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更新日:2006/03/30

短期連載 マガさんの激動中国記 その4

短期連載 マガさんの激動中国記 その41978年、改革開放を打ち出した中国はその後遅々とした歩みながらも路線を維持し92年、小平による「南方講話」から一気に加速、日本の円高による海外拠点建設にも乗り、華南地区から始まった経済成長には目を見張るものがあります。その中国に94年から現在まで10年に亘って単身乗り込み、成長の「表」も「裏」も知り尽くした「マガさん」が見ている中国の真実の4回目です。

 

 

 休暇を利用した中国周遊で印象が深かったことを今回も紹介します。
 2000年8月に西蔵(チベット)へ行きました。深から飛行機で青海省の西寧へ行き、高地に慣れてからチベット入りをする事にしました。青海省には青海湖という日本の琵琶湖の6倍も有る中国第一の内陸湖が有ります。標高3、260m、弱塩水(岩塩が溶け込んでいる為)で一種類だけ魚がいます。この魚の角膜が人間に近いので角膜移植に利用する研究が進んでいる様です。
 6月~9月の3ヶ月以外は殆んど氷に覆われて厳しい環境で、我々が訪れた8月は一年中で一番良い季節で沢山の羊が放牧されていました。

不拉宮(ポタラ宮) 道路は羊優先 草原とヒマラヤ
不拉宮(ポタラ宮) 道路は羊優先 草原とヒマラヤ

 西寧で2泊してから飛行機で着いたラサは標高3,650m、チベット仏教の聖地として全土から人々が集まっています。長い歴史の過程で政治と宗教の実権を持ったダライラマの宮殿 布達拉宮(ブーダーラーゴン)は1世~13世の霊塔(ミイラの保管された金銀財宝で飾られた棺桶)は現在の価値にして見当も付かないくらい多大とか。そして14世は現在チベットの独立をめざし印度へ亡命している為 主不在。
 ラサからもう一人の実権者パンチェンラマの都、日喀則(シガツエ)へ陸路で8時間一日掛りの旅でしたが通過した最高地点は標高5,200m!一時的な高山病で呼吸困難、首筋から頭が痛い。
 ラサで購入した簡易酸素ボンベは偽物なのか数分で終わってしまいました。途中我々の乗った車が正面衝突を起こしてしまいました。運転手と助手席の通訳はフロントガラスにぶつかって顔中血だらけ。幸い後部座席の我々は怪我ひとつ無く代車が来るまで3時間ほど待って旅を続ける事が出来ました。
 着いたシガツエのパンチェンラマのお寺(タシルンポ寺)は中国文化大革命で歴史的に貴重な霊塔は破壊されてしまい、後に骨等を集め舎利塔になっていました。そしてパンチェンラマ12世は当時、北京で洗脳教育を受けていました。中国の一部として支配するのには人種、宗教から確かに問題はあると思いますが、それでは独立して経済的に成り立つか、新疆ウイグルと共に此れからも政治的には問題が残る地域と思われますが、表面的には人々の表情や街の様子からは全然感じられませんでした。
 もう一つ新たな発見をしました。それは車の事で、日本では三菱パジェロがパリダカ等で優勝して悪路に強いイメージを持っていましたが、チベットではトヨタランドクルーザーの方がずっと足回りがしっかりしているという事で三菱パジェロは殆んど見かけませんでした。我々の乗った車(事故に遭った)も10年位前のトヨタランクルでした。三菱には怒られそうな感想ですが、確かに飛行機で降り立ったラサの空港の駐車場には殆んどがランクルでパジェロは20台に1台ぐらいしか見かけませんでした。
 2001年、この年から中国の連休も春節以外に5月のメーデー休暇、10月の国慶節休暇と7日~9日の休日が実施される様になりました。10月の国慶節には西川省重慶近くの黎平県へ行きました。そこは工場の製造課長の故郷で、彼が一週間程先に帰郷していましたので、他の課長達と一緒に訪ねました。工場近くの東莞東駅から列車で36時間、午後2時に出発して翌々日の午前2時到着、もう沢山というほど列車に乗りました。当地で一番印象に残ったのは物価の安さでした。夜屋台でナベとビールで腹いっぱいになって何と5人で23元(j¥360.-)!宿泊は一泊100元(j¥1,600地元で一番高級クラス)でした。帰途は三峡下りをして途中3泊、武漢から列車で広州経由で戻りました。三峡は2回目でしたが前回の日本人だけのグループ旅行と違い、時には車で外から長江を望んだり、小三峡の観光をしたりしながらローカルの定期船で三峡を下りました。圧巻は何といっても建設中の三峡ダムです。ダムというより巨大なビルディングで川をせき止めているという感じです。未だ完成していなかったので、船は通常どおりに通っていますが、9年かかってダムが満杯になると此処まで水が来ますよ(175m)、の看板が両岸の中腹に有り、それより下の人達の住宅が上部に建設されていて満水時の位置が判ります。
 帰りの列車は切符が買えず、駅前のダフ屋の世話になりました。彼らは鉄道関係者とグルのようで、切符無しで列車に乗り、発車後列車長に運賃を払うとベットの券を渡してくれます。座席は確保出来て翌朝無事、広州駅に着きました。結局乗車券は発行されませんので、我々が払った運賃は関わった連中のフトコロに入るでしょうから、一ヶ月でかなりの副収入になるでしょう。駅前でのダフ屋には一人80元の言い値を値切って70元(j¥1,100.-)。ダフ屋を値切るさすが中国人!旅行費用は7泊8日で約j¥30,000.-日本では考えられない様な値段でした。
小三峡 本格四川料理 長距離列車個室
小三峡 本格四川料理 長距離列車個室


コラム マガさんのホットレポート1

7月5日

ライチ
ライチ
 当地は本格的な暑さに成りました。連日35~40℃。40℃に成ると学校とか公共機関は休日になるので公式発表が40℃になることはありません(笑)。しかし実際には40℃を超えている時もこれからは有ります。今はライチ(中国語では(枝)リーズと言います)の季節です。
 この果物はかつて楊貴妃が大好物だったそうですが2~3日で味が悪くなってしまうこの果物を、当時この華南から都、西安までどのようにして運んだんでしょうか?
 最近工場の入り口の建物の増築工事が始まりました。その資材置き場は前の道路です。中国では自分の家の前の道路は自分の物なんかも知れません!
 又、その基礎工事に使われていた重機には、日本の建設会社の名前が(中古で輸入)今、建設ラッシュの中国ではいたるところの建設現場で日本製の中古が活躍しています。
 電気事情は益々深刻になって来ています。
1. 上海工場『外高橋保税区』は毎週月、火停電その為、土、日出勤。
月、火振り替え休日で対応。又7/12~18日1週間停電になります。
この間は24:00~8:00の夜間出勤です。
2. 特区内に有ります当社鍍金工場毎週水曜日7:00~23:00
停電の実施通告有り 土曜日出勤で対応予定。
(ついに特区内まで停電の嵐が来たかと言う感じです)
3. 私の居る常平工場は毎週木曜日停電 土曜日振り替え出勤で対応。
但し旧工場は発電機が有りますから平常稼動しています。
4. 蘇州工場は毎週月火曜日8:00~12:00停電土日稼動で対応。
但し今後多くなる。(現在の半日が1日になるらしい)
 こんな調子で皆が土、日振り替えやったら土、日も電気が不足してくるかも?自家発も燃料が値上がりしていて即コストupに繋がっている。国全体で経済発展にインフラが追いつかないという事でしょうね。
 電気もですが最近車が非常に多くなってきて何処へ行っても渋滞です。盛んに方々で高速道路を造っていますが間に合わない。一般道路は殆んど満杯状態ですから、事故とか、右左折の車がおかしな曲がり方をしたり、割り込み等で昼間は殆んどまともに走れません。
工事機械 交通渋滞
工事機械 交通渋滞



 2002年5月東莞常平を去る時が来ました。この4年間の此処常平の変化はすごいの一言です。
 まずホテルが5星の麗城暇日酒店を始め4店出来ました。週末(金、土)は遊びに来る沢山の香港人で殆ど満員状態です。街並みも非常にきれいに整備されスーパーマーケットも何軒か開店し、買い物客で賑わっています。店内で販売されている物は殆ど日本のスーパーと同じですが、ただ一種類だけ無い物が有ります。それはさしみ類です。ある店では開店時点には日本食材コーナーが出来ていましたが、2ケ月後には無くなってしまいました。現地の食品に比べて価格が高いので買う人がいないのでしょう。日本食の店も5店、回転寿司1店が出来ましたが利用しているのは現地駐在の日本人と週末に訪れる一部の香港人、台湾人ぐらいです。現地の中国人に言わせると高くて量が少ないとのこと。確かにローカルの平均的価格に比べて5~8倍高いし、それと彼らの味覚では決して美味しいとは言えないようです。特に我々が酒のつまみで結構なイカの塩辛や辛子明太子に納豆や、やまかけ等など、日本人は変な物を食べると思われているようです。
 ここで最近の企業を取り巻く環境を書いておきます。労働力は相変わらず内陸からの出稼ぎ労働者で溢れ、ワーカーの採用は工場の入り口へ募集の張り紙をすれば必要なだけ採用出来ます。
 工場が人を採用すると判ると、既に働いている何人かのワーカーは故郷へ連絡して、兄弟や親戚が出て来ます。そして是非採用してもらいたいと言ってきますので、予定数に対して多少の余裕を残しておいてやる事も必要です。ワーカーの賃金に付いてもこの4年間殆ど上がっていません。2001年で12.4元/日でした。
 生活環境を良くして定着率を上げ90%台だった離職率を40%まで下げましたがこれ以上は難しいでしょう。中学を卒業して15、16歳で出稼ぎに来て22、23歳になれば、殆どのワーカーは結婚の為帰郷します。でも最近はこちらで出稼者同士が結婚して、当地で所帯を持って共稼ぎをする人達が増えてきました。日本も昭和30年代に東北地方やその他の地方から職を求めて東京など都市部へ人が流れ、あと取り以外は故郷へ帰らず、都市部で新しい所帯を持っていった。規模は違うがそんな時代がここ中国でも起きつつあるような気がします。特に高学歴のスタッフや、管理職はここ数年でかなり賃金が上がってきていますので、20年ローンで立派なマンションを購入して、故郷から子供や両親を呼び寄せて生活拠点を移す人達が多くなってきています。
 今年から新規採用者は健康証明書の提出を義務つけました。特に伝染性の有るB型肝炎は不採用にしています。それに伴い工場の全員の検査を実施しましたところ、約8.3%(600人中50人)のキャリアが居ました。中国ではB型肝炎を3種に分けています。1. 小三陽 2. 中三陽 3. 大三陽で特に3. の大三陽は非常に伝染性が強く、血液感染以外でも感染するという事なので、この判定の出た従業員は即解雇しました。小、中三陽は治療を受けさせる事としました。ここで判った事は兄弟姉妹が殆どキャリアということでした。という事は血液感染の経験が無い人ですから、母子感染が殆んどでしょう。それと肝炎で解雇された人達も故郷へ帰らずに、どこかの健康証明の必要ない工場へ行って引き続き働いている事でしょう。
 また、こんな事も聞きました。ある人は妹を入社させようとしたら、妹が大三陽だった為、自分が身替りに病院へ行って健康証明を取ってきて(自分は会社の検査で大丈夫だった)それで妹を入社させた。名前が偽、歳も?前記病気の嘘等バレルまでは…という事です。
 此処東莞市(中国の市は日本でいえば県位の行政単位です)は非常に台湾企業が多くて約4,000社、それに比べ日系は400社で1/10です。それと企業規模がかなり違います。日系は大手メーカーの工場でもせいぜい4~5,000人ですが、台湾企業には10,000人以上の所がたくさん有ります。
 台湾、香港、大陸系はオーナーが現地に居て、思い切った事業展開をかけていますが日系の董事長、総経理(社長)は殆んどがサラリーマンで現地駐在数年で帰国交代、その上現地対応を含めた事業展開は日本本社のお伺いをたて、許可を得ないと出来ない。在任中は余り冒険しないで無事平穏に任期を全うして帰国出来たら幸せ…この辺が根本的に異なる所でしょう。
 中国での製造体制も少しずつ変化してきています。かつては作業の細分化による単純作業の流れ生産が殆んどでしたが、最近は多能工による屋台方式も取入れられて来ています。追いつかれつつ有る台湾、香港、大陸企業と高品質確保、生産性向上で差別化を図ろうとして来ています。そして優秀な多能工を確保する為には、定着率を上げる必要が有ります。そのためにはある程度の待遇改善が必要になって来ます。固定費増大と生産性向上の比較が重要な管理ポイントになります。工場でのワーカーの仕事振りは非常に真面目です。私語一つ発せず一生懸命仕事に打ち込む姿は胸を打つものが有ります。この労働力が世界の生産工場の底辺を支えている事を認識すべきでしょう。
列車待ちの人が去った跡 道端のごみ収集場
列車待ちの人が去った跡 道端のごみ収集場
 確かにここ数年で経済が発展して生活レベルも上がって来ましたが、そんな中で特に最近感じる事は、一般の人達の文化レベルが低い事です。若い綺麗な小姐が相変わらず何処ででも痰を吐く、平気で物を捨てる、電車等の乗り降りで順番を守らない、交通ルールを守らない、ところ構わず大声で話す…。国家的にはWTOの加盟、APECの開催、2008年北京オリンピックと国際社会の仲間入りをして来ていますが開放政策から20年、小平の言った窓を開けて外の世界を見ようから、現在はドアを開け外の世界へ行こう。一般の人達も海外旅行が出来るように成ってきましたので、自分達の目で外の世界に触れて見て国際的な仲間入りが出来るように成って行くとしたら、もう暫く時間が必要でしょう。
 隣接する香港は返還から5年、経済の低迷で失業率7%台、最近は中国からの観光客が多くなっていますが前記の、うるさい・汚い・決まりを守らない等大分迷惑の様です。その落とす金がかなりの経済効果を上げているようで、背に腹は替えられないという事の様です。
 日本が昭和39年の東京オリンピックを境に大きく変化したように中国も北京オリンピック向かって日々進歩発展していますので2008年と上海万博2010年頃がその時かも…。


コラム マガさんのホットレポート2

7月14日

 7月10日に隔月の日本人会総会(情報交換会)が終了しまして、会長としてはホット一息といった所です。
 東莞には大きく4ケ所の日本人会が有ります。
 ①東莞市近辺の“東莞中央日本人会”②東莞市南部の“東莞長安日本人会”③東莞市石龍の“石龍地区日本人親睦会”と我々の④東莞市東部の東莞東部日本人会です。この中で一番活発に活動しているのが我々の東部です。ですから会員も東莞全域から入っていまして現在96社になっています。
 華南で最大は何といっても深日本商工会です。北京、上海に続いて今年は深が中国政府の認める団体になる方向が確認されています。
 そんな中で我々東莞も、上記の4団体が横の繋がりを持って行く事で東莞政府との問題交渉も可能になるということなので、当面代表者による連絡会のような会の設立を進めています。
 台湾企業は台湾自体を中国が認めていませんので何か事が起きた時は自分達で解決しなくてはなりません。ですから絶大な経済力をバックにして“台商会”を設立し、各政府と交渉しています。又、各企業間の繋がりは日系に比べ非常に強く、企業活動への繋がりにも効果が期待されています。
 その点、日系はいざとなれば“日本領事館”がありますので、横繋がりの組織に対する期待は今一つですね。




コラム マガさんのホットレポート3

 2004年は中国F-1元年だ!というキャッチフレーズで今年9月26日待望の中国GPが開催されます。観戦チケットは1日で売り切れたそうです(脚注)。上海市の西北、嘉定区に5.3万m2、26億元(390億J¥)の投資で、全長5.48km、世界最長のサーキットを建設(中国は新しく造るものはなんでも世界一にこだわる)。今後7年間毎年中国GPが開催されるという事です。その他にF-1下位のレースが開催を予定していて殆んど空きが無いくらいの利用が有るようです。
 確か以前珠海市がF-1基準のサーキットを造ったがその招致に失敗したという話を聞いた事が有りましたが、多分その失敗が今回の成功へと繋がったのでしょう。当時に比べ今の中国(特に上海)の経済力が招致成功を決めた様です。直接の投資に対する収入は赤字の様ですが、是による経済効果は計り知れない。結果コストの数倍の利益が見込まれる。一方FOA(FIアソシエーション)会長の経営する会社がサーキット場の大部分の広告収入と一部商業開発権を得たそうで、彼らも是によって相当の利益を得る事でしょう。
 この地区へは今後世界の自動車メーカーの進出が多くなり、既に日本のホンダ、ニッサン、トヨタが進出した華南の広州と共に中国の2大自動車産業地域に成る事でしょう。広州の南沙に工場を建設したトヨタは工場立ち上げに300人の日本人が来るとか、近くの番禺の街は日本人だらけに成る、と近くの日系の工場の総経理が話していました。
 上海には日本人向けのタウン誌(無料配布)が4種発行されています。是は日本料理店とかカラオケや邦人関係の商売をする企業からの広告料で発行されていて、紙質も素晴らしく、内容も豊富で上海での生活には非常に役立ちました。
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 2004年1月上海工場の立ち上げが終了して再び華南(東莞市常平鎮)へ戻りました。住めば都…1年半暮らした上海を去る寂しさも有りましたが、それより以前4年間過ごした常平へ帰るのは、旧知の人達も沢山居ますので故郷へ帰る様な感覚で戻りました。上海の整然とした町並み、あかぬけした雰囲気より、この雑然とした街でホットするのは自分でも不思議に感じるのですが、94年赴任当時からずっと、この変わり行く華南を見てきて、すっかりこの状況に馴染んでしまった、という事なんだと自分で納得しています。
編集部脚注:F1上海のチケット 決勝日のみの最低価格チケットで330元。上海市法定最低賃金1ヶ月635元 約8,900円

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