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月刊中小企業レポート
更新日:2006/03/30

元気な企業を訪ねて-チャレンジャーたちの系譜-

“~ 創業以来一貫してプリント配線板の最先端を追求。
半導体の世界最先端技術を支えるオンリーワン企業へ。~”

峯澤 達見さん
株式会社イースタン
代表取締役副社長 峯澤 達見さん

限界に挑戦する精鋭部隊「ブルーコマンドー」を組織

 「顧客の納期要求が厳しいなか、プリント基板は一般的に受注から納品まで平均3週間かかる。しかし理論的には、生産工程からすべてのロスを省くと36時間でつくれるんです。ならばそれをやってみようというのが始まり。今では42時間でつくれるまでになりました」。
 2年前、イースタンは優秀な技術社員を12名ピックアップし、新規の試作品に特化した特別部隊「ブルーコマンドー」を立ち上げた。四勤二休体制で24時間フル稼働。メンバー各自の高い技術ノウハウにより効率的に開発業務を進められる上、一般社員は彼らが指示した仕事はどんなことがあってもやらなければいけない、という決まりだ。それが物理的限界に近い42時間を実現する。
 同社は、高精度・高密度な半導体チップの受け皿となるプリント基板の開発、生産で世界最先端を走る。半導体業界に特化したプリント回路事業部と、各種電源装置等の開発・製造の電子機器事業部の二本柱で事業展開を図っている。
 峯澤達見代表取締役副社長はブルーコマンドーを立ち上げた経緯について、こう続ける。
 「半導体メーカーは半導体チップの評価を時間とカネをかけて徹底的に行う。そのため(半導体のベースなる)プリント基板を提供する当社としては、顧客が早く評価にとりかかれるよう、どこよりも早く届けたい。優先的に注文がもらえるメーンベンダーになるためには、それが絶対条件になるからです」。
 この取り組みが当たり、国内はもとより、七割を占める海外企業からも非常に高い評価を獲得。同社が現在手がける新しい量産品のほとんどが、ブルーコマンドーが試作を手がけたものだという。

最先端のさらに最先端で「唯一」の技術を誇る

 「半導体の超高密度・高集積化は、部品点数をいかに少なくし、製品を小さくできるかという技術。世界の大手半導体メーカーと一緒になって、それを実現していくのが我々の技術テーマ」と峯澤副社長。現在、同社が主に手がけるのは、BGA・CSP、ICメディアカードといった、半導体パッケージの最先端技術だ。
 半導体チップは集積度が高くなるほど入出力のピン(端子)数が多くなる。BGAは従来のピンをなくし、格子状に並べたはんだボールとチップを銅箔の線でつなぐことによってサイズの小型化を実現した。これがなければ携帯電話は百グラムを切れなかったともいわれる。CSPはさらにチップサイズ並の外形寸法を実現したものをいい、カメラ付き携帯電話やPDAなどの小型・軽量化、高機能化に大きく貢献している。
 現在同社では、この1.3ミリ厚のCSP内に、S-RAMやフラッシュメモリといった異なる複数のチップを縦に数段積み上げて形成する、スタックドCSPのベースになるプリント配線板の量産に力を入れる。
 スタックドCSPは最先端のさらに最先端をゆく技術。極細100ミクロン穴明け技術と、厚さ60ミクロンコアー材を使用したプリント配線板の量産技術を持つのは世界で唯一、同社のみだという。
 「規模は小さいが、つねに世界最先端の技術を手がけ成果を上げてきた。それは当社が大いに自負するところです」。

「はんだめっきスルーホール」を初めて開発

 同社は1961年、「イースタン金属工業株式会社」として創業。沖電気工業の電子交換機用プリント配線板の製造・ユニット組立、ネームプレートの製造を開始した。当時、プリント配線板はまだ世の中に出始めたばかりで文献もあまりなく、ほとんど手探りの状態。その大きな将来性を信じてのスタートだった。
 「テープレコーダ、ラジオなどの家電にはすでに簡単なプリント配線板が使われていましたが、当社がめざしたのは、通信機など産業用のハイレベルなプリント配線板。テープレコーダの組立や、時計部品に特殊蝕刻を施す仕事などを手がけながらも、着実にめざすべき分野の技術蓄積を行っていました」と、牛山今朝治会長は当時をふり返る。
 そして65年「はんだめっきスルーホールプリント配線板」の技術開発に業界で初めて成功する。これはプリント基板に入れ、はんだめっきをして回路をつなぐ技術。低コストで信頼性も高い画期的な技術開発であり、後(75年)にその功績が認められ、当時の社長が藍綬褒章を受賞することとなった。
 その後の技術開発の進展と業容の発展はめざましい。
 66年にIC搭載用基板の量産体制を確立し、その翌年にははんだめっきスルーホールプリント配線板で屈指の生産工場へ。70年にはスルーホール多層基板の量産を開始。さらに研究開発部門の拡充、高精度化への対応を進め、業界屈指のプリント配線工場を完成させた。
 その間、会社の知名度も飛躍的に伸び、半導体業界で確かな地盤を築いた。

電源装置を手がける、もう一本の柱を確立

 73年、同社は「株式会社イースタン」に社名変更。同時に「プリント回路事業部」と「電子機器事業部」の二事業部制を導入した。
 プリント配線板ではすでに高い評価を確立していたが、経営的にはもうひとつの事業の大きな柱を必要としていた。ちょうどその時期、オイルショックも重なって親会社の電機メーカーが倒産。そこで親会社から優秀な人材を受け入れ、テープレコーダなどの組立部門の増強・発展を図り、電子機器分野への進出を図る。同時に経営面での独立も果たし、まさに「第二の創業」ともいうべき時を迎えることとなったのである。
 電子機器事業部はスタート早々、富士通ファナック(現ファナック)から数値制御用パワーサプライを受注するなど順調に展開。その後も部品調達から開発、設計と事業領域を拡大し、各方面で着実に実績も上げていった。
 ノート型パソコンが市場に登場した八五年頃には、DC/DCコンバーター、チャージャー、プリンター電源などの受注が一挙に拡大。大手コンピュータメーカーのパソコン用電源を一手に手がけるなど、事業規模が飛躍的に伸びた。
 そして92年、茅野市豊平に新設した塩之目工場に電子機器事業部を集約。各種電源装置等の設計・製造のほか、ワイヤーボンディングという半導体実装技術を確立するなど、あらゆるニーズに対応できる体制を整えた。
 96年には海外での供給体制の構築をめざし、香港に現地法人を立ち上げるとともに、中国深での委託加工も開始した。

深刻なIT不況に見舞われ、初めて味わった「地獄の底」

 一方、プリント回路事業部では80年、COB(チップオンボード)の量産体制を構築した。先述したBGA・CSPなど、現在の半導体パッケージ生産の基盤となる技術である。
 COBは、金めっきされた基板上に半導体チップを載せ、極細のワイヤーで配線板とつなぎ(ワイヤーボンディング)、回路を形成する技術で、より小さな基板にチップを搭載できるため、半導体パッケージの超小型化と低コスト化を実現する。
 「当初は不良率50%以上。立ち上げにはかなり苦労しましたが、果敢に技術開発に取り組んだことで力をつけ、技術蓄積も得られました。そのおかげで後に、BGAなどの大きな商品の展開へとつながりました」(牛山今朝治会長)。
 チャレンジをクリアしたCOBは、携帯電話や液晶、腕時計に搭載され、一時代を画する商品となった。
 さらに96年に量産体制を確立したS-BGA用サブストレートでは、熱放散のためのヒートスプレッタを半導体のベースにする技術で特許を取得。月産200万個とフル稼働し、世界の市場を席巻するまでに。「経営バランスで見れば非常に怖かったが、他のものにはほとんど手が回らなかった」。
 その不安が的中する。01年から深刻なIT不況に見舞われ、98年度の売上高161億円(過去最高)から、01年は86億円にまで落ち込んだ。会社始まって以来の大打撃だったが、現在は黒字基調を回復。売上高も以前のレベルに並びつつある。
 「たとえ寡占で利益を出しても、不況などでいったんバランスが崩れると、その埋め合わせは並大抵の苦労ではない。文字通り、地獄の底を味わってきました。その教訓を生かし、今は技術の裾野も顧客の層もかなり広くしています」。

経営資源を集中し、最大限活用することが自立への道

取締役会長 牛山 今朝治さん
取締役会長 牛山 今朝治さん

 1センチ程度の四角い基板内を、断線、ショート、蛇行など一切なく張り巡られた微細なプリント回路。それは文字通り、ミクロの世界である。人の目に見えないような小さなホコリの付着も命取りとなるため、重要な製造工程はすべてクリーンルームの中だ。
 検査体制の充実も大きなテーマ。もとより人の目での検査は不可能だが、顕微鏡での検査も量産体制のなかでは大変な作業となる。同社では最新の外観検査機を導入。画像的にすばやくチェックし、ここで問題があるとされた部分について、経験を積んだ熟練スタッフが確認する体制をとる。
 外観検査機は一台数千万円もする装置だが、設備投資には積極的だ。「03年に16億円、今期も同額の設備投資を行います。それでも現場からは、まだ足りないと言われている」と峯澤副社長は苦笑する。「しかし、ただ機械を動かせばいいというものではない。不良を抑えるため、経験してきた技術を総動員してつねに工程を管理し、最適な条件を整えています。だから中国ではできない」。
 超薄型、超ファイン化をめざし、際限なく技術開発にしのぎをけずる半導体業界だが、携帯電話、デジタル家電、車載器と、半導体市場も絶好調が続く。その一翼を担う同社だが、峯澤副社長は「次に何をやるか、つねに模索している」と有利な市況にも油断はない。「地獄の底」を味わった経験がここに生きる。
 一方、中央会副会長、県経営者協会副会長、県工業会会長、茅野商工会議所副会頭など県内経済諸団体の要職に就き、県内産業界の発展に尽力する牛山会長は、産業集積地としての諏訪圏の将来性に期待し、次のように提言する。
 「諏訪東京理科大では先生方が自分の研究分野を公開している。大学から生まれた種を我々の技術分野で生かし、いかに新技術や新商品の開発につなげるかを考えるのも重要。自立した企業経営を行うためには、経営資源を集中し最大限活用すること、そして人材のレベルアップを図ることが大切です」。
 創業以来一貫して自社のコア技術を深く掘り下げつつ、時代が求める新しい技術に果敢にチャレンジし、それを成長の原動力としてきた同社。あくまで諏訪の地にこだわりながら、見つめる先はつねに世界の最先端である。



プロフィール
峯澤 達見さん
代表取締役副社長
峯澤 達見
(みねざわたつみ)
中央会に期待すること

中小企業施策についての提言
 いろいろな情報を会員企業に提供していくなかで、どういう情報を提供するかが大事。つねに新しい分野に目をつけて頑張っているので非常に助かっています。今までより以上に、その存在感を問われる時が来ているのではないかと思います。

経歴 1948年(昭和23年)4月27日 大鹿村生まれ
1973年8月 イースタン金属工業に入社
2004年6月   代表取締役副社長に就任
趣味   盆栽、釣り、ゴルフ
家族構成   妻、長男夫婦・孫、長女

企業ガイド
株式会社イースタン

本社・工場 〒391-8531 長野県茅野市塚原1-8-37
TEL.0266-72-7131(代) FAX.0266-73-3366
創 業   昭和36年2月8日
資本金   3億7,000万円
事業内容   プリント配線板(半導体インターポーザー、メディアカード用サブストレート、表示パネル用基板、コンピュータ関連機器用基板、情報通信機器用基板、各種モジュール基板、放熱板付基板、超薄型基板、微細配線基板、多層基板)、電源装置(パソコン、プリンター、ソーサー、フィッシャー、スキャナー、プロジェクター、ペルチェ機器、シーケンサー、医療機器、サーバー、LAN端末、POSシステム、カードリーダー、蛍光灯用インバーター、計測器)、アダプター(パソコン、LCD、福祉機器、ハンディ端末、車載用機器)、その他
事業所   本社工場、塩之目工場、東京営業所、ニューヨーク事務所、USA事務所、マレーシア事務所、マニラ事務所、シンガポール事務所
グループ企業   サンノゼ工業(株)、EASTERN MFG(H.K) CO.,LTD(香港)、DONGGUAN EASTERN ELECTRONICS CO.,LTD(中国)
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