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月刊中小企業レポート
更新日:2006/03/30

元気な企業を訪ねて -チャレンジャーたちの系譜ー

キーワードは「土づくり」誰でもラクに使える製品づくり。
「温故知新」「開発立社」を理念に、独創的技術を構築。

松山 信久さん
松山株式会社
代表取締役社長 松山 信久さん

コンセプトは土を活かす機械づくり

 「土を耕す(おこす)ことは、すべての農作業の原点。当社が今日あるのも、まさにそこにこだわってきたからに他なりません。創業以来、地域ごとに違う土質や栽培体系を見極めることから始まり、つねに一品一品対応してきました。それは言ってみればCS(顧客満足)のかたまり。過去の経験の蓄積である『耕す技術ノウハウ』をさまざまに組み合わせ、改良を加えながら、新しい製品を開発していくこと。つまり古いものの中から、新たなアイデアを生み出していく『温故知新』、そして『開発立社』が当社の理念であり、それを今日まで追求してきました。競合企業が数多くある中で、その部分では決して負けないと自負しています」。
 平成14年3月、ちょうど創業百周年を迎える年に松山徹現会長からバトンタッチし、代表取締役社長に就任して丸2年。今年40歳を迎える松山信久社長は、熱がこもった口調でそう語る。
 松山は、「土を活かす機械づくり」をコンセプトに、農業用機械等の開発、製造から販売まで一貫して手がける開発型企業である。
 主要製品は、トラクター用作業機(ロータリー、ドライブハロー、あぜぬり機、プラウ、松山すき、掘取機、溝掘機等)、自走式野菜収穫機、野菜包装機、ビーチクリーナー(海岸清掃機)など。「NIPLO(ニプロ)」ブランドで全国に販売し、クボタ、ヤンマーといった農機具メーカーのトラクターにアタッチメントとして付けるトラクター用作業機械では、業界トップクラスの売上高を誇る。
 厳しい経済環境や、さらなる減反政策・米価決定の市場原理への移行など日本農業を取り巻く状況により、業界内の競争は激しい。そんな中にあって同社は創業以来、順調に業績を伸ばし続け、現在150億円の売上高を達成している(平成15年度実績)。
 「温故知新」「開発立社」を理念に、創業以来つねに独創的な製品を開発し、市場に新風を巻き起こし続けている同社。社是の第一に掲げる「発明考案して良い品を作り、農業の躍進に貢献する」の精神は、900件を超えるという特許・実用新案の取得実績にも表れている。

使い勝手の良い犁の発明で、日本初の特許を取得

 同社は明治35年(1902年)、「専売特許単ざん双用犂(そうようり)製作所」として創業した。
 創業者である松山原造が、青年時代から農業の技術指導に携わる中で、馬を動力として誰でも簡単に使える犁(すき)を発明。技術指導のかたわら各地で講習を行い、使い勝手の良い犁を手に入れることに苦心していた農家の間で評判となる。原造は農家の要望を受けて細部にわたって改良を加え、さらに使い勝手の良い犁をつくりあげていった。そして明治34年、「単ざん双用犁」の名称で特許出願。同年に特許第4975号を取得し、日本初の特許犁となった。
 単ざん双用犁とは、一枚の犁先で土を左右任意の方向に耕起反転できるところからつけられた名称。犁先には当時の主流だった鋳物ではなく鋼を用いた。そのため薄くても折れにくく、石や砂利に当たっても破損しないほど高い強度を誇った。また破損した場合も修理が簡単にできるように作られ、犁先は先端部分だけを交換できるようにした。「利用者の立場、生産技術的立場の両方を尊重し、軽くて丈夫、誰でもラクに使える製品づくり」の結晶である。
 その後も、全国各地の農地条件にあわせてバリエーション豊かな犁を開発し、次々と特許・実用新案を取得。これらが普及するにしたがって「松山犁」と総称されるようになっていった。

動力用犁の開発により、日本農業の機械化を推進

 昭和初期から始まった農業の機械化も急速に進み、同社では畜力用犁に代わり、輸入トラクターなどの動力用犁の開発にもいち早く取り組む。
 当時、比較的普及していたのが小馬力で軽量の歩行型トラクター。しかし十分な耕起ができず、洋犁も日本の農地には不適だった。そこで輸入元の農機具メーカーと技術提携して研究を進め、昭和30年日本初の歩行型トラクタ用犁「傾斜軸転床型犁(松山式輪装犁)」の開発に成功。特許・実用新案を取得した。
 この開発によって、これまで馬などの畜力による耕起ができなかった傾斜地や狭小な土地、足場の悪い湿田での耕うんが容易になり、歩行型トラクタが飛躍的に普及。それにともなって、歩行型トラクタ用犁の需要も爆発的に拡大していった。
 昭和36年には、歩行型トラクタ用犁の基本的な構造原理を応用し、他に先駆けて乗用トラクター用犁を完成。「ニッポンプラウ」の商品名で販売した。ちなみに現在のブランド名「ニプロ」はその時、この商品名を語源にして決められたものである。これにより国内での乗用トラクターの普及も飛躍的に進んだ。
 そして昭和40年、田畑の土壌を耕うんするロータリー、昭和44年には水田での代かき・砕土・整地作業を行うドライブハローを開発。この2つの商品はその後、松山を支える主力製品へと成長し、今日までロングセラーを続けている。
 このように1950年代から60年代にかけて、同社は数々の新技術・新製品を開発し、特許・実用新案を取得するとともに、通産大臣賞、発明賞など数多く受賞。日本農業の機械化を強力に推し進めていく原動力となった。

即効薬は何もない。ひとつずつ地道に

 同社の特徴は、開発・設計とアセンブリに特化していること。市場ニーズの変化が激しいだけに、特に開発期間の短縮は重要なテーマだ。しかし、松山社長は「拙速に出すと、農家の痒いところに手が届かない製品になってしまう。ある程度じっくり開発することが必要であり、その矛盾を抱えながら納期短縮をめざしている」と話す。
 「農家のニーズを受けると、まずそこでじっくりと要望を聞き、さらに周辺農家も回ってお話を聞きます。そこから立案した製品コンセプトに基づいて試作し、試験ほ場でテストと修正を繰り返す。ある程度のレベルまで仕上がったら、実際に要望のあった農家のほ場に行ってテストを行い、さらに土質の違う地域の農家のほ場でも試します。それでやっと製品化にこぎつける。田畑を耕す、代かきをするなどの作業は年一度。テストひとつとっても難しい問題がある。しかし、売って終わりでよしとはしない。その機械が定着するよう神経を使い、変化に対応し、改良を重ねていくことで農家に喜ばれる。その繰り返しです。即効薬は何もない。ひとつずつ地道にやっていくことが大切だと考えています」。
 これを聞いただけで、創業者松山原造の「利用者の立場、生産技術的立場の両方を尊重し、軽くて丈夫、誰でもラクに使える製品づくり」という企業精神が今もなお、脈々と受け継がれていることが分かる。そして、ここに同社が100年の歴史を積み重ねてきた理由があるように思える。

数百社にのぼる協力会社と一心同体となって

 一方、モノづくりにおいては、ロボットによる溶接加工、塗装ブースの自動化など最新技術を導入し、省力化・合理化を高度に追求した生産ラインを構築。高度な多品種少量生産体制を実現している。組み上げられていく部品の数々は、数百社にものぼる協力会社と一心同体となってつくったものだ。
 「個々の部品はまさに多種多様。しかも、その一つ一つの品質が製品そのものの品質に直結します。製品は土や泥の環境で使うものだけに不測の事態が起きやすい。部品メーカーとはお互いにノウハウを共有するとともに、技術的なやりとりもひんぱんに行い、”あうんの呼吸“のようなものができている。そんな中で長年にわたって細かな改良が加えられてきたものだけに、まさに部品一つ一つがノウハウのかたまりなのです」と、松山社長。
 同社と協力会社との深いつながりを語る上で、昭和37年に設立された松山スキ工業協同組合の存在は欠かせない。共同受注および原材料の共同購入と、組合員の金融面の合理化を主目的に協力工場が組織した組合だ。
 当時、同社では犁先の金属強度を高めるため、より高度な熱処理加工の必要性が高まっていた。そこで同組合の共同熱処理施設として、自動制御による各種熱処理と、高精度な検査体制を整えた本格的な熱処理工場を設置。高周波焼き入れなど新しい熱処理技術への対応と、人材教育投資を積極的に行った。その結果、技術レベルが着実に向上。外部からも高く評価され受注も拡大していったため、同組合では昭和57年に松山技研を設立し、人と技術を移管。新たに金属表面処理技術も加え、事業を継続することとなった。松山技研は現在、県内有数の金属熱処理・表面処理専門企業として高く評価され、業績を上げている。
 同社では協力会社の技術力向上のため、技術者がきめ細かく技術指導を行う。「設計には三次元CADを導入していますが、当社とデータを共有できている協力会社は現在、6割程度。将来的にはすべての取引先とデータを共有し、スムーズな生産ができるようにしたいと考えています」(松山社長)。

緊張感を持った経営をめざし活発な労働組合活動を展開

 同社が労働組合を組織したのは、戦後間もなくのこと。「経営者と労働者がお互いに責任を果たし、良い意味での緊張感を持ちながら経営を行うことが大事だ」と、経営者自ら組合設立を勧めたのだという。
 以来、モデル組合と評されるほど活発な活動を展開。一方で、経営側はつねにガラス張りの経営を心がけ、どんなに経営が苦しい時でも賃金カットや人員削減はしないという方針を堅持してきた。このような中で生まれる、労使間の良い緊張感が同社の家族的な雰囲気へとつながっている。
 「当社は社員一人ひとりが根っこにしっかりと創業者精神を受け継ぎ、それぞれに熱い”思い“を持っている。愛社精神も強い。そんな社員の声を聞き取り、方向を示していくのが私の仕事。その中で何か新しいものを創りあげていければと思う」と抱負を語る松山社長。
 「付加価値を受け入れてくれるところであれば、どこにでも市場を広げていきたい。地道に一歩ずつですが、国内はもとより世界の農業にも貢献していきたいと考えています。すでに海外展開も始めています。さらに、現在の機種をもっと増やして、農家により多く当社製品をお届けしたい。またビーチクリーナーのような、環境分野での製品開発も可能性があると考えています」。
 創業100年の老舗企業のトップという重責を担ってまだ2年。「悪戦苦闘中です」と謙遜しつつも、その将来ビジョンは明確だ。

プロフィール
市川 浩一郎さん
代表取締役社長
松山 信久
(まつやまのぶひさ)
中央会に期待すること

中小企業施策についての提言
当社は研究開発費に売上高の10%を充てているだけに、開発投資に対する優遇税制をぜひ講じて欲しい。また協同組合活動における金融施策についても注目している。

経歴 1964年(昭和39年)5月16日生まれ 上田市生まれ
1988年3月 慶應義塾大学理工学部計測工学科卒業
1988年4月   八十二銀行入行
1997年11月   松山(株)入社
2002年3月   代表取締役社長に就任
趣味   囲碁、将棋。子供の頃から始め、高校時代はクラブ活動でも。「正式なものではない」というが、2段の腕前。
家族構成   妻、長女

企業ガイド
松山株式会社

本社 〒386-0497 長野県小県郡丸子町塩川5155
TEL.0268-42-7500(代) FAX.0268-42-7520
創業   明治35年6月1日
資本金   1億円
事業内容   農業用作業機、環境関連機械、食品包装機械等の開発、製造、販売
事業所   本社工場、物流センター、北海道営業所、帯広出張所、旭川出張所、東北営業所、関東営業所、長野営業所、岡山営業所、九州営業所、南九州出張所
グループ会社   北海道ニプロ(株)、協同サービス(株)、松山技研(株)
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