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月刊中小企業レポート
更新日:2006/03/30
短期連載 マガさんの激動中国記 その6 1978年、改革開放を打ち出した中国はその後遅々とした歩みながらも路線を維持し92年、小平による「南方講話」から一気に加速、日本の円高による海外拠点建設にも乗り、華南地区から始まった経済成長には目を見張るものがあります。その中国に94年から現在まで10年に亘って単身乗り込み、成長の「表」も「裏」も知り尽くした「マガさん」が見ている中国の真実の6回目です。

 上海の続きです。
 このSARS発生から拡大に繋がる課程で様々な要因のあった事が報告されました。最初の発生地は広東省の広州市、ここの野生動物の料理人らしいと。この時点では新型のウイルスによる肺炎とは判っていない上、かなり感染拡大していて居るにもかかわらず一切公表せずに隠した。そして感染者の移動によって香港でも発生し、この時点ではじめて、これは今迄発見されていない新型のウイルスによる肺炎であり、感染拡大は接触感染(直接、間接)である事等が世界的に公表され、WHO(世界保健機関)が動き出した。この病気は非衛生的な環境で拡大する。正に中国は拡大市場のようでした。
 1.大声で話をする 2.所かまわずタンを吐く 3.平気で食事を残すからレストラン等の残飯が非常に多く、至る所がゴミ箱の様 4.道(外)へ平気でゴミを捨てる等の悪習慣がこの機会に少しでも改善されればそれは正にSARS効果として今後の為になるでしょう。
 また北京に次いで感染拡大の危険性が大きかった上海がなぜ感染者を一桁に抑える事が出来たか?上海は過去にA型インフルエンザを大発生させた事が有って、その時の経験から病院での院内感染を徹底的に抑える対策をした。全市挙ての拡大防止(消毒、感染地区からの来訪者の徹底隔離、市民の移動禁止)を実施した事で効果が上がったとされ、上海の政治関係幹部は中央政府から良い評価を貰ったようです。一方では更迭された幹部(北京市長、保健衛生局長等)が各地方都市で沢山出ましたが、一番火元でこの事を隠した広東省の責任者(省長)前政権者のお気に入りとかでお咎め無し。2003年春の共産党大会での若手を中心とした新政権の発足で中国の民主化が進んでいるといってもこの辺に共産党一党独裁の歪が見え隠れするのは残念です。
 上海近辺の観光地(特に歴史ある寺)はその都市化の波に飲み込まれ、回りが高層ビルや民家等で埋まり、その情緒はすっかり無くなってしまっているのは残念です。2003年9月、以前の会社(東莞)で働いていた部下が故郷へ帰り、日系の会社の工場長をしていて是非一度遊びに来るように言われていましたので、帰国のついでに寄って見ました(大連から150km位北へ行った瓦房田という所)。その辺は日系の会社もかなり進出していましたが殆どが食品関係で、ちなみに彼の会社も”麩“を作る会社です。隣が漬物、そのまた隣がわさびの会社といった感じでした。こんな物まで中国で生産している現実に日本の製造業は?
 翌日は彼の運転する車で旅順へ行きました。ここでは、かつて日露戦争の激戦地203高地と水師営の会見場に行きましたが、中国にとっては歴史的に余り貴重に扱われていない感じがしました。203高地は単なる戦後山頂に、乃木将軍が砲弾や兵器の破片で作ったという砲弾形の塔が在るだけ。そしてその塔の説明に日本軍国主義の象徴と書いて有りました。おそらくここを訪れるのは日本人観光客だけでしょう。だから他に比べてべらぼうに入場料が高い(203高地入山料30元、水帥営40元)!(写真1)
 しかし2003年10月国慶節休暇に訪ねた大足(四川省)は北の敦煌、南の大足といわれている石窟で有名な場所で、世界遺産にも登録されていて、宋代(AD950年頃)の石仏が方々に沢山有り、特に宝頂山の物は中々見事な物でした。(写真2)

(写真1) (写真2)
(写真1)   (写真2)

 最近は非常に車が多くなり都市部は至る所で交通渋滞が起きています、未だ80%以上は商用車ですが、このまま一般の人達の所得水準が上がって自家用車が増えたら中国の交通事情は最悪になると思います。それもごく近い将来でしょう。特に上海では新興の浦東地区は道路が広く出来ているのでさほどでもないが、旧市街の浦西地区は高架の環状線でさえ渋滞が起きています。それと両地区を結ぶ黄浦江をくぐる隧道は万年渋滞となり、解消の為3本の工事が進行中で2005年には全て完成とのこと、名物の渋滞は解消されるか?
 上海でチョット変わった光景を目にする事が有りました。それは凧揚げで、盛んに行われています。それも子供達ではなく結構歳の人達が真剣に凧を揚げている…何が面白いんだろう?
 上海名物、何といっても上海蟹でしょう。旧暦9、10月が旬で前半はメス、後半はオスが美味しいといわれていますが、果たして?道端で蟹を売っているのもこの時期上海ならではの風物詩といえるでしょう。知らなかった!上海蟹は湖や河の蟹だと思っていたら春先に長江の河口で採卵して上流の湖へ放流して育った物を秋に収穫して食べる、海の蟹だったとは。食べ方も、先ず私は甲羅を開いてミソから食べますが、足から先に食べるのが正しい食べ方とか?
 上海でもう一つ大変な事が有ります。特に浦東地区は道路が広いので歩行者用信号が青になって直ぐに渡り、しかも早足で渡らないと殆どが渡り切る前に赤に変わってしまいます。その上、車は常時右折OK(日本と車線が反対の米国式)の為、安心して横断歩道を渡る事は皆無です。
 上海に室内スキー場が在った!

(写真3)
(写真3)
 前から在るという話は聞いてましたが、具体的に何処に在るという事が中々判らなかったのですが、日本人向けのタウン誌(!)に広告が出て、所在がはっきりしたので早速出掛けて見ました。日本の千葉に在ったザウスを持ってきたとか?結構大きくてびっくりしました。入場料は道具一式を含めて一時間125元(2,000J¥)時間延長は70元/1H。行ったのが日曜日で5、60人が滑って?いました。コースの両サイドに従業員(指導員?)が沢山待機していて、転ぶと直ぐに助けてくれます。3段階になっていて一番下は殆ど傾斜がなく、平面へと続いているので初めての人でも何とか滑れる程度です。残念ながら一番傾斜のある3段目は12月からとかで2番目から滑れましたが、元職場でスキー部の私は、まあこんなもんかという程度でした。全コース滑れたら結構面白いかも!(写真3)

 

コラム マガさんのホットレポート

8月11日

 日本に一時帰国しました。本誌編集者と面談した際にもお話しましたが、最近1ヶ月で新規採用が大幅に変化しました。ここ常平で人が採用できなくなりました。バックナンバーにもありますように、当地では工場の玄関に張り紙をしておくだけで、予定数の何倍もの人々が応募してくるのが当り前でしたが「人が消え」ました。
 これは、台湾資本や現地資本が、賃金上昇を嫌って沿岸部から内陸部にシフトを始めたことによると思われます。地元を離れ出稼ぎに来て、殺人的混雑のなか(実際毎年死者も出ています)帰省するより、少々賃金は安くても、地元近くで働きたい、ということでしょうか?
 中国では、どこでも安い賃金で人はいくらでも集まる、ということは鵜呑みできなくなっていることに注意してください。

8月24日

 夏季休暇帰国中の8月17日の夜、工場に泥棒が入った連絡を日本で受けました。20日に戻って確認しましたが、帰国中のためOfficeには大事な物は置いてなかったので、私は殆ど被害無し。ところが工場はパソコンが2台やられまして、その内の1台は社内ネットワーク用のサーバーだった為に、メールは使えなくなるは資料は紛失するはで被害甚大でした。
 過日のジェネレーターの部品盗難と同様、内部に関係者が居る事を強く感じていますが、今のところシッポをつかんでいないので、何とも言えません。
 小平時代に始まった社会主義市場経済により、貧富の差が無い社会主義国家が、金持ちと貧乏人で天と地ほども違いの有る資本主義自由競争社会の典型的な国家に変わってしまいました。
 平等が社会主義の特徴なら今の日本のほうがよほど社会主義国家といえるでしょう。
 だから今、日本では生活に困って泥棒をする輩は居ないでしょうが、中国では仕事の無い人間や、生活に窮している連中が組織化して泥棒を働いています。何人かのグループで情報収集、当日の見張り、実行、運搬、盗品売りさばき、最低でも1グループ5~6人で構成されているようです。そのような連中が金持ちで無防備な日本へ、こうして国内で稼いだ金で留学生になりすましたりして密入国し、出稼ぎに行って荒稼ぎをしているのです。
 狙われたらまず逃れられない。だから非常に難しい事ですが、会社でも特に個人では狙われない様にする。これが今の中国での泥棒対策として一番重要に考える事です。

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