元気な企業を訪ねて-チャレンジャーたちの系譜-
“~ 継続して地域企業と社会を底支えしていける様な企業。
それが地域に育てられた企業、経営者としての使命。~”
|
株式会社デンセン
代表取締役社長 若林 邦彦さん |
電設資材を供給する総合商社として地歩を確立
「創業者がマーケットとして比較的安定した事業を選んでくれたおかげで、私はとても幸せですよ。社会の変化によって存在意義がなくなってしまう会社や事業もある中で、我々のターゲットである『住』は不変。急成長はなくても安定した分野です。それがあったから関連企業を展開することもできた」
中核企業である(株)デンセンのほか、ソフトウェア開発、建築・住宅・環境・介護関連事業、広告・パブリシティ関連の八社から成るデンセングループを率いる、若林邦彦代表取締役社長はそう話す。
たまたま創業者の功績に乗っただけという謙虚な口ぶりだが、経営者としての手腕は多くの経済人が高く評価するところ。事業協同組合や業界団体など多くの団体の要職を務めていることがそれを物語る。
同社は1945(昭和20)年、戦後復興の要となった電気製品ならびにモートル電線の販売を開始。今年創業60年を迎える。
農業用モーターの製作・修理なども手がけながら業容を拡大し、電気工事会社等に電設資材を供給する総合商社として地歩を確立。現在、売上高の八割を占める電設資材を中心に、視聴覚機器や通信機などの情報機器、特機(制御機器、各種スイッチ、テスターなど生産工場に納入する各種製品)、住宅設備機器と幅広い商品アイテムを取り扱っている。
また73年には(株)電経(現アネックスインフォメーション(株))を設立して情報処理関連事業に進出。以来、積極的に多角化を推進している。
若林社長は大学卒業後、上田電線電気工業(株)(93年(株)デンセンに社名変更)に入社。早くから専務として経営に参画する一方、上田卸団地入居企業による共同事業の旗振り役も務めた。この数年間にわたる経験で経営の厳しさと難しさを嫌というほど味わったという。「私は二代目ですが、この時代に創業者と同じだけの経験を積ませてもらった。それが今、とても大きな財産になっています」。
電力事業の規制緩和を受け、新たなサービス事業創出めざす
電設資材の総合商社として県内外に存在感を示してきた同社だが、モノをいかに量的に確保できるかが卸売業としての力となった高度成長期と状況は大きく変化。消費者の選択眼が厳しくなり、ニーズも多様化・高度化している今、それだけでは他社との差別化は難しくなっている。
「インターネットや大型量販店で非常に安く買える時代に、同じ商品では価格競争にのめり込むだけ。どんなに営業努力しても価格で負けてしまうのでは営業社員に申し訳ない」。
そこで98年、オリジナルブランド「デンセン倶楽部」を立ち上げた。取り扱う商品は、衛星放送TV受信用同軸ケーブル、蛍光管、安全靴、電気工事用作業革手袋など。「他社が扱っていないもの、しかも当社の社員がプライドを持って売れ、お客様も喜んで買ってくれる商品にターゲットを絞っています」。顧客本位の商品企画で業績も好調だという。
一方、今年4月から電力事業の規制緩和が更に進みます。例えば大手製造メーカーが自社工場の余剰電力を、コンビニエンスストアなどの深夜ビジネス業界に独自に販売することができるようになるという。同社はこの潮流をいち早くつかみ、新たなビジネスの展開を検討中だ。
例えば、現在マンションでは居住各戸ごとに電力契約しているが、マンション全体でひとつの自家用契約をすると料金が二割程度安くできる。そのために必要な自家用変電装置の設置を同社が行い、マンション業者、居住者も含め、みんなが利益を得られる仕組みづくりをめざす。あるいは、レストランやコンビニエンスストアなどでの電力契約の圧縮、インターネット回線を通じた電力消費量のコントロールなど、新しいサービス事業創出をめざす。
使命感を持たない経営では価値がない
電設資材の販売において大きなテーマと考えているのはオリジナルマーケットをいかに作るか。太陽光発電、医療ゴミ処理システム、介護住宅の増改築、介護用品レンタルなどの事業を推進。最近人気が高まりつつあるオール電化住宅向け商品をセットで販売するなど、高付加価値商品の提供にも力を入れている。
今や建築投資は最盛期の4割減。同社も関連商品の売上げは30%程度落ちているという。しかも地域の電気工事業者や建設関連などの業界自体、後継者がいない会社も少なくなく、急速にしぼみつつあることに大きな危機感を抱く。
それを何とか食い止め業界を盛り上げようと、同社では地域業界の中から志を共有できる会社をベース店とし、その会社を中心に地域を活性化させる取り組みも始めている。
「今は激動の時代。従来のような建築請負業ではもう生き残れません。昔は良かったと嘆いていても何も生まれないし、つねに自己否定をして新たなものを生み出していかなければいけない。たとえ業界のスタンスは変わってもお客様が企業として生き残れるよう、我々もメーカーと一体となって営業、技術の両面で支援していきたい」と若林社長は話す。
電気工事業者をはじめとする業界トップの意識改革も重要。実際、若林社長も隔靴掻痒の思いをすることが多いという。「今後、今まで経験したことのない経済形態に変わっていく。そのなかで従来型経営者として優秀だといってもあまり自慢にはならないかもしれませんが、基本とする価値観は不変のはず。使命感を持たない経営者は価値がないと私は思います」。
地域製造業のサポートにソフトウェア産業立地が不可欠
デンセングループを構成するもう一本の大きな柱が情報処理産業だ。
計算センターとして創業したアネックスインフォメーション(株)は84年、長野県下で初めて「中小企業VAN」業務を開始し、郵政省(当時)の一般第二種電気通信事業者に指定。光ファイバー回線による高速デジタル・オンラインサービスを全国ネットで行うなど情報通信分野で早くからその存在感を示してきた。
現在、移動体通信システム、医療情報システム、図書館ネットワークシステムといった各種システムの開発をはじめ、情報処理サービス、システムコンサルティングなどを提供。最先端のITを駆使した「ビジネスソリューションプロバイダー」として時代のニーズに応えている。
一方、90年には日本オリベッティと共同で、(株)オリベッティアネックス(現(株)イクズアネックス)を設立。国際間決済業務、リスク管理システム、事務集中システムなど、国際金融業務に特化したシステム開発などを手がける。
同社がコンピュータ関連事業へ進出したのは、上田卸団地の共同事業として伝票転記業務のコンピュータ化に取り組んだのがきっかけだ。
若林社長は当時をふり返ってこう話す。「コンピュータは社会変革のキーコンポーネンツになると思っていた。コンピュータそのものではなく、コンピュータを使うことによって新しいビジネスが出現する、その仕組みに魅力を感じた。これを取り入れた経営をしていけば時代に乗り遅れないと思ったのです」。
転機となったのが通産省、県、上田市の若手職員をともなってのアメリカ視察。85年12月のことである。
その時、若林社長は「今後製造業はハードにソフトを載せた商品をつくらなければ付加価値が出ない」と実感。地域製造業のサポートにはソフトウェア産業の立地が不可欠との思いから、産学官共同で浅間ソフトインダストリアルパーク事業協同組合(現上田ソフトパーク)を設立。これらが元になり上田リサーチパークがスタートした。
「ソフトウェア産業の集積地をつくり長野県産業の付加価値を上げるとともに、雇用機会を増やすことで県域全体の力を拡大しようと考えたのです。良い人材を集めるためには良い住環境と教育環境が必要。子どもが安心して通えるレベルの高い学校が必要だが、これは我々の力だけではどうしようもない。そこで、文化のあるまちづくりをめざそうと設立したのが財団法人信州国際音楽村です」
一方、大学誘致も県に積極的に働きかけ、95年長野県工科短期大学校の開校にこぎ着けた。「当社でも卒業生を採用していますが、優秀な人材が出てきているので期待しています」。
本社
地域の中小企業が再び力を発揮すべき時代
|
アネックスインフォメーション |
「M&Aを繰り返すアメリカ型の企業は、本当の意味で長いスパンでものを考えることができない。もっとロングレンジでものを見、考え、評価する企業風土づくりを今もう一度真剣に考えなければいけないのではないか。21世紀はそういう意味で、地域の中小企業が再び力を発揮すべき時代だと思います」。若林社長は長期的視点に立った中小企業経営の大切さを強調する。
かねてより地域の中小企業の育成、支援に積極的だ。事業協同組合で担保力に乏しい経営者をバックアップしたり、自ら企業づくりを行って独立を支援。そうして育ててきた中小企業の多くが存続し、業績を伸ばしているという。
「今この地域は企業数が最盛期の約3分の2になり、雇用も減少しています。多くの企業がしのぎを削り、顧客サービスを競い合うことで経営者は弱者を忘れず、そして消費者を裏切らない経営ができる。だから企業づくりは本当に大切です。中央会や、行政の融資制度をうまく活用して企業づくりをしていくことが地域経済人としての重要な役割だと思っています」
一方、地域との深い結びつきがあるオーナー社長だからこそ、将来を見据えた地域社会への貢献も可能。地域文化の育成、発信をめざす信州国際音楽村や、ソフトウェア産業の集積地である上田リサーチパークはそこから生まれた。
またアネックスインフォメーションでは、06年トリノ冬季五輪でメダルをめざすスノーボードの山岡聡子選手をサポートしている。「彼女はアネックスインフォメーションの社員。ワールドカップで年間総合チャンピオンになった日本人3人の内の1人です。創立30周年記念に地元青少年に何か希望を与えられる事業をと始めました」。
若林社長を突き動かしているのは、地域に支えられてここまでこれたという強い意識。後世まで継続して地域を底支えしていく役割を担っていくことが、地域に育てられた経営者としての使命と考えている。
代表取締役社長
若林 邦彦
(わかばやしくにひこ) |
中央会に期待すること
中小企業施策についての提言
これからは企業が企業を生み出していく環境の整備が重要。中央会には、出資株の償却や減額、投下資金をより容易に損金として認められる税制、リスクに挑戦する経営者をサポートする、さまざまな援助策をイニシアチブをとって創設して欲しい。雇用の拡大こそ最大の社会貢献だと思います。 |
経歴 |
|
1943年(昭和18年)4月24日生まれ
1966年 |
|
日本大学経済学部卒業 |
1966年 |
|
上田電線電機工業(株)(現(株)デンセン)入社 |
1971年 |
|
同社専務取締役に就任 |
1971年 |
|
(株)上田ケーブルビジョン設立。取締役に就任 |
1972年 |
|
(株)電経(現アネックスインフォメーション(株))設立。取締役に就任 |
1984年 |
|
アネックスインフォメーション(株)代表取締役に就任 |
1985年 |
|
上田電線電機工業(株)代表取締役に就任 |
1990年 |
|
(株)オリベッティアネックス(現(株)イクズアネックス)設立、代表取締役に就任 |
|
公職 |
|
長野県電設資材卸業協同組合理事長
上田ソフトパーク事業協同組合理事長
信州情報サービス事業協同組合理事長
全日本電設資材卸業協同組合連合会常任理事
長野県公共事業評価監視委員会委員
労働者派遣事業適正運営協力員
(社)長野県情報サービス振興協会副会長
(社)21世紀ニュービジネス協議会副会長
日本電気情報サービスグループ副会長
(社)長野県観光協会理事 |
出身 |
|
上田市 |
趣味 |
|
スキー、マウンテンバイク、読書。
マウンテンバイクで別所温泉から野倉まで上がって帰ってくるのが休日の日課。 |
家族構成 |
|
妻、二男(長男は副社長)、一女(イタリア在住) |
|
|
|
|
企業ガイド
(株)デンセン
本社 |
|
〒381-8525 長野市南長池713番地1
TEL.(026)251-0860(代) FAX.(026)251-0889
URL http://www.densen.co.jp/ |
創業 |
|
1945年12月 |
資本金 |
|
4,500万円 |
事業内容 |
|
電設資材、制御機器、OA、FA、HA機器、環境機器の総合卸商社(電線、照明器具、配線器具、制御盤、分電盤、制御機器、弱電機器、冷暖房、空調機器、工具、家電、防災防犯機器、住宅設備機器、環境機器他) |
事業所 |
|
本社、長野支店、上田支店、佐久営業所、富岡営業所、北信営業所(中野市)、松本営業所、長岡営業所、相模原営業所、上田特機営業所、佐久特機営業所、長野特機営業所、甲信特機営業所(諏訪市)、ソリューションビジネス営業部、太陽光発電事業部 |
関連会社 |
|
アネックスインフォメーション(株)、(株)イクズアネックス、(株)環建築アトリエ、信菱電機(株)、(株)長野広告、読売上田サービス(有)、(株)デンセンケアハピネス |
|