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月刊中小企業レポート
更新日:2006/03/30

元気な企業を訪ねて -チャレンジャーたちの系譜ー

“「老舗は最も新しい」
―本物の商品づくりと経営で、野沢温泉を全国レベルのブランドに仕立てたい。”

森 行成さん
旅館さかや
社長 森 行成さん

前身は造り酒屋。
野沢温泉を代表する高級旅館

 信州と越後の境近く、8世紀に発見され、江戸初期から農閑期を過ごす湯治湯として人気を集めていたという野沢温泉。今も全国有数の人気温泉地であり、日本のスキー黎明期から続く長い歴史を持つ野沢温泉スキー場や野沢菜漬のふる里としてもよく知られている。
 野沢温泉を象徴するのが、温泉街13カ所に点在する外湯(共同浴場)だ。住民などによりつくられる、昔ながらの「湯仲間」という制度により厳格に維持管理・運営がなされ、誰でも自由に利用できるようになっている。
 30余りの源泉があるが、すべて自然湧出。それが野沢温泉の人々の誇りだ。この湯を守るため、温泉の総元締めである「野沢組」と呼ばれる惣代や住民などが管理し、掘削やポンプアップ、さらには井戸を掘ることも禁止するなど調整しているという。
 野沢組は温泉のほか村の山林、河川などを管理し、日本三大火祭りのひとつに称される「道祖神火祭り」といった伝統文化も継承する。
 「旅館さかや」は、温泉街の中心にあり野沢温泉のシンボル的な外湯、大湯の隣にある老舗旅館。大湯の源泉は旅館の敷地内にあり、そこから引き湯しているという。
 さかやの前身は造り酒屋。屋号もそれに由来する。明治四年の火災を契機に湯治宿に転じた。その後、素朴なスキー宿から積極的に設備投資を繰り返し、現在は野沢温泉を代表する高級旅館として自他ともに認める存在だ。

『雪への回帰』という手紙を書き、野沢に戻り旅館を継いだんです

 「ぼくの思い、テーマは一貫している。この温泉地に本物の旅館をつくりたいということ。そして地域づくりです」
 森行成社長は「戦国時代この地に来た先祖から数えて、正確には20代目」。高校時代は同級生だった夫人とともに大回転でインターハイを制覇、大学でもインカレ、国体、全日本とチャンピオンに輝くスキー選手としてならした。
 早稲田大学卒業後ジャーナリストを志し、通信社に就職。新聞記者として世界を飛び回る。S・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』の舞台となったミュンヘン・オリンピックでのパレスチナゲリラの選手村襲撃事件、フィリピン・ルバング島での小野田少尉発見など、歴史的事件の報道にも携わった。
 ちょうどその頃、義父が村長に。「半年、悩みに悩んだ」末にジャーナリスト生活に終止符を打ち、旅館を継ぐことにした。決め手は息子3人をスキー選手にしたいという思いだったという。後年、次男はノルディック複合で長野、ソルトレークシティのオリンピックに出場、三男(故人)は長野のフリースタイルの代表選手に選ばれるなど大きな活躍を見せた。
 「夫婦二人とも選手だっただけに、私たちのスキーに対する思いは並大抵のものではありません(笑)。長男4歳、次男2歳、末っ子がおなかにいた。この子たちを一流のスキー選手にするには2、3年後からではもう遅い。いずれ戻るなら早くスキーをさせようと。そして私はヨーロッパにいた新聞記者の仲人に『雪への回帰』という手紙を書いて野沢温泉に戻り、旅館を継いだんです」
 昭和48(1973)年2月のこと。スキーブームのまっただ中で、野沢温泉の旅館はどこもシーズン4カ月で年の7割を稼いだという。家業の旅館も義母を中心に番頭、板前、仲居等数人で切り盛りする典型的なスキー宿。年間売上高はささやかだった。
 世界を飛び回り、行く先々で「本物」の宿泊施設に触れてきた森社長はこの時、「本物の旅館を野沢温泉につくりたい」と思ったという。「スキーブームでどんどん儲かっていたけど、本物はない。料理も出し方からこだわるような、本物の宿がほしいと」。
 ハイレベルな観光地として知名度を上げるまちづくりの取り組みとともに、森社長の挑戦はここから始まった。

「老舗は最も新しい」。
だから私は本物をつくりたい

 入社3年後の76年、4億円ほどの投資を行い本館を建設。オーナーセールスに飛び回るとともに、「家族全員で布団敷きをするくらいに走り回」って年商は右肩上がりで伸びた。そして94年再度大型投資を行い、一時は13億もの負債を背負ったが年商は順調に伸長。現在は確実に利益を確保できる状況にある。
 もてなしのサービスはもとより、森社長のこだわりやアイデアは館内各所に発揮されている。
 自慢の大浴場は本格的な湯屋づくり。敷地内に湧く源泉の温度は60度以上だが、工夫を凝らし一滴の水も加えず適温にしている。
 料理は地産地消にこだわった旬の素材、郷土料理を基本に、洗練されたセンスでまとめあげた信州創作和食。盛られる器にもこだわり、美濃焼、備前焼、それぞれ気鋭の陶芸家のオリジナル作品を使っている。ゆったりと過ごせるよう数々のアイデアが凝らされた客室づくりも見事だ。
 食事に出す野沢菜漬やたくあんは近くの畑で収穫したものを毎年1週間以上かけて自ら漬ける。その量、実に3トン以上。無添加の本物ならではの味と色が自慢だ。使う塩は「子供の頃食べた野沢菜の味を出したい」と各地を探し求めて見つけたインドネシアの塩。「私のやっていることはまさにスローフードです」。
 さかやでは宿泊客の声を聞くため、館内各所に「旅日記」というノートを置く。そこに綴られる宿泊客の言葉の9割が感謝の言葉だという。
 「私たちの仕事はお客様の心、感性に訴えること。だから備品、料理から従業員のサービス、立ち居振る舞いまですべて本物を追求しています。本物が分かる方にこそ分かっていただきたい仕事です」と森社長。
 それは一朝一夕には不可能。さかやでは「社員教育がしっかりと行き届くように」と40人ほどのスタッフはすべて年2~3回の社員研修を受ける。
 「老舗は最も新しい」。旅館に対する森社長の持論だ。「老舗とは頂戴したブランドのようなもの。戦国時代から江戸時代、明治維新、大戦、戦後の経済成長…。どの時代にも生き残ってこれたのは、その時代に最もふさわしい商品であり経営をしてきたから。だから老舗こそ最先端なんです。老舗が潰れるのはそこに経営者が時代の風を吹き込めなかったから。経営者が古い、あるいは経営者が経営者でなかったともいえる。ヨーロッパのブランド品と同じで、長い間徹底した品質管理が消費者に支持されてきたからこそのブランド。だから私は本物をつくりたいんです。世の中、偽物が生き残ったためしはありませんから」

風を感じること。そして、マーケティングを活かすこと

 森社長は現在、旅館経営は専務(長男)に任せ、旅館業界の発展や地域づくりをテーマに全国を飛び回る。明治30(1897)年結成の「野沢温泉旅舎組合」を前身とする「野沢温泉旅館ホテル事業協同組合」組合長をはじめ、JTB協定旅館ホテル連盟長野支部会長および中部支部連合会副会長など、実に27もの公職に就く多忙な身だ。
 「風を感じる」ことが大切だと説く。「風味、風習、風土、風物、風情、風景、風向き…。土地の食べ物、習慣など地域をずっと吹いている風が土地柄を育てる。これがまちの一番の強み。それをいかに磨き上げるかが大切なんです」。
 軒先に岡本太郎のアート暖簾を掲げる、街を歩ける本染めの浴衣を用意する、各旅館前に足湯をつくってもらう、各商店の店内に試食コーナーを設けてもらう「湯めぐり、茶めぐり」の提案―。森社長が提案し実現してきた野沢温泉の楽しさを演出するアイデアは、野沢温泉の特徴をいかに磨くかに集約される。
 「地域の風を感じたものは潰れない。それは本物だからです。私はつねに自分の商売は地域の風の中にあると思っています。風でつくる商品には自分が地域を支え、地域が自分を支えるという相互関係が必ず成り立つ。地域に住む経営者はそれを見抜くことが大事だと思います」
 もうひとつ強調するのがマーケティングの大切さ。「一番をめざせ」というマーケティングの鉄則は旅館業界にもそのままあてはまるという。「規模の大小、料理、風呂、何でも良い、とにかく一番をめざすことが大切。突出することがつまり個性化ということ。同業者を分析するといくつかの層が形成されます。例えばリーダー、チャレンジャー、その他の切磋琢磨が自動車産業を支えているように、地域経済もその産業構造とよく似ているんです」。

野沢温泉を全国レベルのブランドに仕立てたい

 「正々堂々と仕事ができるように事業協同組合組織にした」(森社長)という野沢温泉旅館ホテル事業協同組合。
 かつて組合には800万円ほどの産業振興補助金が給付されていた。ところが行財政改革のあおりで6年前に打ち切りに。以来、タオルなど備品の共同購入や、旅行業認可を持つ「野沢温泉湯探歩観光」といった事業を積極的に展開。現在は組合員の負担金と事業収入で賄い、会計処理も一般企業と同様に行うなど自立した。
 「事業組合の理事長は無限責任のため自らの責任で事業運営ができる。経営者とはそういうもので、それが事業組合のメリット」。ただ不心得の組合員がいると共同仕入れの支払い金などが滞り、負債を抱えてしまう。それが一番の欠点ともいえる。もっとも森社長は「それ以外はとても有利な制度」と評価する。
 今後旅行業法の改正を受け、野沢温泉湯探歩観光でも旅行商品の企画・募集・催行が可能になる。また来年はNHK大河ドラマ『風林火山』にあわせ、官民挙げた信州観光キャンペーンの実施も計画される。その追い風をとらえ、広域観光にも目を配っていくつもりだ。「地域に新しい風を吹き込んでいくのが私の仕事。つねに情報の最先端にいるので、そのメリットを活かしていきたい」。
 「野沢温泉最強のセールスマン」を自認する森社長。数多くの公職に就くのも、野沢温泉を全国レベルのブランドに仕立てたいという一念から。JTB支援事業など外部のさまざまな制度資金を地域に導入する。一方、組合での事業資金は売上げ方式にするなど、地域のもてなし、演出のための事業に有効活用している。
 「観光のグローバル化を見据えながら我々は業態変化をしなければいけない時期に来ている」。温泉とスキーを活かした本物のリゾートづくりをめざす、森社長の挑戦はまだまだ続く。

プロフィール
森 行成さん
社長
森 行成
(もり ゆきしげ)
中央会に期待すること

中央会への提言
 中小企業支援策に関する情報提供はもとより、導入の検討も親身にしてくれます。また組合総会では毎回、実施事業の成果、事業計画について講評してくれるため組合、組合員にはとても刺激になっています。今後も中央会を有効に活用していきたいと考えています。

経歴 1942年(昭和17年)5月生まれ
1965年3月 早稲田大学教育学部卒業
1965年4月   (社)共同通信社入社
1973年2月   旅館さかや入社、専務に就任
1984年4月   全国旅館組合連合会青年部長に就任
1986年4月   野沢温泉旅館組合長に就任
1992年2月   旅館さかや社長に就任
公職   野沢温泉旅館組合長、JTB協定旅館ホテル連盟長野支部会長・中部支部連合会副会長、長野県旅館三団体統合委員長、長野県観光協会理事、日本温泉協会理事、国土交通省・総務省地域振興アドバイザー、長野県・宮崎県・新潟県地域アドバイザー、総務省地方公務員中央研修所および中小企業大学校非常勤講師など多数
出身   白馬村
家族構成   妻、長男、次男
趣味   釣り、ゴルフ、スキーなど。趣味は多彩だが、多忙のためできないのが悩み。

企業ガイド
旅館さかや

本社 〒389-2502
長野県下高井郡野沢温泉村
TEL(0269)85-3118
FAX(0269)85-3778
創業   江戸中期
資本金   700万円
事業内容   旅館業
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