伝統的建造物保存協会と信州名匠会に属して技術の研さんと伝承にも努めている。それが評価され、平成16年度「信州の名工・卓越技能者表彰」(長野県)、平成18年度「現代の名工」(厚生労働省)を受賞した。
 一人前になるまでには五年、十年かかるという職人の世界。同社では若手技能者の育成のため3年間にわたって職業訓練校に通わせる。過去約30人が卒業した。そこではさみの使い方、金づちの打ち方といった基本をたたき込み、資格も取得させる。さらに自社に実技研修場を設け、原寸図の確認、加工工程での部材の罫書、切断、曲げ、叩く等、板金工事に関わる初歩からの実技指導も行う。
 その上で現場で親方から弟子へと技術を伝える昔ながらの徒弟制度の中で修業を積んでいく。後継者不足に悩む業界だが、同社には弟子入り希望者が毎年数名門を叩く。
 水沢社長は昭和49年、地域職業訓練校指導員の資格を取得。以来、業界の若手技能士育成にも積極的に取り組んでいる。平成16年には長野県技能検定委員に委嘱され、技能試験のための受験準備講習会講師として指導にあたっている。
 「若者を育てる上で大切なのは、まず仕事に興味を持たせること。当社が手がけるは地域でも有名な伝統的建物ですから、よく新聞などで取り上げられる。若手職人にはその記事を見せるように心がけているんです。自分もそんな建物を手がけられるようになりたいと励みになるからです。徒弟制度をあえて残しているのも、やがて自分も親方になるという目標を持たせ、やりがいにつなげるため。
 私はよく、君たちは芸術家なんだと話すのですが、それは自分の手がけた建物が”作品“として将来に残っていく仕事だからです。若者は目的さえちゃんと理解し納得すれば、一生懸命に仕事をしてくれますよ。自分はこういう仕事をした、これをやったという手応えが若者にとって大きなやりがいとモチベーションになり、職人としてのプライドにもつながっていくんです。ですから、当社の若手職人はたとえ茶髪にしていても仕事中は真剣そのもの。定着率も非常に良いんですよ」

建築板金はやりがいのある仕事

芋井神社(長野市) 水沢社長は平成17年、県下500人余の組合員を擁する長野県板金工業組合の理事長に就任した。
 以来、全国に先がけた責任施工10年保証制度の導入、組合員の福利厚生のための共済事業推進など、長野県業界発展をめざした積極的な施策を展開している。また将来の業界の盛衰を左右する組合青年部の育成に力を入れ、毎年行われる全国建築板金競技大会に県で勝ち抜いた代表を送るなど技能レベルの向上にも力を入れる。
 「今、板金業界は厳しく、一人親方は自分の子供を後継者にすることもできない(したくない)というのが現実です。しかし、ある程度業者の減少が進むのは仕方がないとしても、良い組合組織を作って同業同士まとまれば、受注、技能継承、後継者問題等でもっと余裕のある環境が生まれるのではないかと思う。私は建築板金はやり方によっては十分儲かる仕事だと思っています。見積もりもそれぞれが出すのではなく、組合組織を活用して共同受注するかたちにすれば、それなりの金額を確保することもできるのではないか。要はやり方次第だと思うのです」
 伝統技術の継承、歴史的建築物の調査など文化財保存にも情熱を傾けるとともに、つねに従来の技術を見直し、新しい工法の開発に意欲的に取り組む水沢社長。業界を束ねる組合理事長としても、業界の厳しい現状を打破すべくさまざまな取り組みを展開し、卓越したリーダーシップを発揮している。



プロフィール
代表取締役社長水沢 仁亮(みずさわじすけ)
代表取締役社長
水沢 仁亮
(みずさわじんすけ)
中央会に期待すること

中央会への提言
 組合としてはつき合いも深くいろいろと指導をいただいておりますが、一般組合員企業との接点があまりない。一般組合員と接する機会をもっと増やせば、中央会への理解・関心もより深まると思います。

土屋製工株式会社
本社


経歴 1941年(昭和16年)1月16日生まれ
1959年 (株)二見屋板金工業所に入社(64年(株)二見屋金属工業に改称)
1974年   専務取締役に就任
1986年   (株)二見屋に改称し、代表取締役社長に就任
出身   長野市松代町
家族構成   妻、娘、犬5頭、ネコ2匹
趣味   海外旅行、ゴルフ

 

企業ガイド
株式会社二見屋

本社 〒381-2214 長野市稲里町田牧190    
TEL(026)284-3113(代)
FAX(026)284-2007
創業   明治27年
資本金   2,000万円
事業内容   社寺銅板屋根請負施工、社寺飾金物請負施工、屋根・板金全般請負施工、鋼構造物工事請負施工、ステンレス防水請負施工、ステンレス・銅・鉄板加工、建築工事全般請負施工
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