株式会社タツノ 代表取締役社長 龍野 彰宏さん |
機密文書処理サービスで注目 個人情報など重要な情報が記された文書を処分する場合、溶解あるいは焼却が最も機密性が高いと考えがちだ。ところが処理施設に運搬中、文書が風に飛んで情報が漏れるなどの問題が発生したり、環境問題から、全国では事業所から排出される古紙の焼却を受け付けない自治体も出始めている。 このような動きをとらえ、企業の社外秘文書などを出張して細断処理し、リサイクルする事業を立ち上げて注目されているのが、OA機器や事務用品などの販売を手がけるタツノだ。 「セキュリティ&リサイクル」をキーワードに、大型シュレッダーを搭載した専用トラックで事業所に出向き、その場で機密・不要文書を細断。処理された紙は紙リサイクル工場に運び、トイレットペーパーなど二次製品にリサイクルする。一時間で約1.5トンの紙を細断でき、料金の目安は一キロあたり約60円。月間70トン程度の処理を目標とし、専用トラックの貸出も行なう。実際の業務は子会社である「タツノ・オーエスシー」が担当している。 龍野彰宏社長は新事業発想の経緯についてこう話す。「文書には、作成、複写、保存、検索というライフサイクルがあります。当社は今まで、どちらかというと文書をつくりだすビジネスを手がけてきました。しかし、当社がめざすのは単なる事務機・事務用品ディーラーではなく、オフィスサービス業。あらゆるオフィスにより良いサービスを提供していくという企業スタンスと、機密保持や環境問題という観点から、文書ライフサイクルの最終段階、つまり廃棄の部分もやる必要があるのではないか。そんな発想から、この”仕組み“が生まれたのです」。 いち早く事務用機械の販売へとシフト かつて学校の校門近くには、いわゆる「文房具屋さん」が必ずあった。しかし約3万軒をピークに、今では全国で約1万軒ほどに減少しているという。1964年に登場した電子式卓上計算機、いわゆる電卓に端を発する事務OA化の流れにのり、文具店がコピー機やファクシミリ、ワードプロセッサーといった事務機の販売業へと転身するケースが多かったからである。 1946年、タツノは文房具店として上田市で創業した。1954年にファイルバインダーの委託製造・販売を開始するとともに、事業の中核を文房具から事務用機械の販売へとシフト。1965年には早くもコンピュータの販売を開始した。 現在、タツノはOAやネットワーク構築など、情報に関わる商品・サービス・ソフトを提供する「情報環境系」、 CI、ビジネス支援サービスなどオフィスの文化に関わる専門機能を代行する「文化環境系」、オフィス家具の提供、提案・設計・施工など快適なオフィス環境づくりを行う「人間環境系」の3つのカテゴリーで事業を展開している。 アナログからデジタルへ、時代の潮流にのる 「コンピュータの販売を手がけたのは、県内では最も早かった。価格は当時200万円。機能は今とは比べものにならない代物でしたが、それまで手作業でやっていた、商品分類や売上げ統計などの販売管理をコンピュータに置き換えるというのは画期的なこと。その後、ある程度の規模を持つ工場などが少しずつ生産管理、工程管理に導入するようになっていきました」と、龍野社長は当時をふり返る。 1980年代に入ると事務の機械化、合理化が急速に進展。大規模な事業所はもとより、小規模なオフィスでもコピー機、ファクシミリ、ワードプロセッサーといったOA機器の普及が進み、タツノも事務機・事務用品ディーラーとして大きく業績を伸ばしていった。 「早くから家業を脱し、企業というスタイルをつくりあげてきたことで、OAやコンピュータという新しい分野に経営資源を投入できたし、人材も育てられた。当時、コンピュータは手に負えないと投げてしまった同業者もありましたが、言うまでもなく、この流れに乗れたか乗れなかったかは非常に大きい。さらに1995年前後からの、ウインドウズ95を中心としたアナログからデジタルへの流れ。この2つが経営の大きな転換点になりました」。 営業コンセプトは 「オフィスサービス業」 冒頭で紹介したように、タツノが90年代から積極的に打ち出している営業コンセプトは、単なる事務機・事務用品ディーラーではなく「オフィスサービス業」。 「我々はもともと、左から仕入れて右へ売ると言うビジネス。ところが流通革命といわれるように問屋が中抜きされ、デフレの時代でマージンも取りにくくなって、それが成り立たなくなってきた。そこで掲げたのが、オフィスサービス業という概念です。単に事務機屋でも文具屋でもなければ物販業でもない。事務機などを販売しながら、そこにいろいろな付加価値をつけ、その延長線上で新しいビジネスを創造し、展開していく。その中から生まれてきた新しいビジネスモデルのひとつが機密文書処理サービスであり、その他にも新しいビジネスモデルやビジネスの構築に取り組んでいます」。 そのひとつが、1991年に立ち上げた「COM(コンピューター・アウトプット・マイクロフィルム)サービス事業」。これはコンピュータの磁気テープに記録された膨大なデータをマイクロフィルム化して保存するサービス。さらにデジタル化、ネットワーク化の潮流をとらえ、コンピュータソフトやシステムの構築、ネットワーク構築などのS&S(システム&サポート)にも力を入れている。 「販売代理店」から「購買代理業」へ 今、文具事務用品を、プラスの「アスクル」、コクヨの「カウネット」といった、大手メーカーが地域文具事務用品店をネットワークして展開する通信販売システムで調達するオフィスが増えている。 タツノではそのネットワークにも加盟しながら、独自に「タツネットC」というオフィス用品調達支援サービスを構築し、売り込みを図っている。これは企業の本支店に文具や消耗品などのオフィス用品を掲載したオリジナルカタログを配布し、各拠点からのファックスによる受注から品物の調達、ピッキング、週2回のデリバリーまで一括して引き受けるというもの。つまり企業の総務部が行っている購買業務のアウトソーシングを担うビジネスモデルだ。 「これは、お客様に商品を提供し、メーカーからバックマージンを受けるという従来の『販売代理店』から、お客様が欲しい商品をつかみ、ニーズを満足する品物をいろいろなメーカーの中から探して提供するという『購買代理業』への発想の転換から生まれたビジネス。購買担当者も不要になり、店内在庫もなくなる。しかも支店ごとの購買動向データをすべて出しているので予算統制もできます。また環境ISO14001を取得する企業も増えていますが、2001年から施行されたグリーン購入法に基づき、カタログの中で環境にやさしいグリーン商品は区分けし、その購入率を支店ごとに出し、各支店と本店総務部や環境ISOの担当部門にフィードバックしています。もちろん、古くなった専用カタログは我々が回収し、処理します。お客様にはこの一連の”仕組み“を買っていただくことによって、数多くのメリットが提供できると自負しています」。 事業の推進力は人材育成にあり つねに次代の潮流をとらえ、新しいビジネスを創造し、積極果敢にそれを展開しているタツノ。その推進力となっているのは、言うまでもなく人材だ。 「人材は経営の中核であり、そのスキルを上げていくことが大切。もっとも、本当にそうなってきたのはここ10年くらいのことだと思います。OA化がどんどん進んだ80年代はそれほどスキルを必要としませんでした。しかし90年代に入り、デジタル化やネットワーク化が進み、お客様のニーズやメーカーの製品開発コンセプトが変わり、本当にスキルが必要になってきた。販売技術より、システム提案技術が重要になってきた。つまり足で売る時代から、アタマを使って売る時代です。 お客様の業務内容を理解し、それを改善、合理化、効率化するための的確な方法としてシステムやノウハウをご提供するのが我々の仕事になっています。また、それができなければ生き残れない時代。当社ではメーカー研修への派遣、社内での週2、3回の学習会など、積極的に教育の場を設定。社員1人ひとりのスキルアップに取り組んでいます」。 意識改革と自助努力が大切 長引く不況下、特に地方では非常に苦しい経済情勢が続く。約六万人といわれる上田職業安定所管内の労働人口の中で現在、失業者は五千人に近い。「最近の自己破産や自主廃業の数から見て、金融がセーフティネットとして働いていない。金融と雇用は壊滅的な状況」と、上田商工会議所副会頭の重責も担う龍野社長は悲観的だ。 「中心市街地活性化問題にも取り組んでいますが、上田市の中心商店街、海野町の通行量は昭和55年当時、1日約1万4千人。それが平成元年に半数を割り込み、今年の調査では2100人になっている。上田でも今年いよいよTMO組織が立ち上がりますが、だからといってかつての賑わいが戻ってくるかは疑問。これは市民の生活パターンが変わり、消費者ニーズが変わり、商業施設が分散した結果で、中心市街地だけの問題ではないからです」。 では一体、これからの経営はどうすればいいのだろうか。その問いに、龍野社長は「自助努力でいかざるを得ない」ときっぱり。 「ほんの10年ほど前まで、企業というクルマはそれぞれスピードに多少の違いはあっても、ほぼ快調に高速道路を走り続けてきた。そして、この高速道路はどこまでも続くとみんなが思っていた。ところが気がつくと、いつの間にか高速道路は途切れ、デコボコの坂道になり、しかも濃い霧がまいて先が見えない。アップアップして前になかなか行けなくて困っている。今の日本の産業界はそんな状況です。しかし、高速道路が終わったところでちゃんとブレーキをかけ、果敢にカーブをきって別の道に行った企業もある。それがバブルの後遺症を解消して勝ち組といわれている企業です。 せめて我々は、この先にかつての延長線上の高速道路はないことを正しく認識し、組織を構成する人間が意識改革して、まず一度止まってみる。そして、それから別の道へと走り出す。この自助努力が大切なのではないでしょうか」。 |
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