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楽観視できない観光・宿泊業の現状 観光・宿泊を取り巻く現況は、他業種同様決して楽観的ではない。平成14年度版の観光白書の内容はこの現状を示唆している。同白書によれば消費者における観光・宿泊関連の支出の母体となる自由時間関連支出の減少傾向が明らかにされている。自由時間関連支出の消費支出に占める割合は23%前後で推移し、また、旅行関連支出の自由時間関連支出に占める割合は16%台で推移しているものの、その金額自体は年々減少傾向にある。(表1)さらにこの中で宿泊旅行を行った消費者の統計をみて見よう。国民1人当たりの年間平均宿泊旅行回数は2.26回(前年比11.7%減)、国民全体では延べ2億8千7百万回と推計され、いずれも近年の宿泊旅行回数減少を物語っている。(表2) 様々な仕掛けやブームの勢いも手伝い、旅行・観光産業は一大産業として発展を遂げてきた。しかしバブル経済の崩壊以降その伸びは止まり、ことに近年宿泊支出を筆頭に消費者支出は冷え込んでいる。とはいえこの産業自体11兆円の規模を持つ巨大産業であることに変わりはない。現在の状況を克服し、いかに産業を維持・拡大してゆくかを具体的に考え、取組んだのが今回紹介する事例なのである。 EQI(行動特性検査)を利用した人材育成のための取組み 前掲の背景の中で今回事例として紹介する野沢温泉旅館ホテル事業協同組合(略称 野沢温泉旅館組合)がまず着目したのが、「サービスにおける接客能力の向上」である。旅先の旅館で気持ちの良い接客をうけ「次にこの地を旅行することがあればぜひまたこの旅館に泊まりたい」という思いを誰しもがもったことがあるはずだ。こうした宿泊客の満足度を向上させることは宿泊のリピートにつながり、結果として観光産業全体の底上げにもつながってゆく。そしてこの宿泊客の満足度を上げるための要素の1つである「接客の良し悪し」の根底をなすのが「対人能力の向上」に他ならない。この対人能力を向上させるための一手段として、同組合ではEQI(行動特性検査)の導入に踏み切った。同組合の取組みを探る前にまず、この耳新しいEQとはどんなものなのか概要を掲載する。 EQとは EQ(Emotional Intelligence)とは、イエール大学のピーター・サロベイ博士とニューハンプシャー大学のジョン・メイヤー博士によって、1990年に初めて論文で発表された理論だ。この論文の中で両博士は、EQについて次のような定義づけをしている。 「EQは、情動状態を知覚し、思考の助けとなるよう情動に近づき、情動を生み出し、情動や情動的知識を理解し、情動面や知的側面での成長を促すよう情動を思慮深く調整する能力である」 わかりやすく言い換えれば、自分の感情を上手に調整し利用することで、本来自分が持っている能力を最大限に生かすことができる知性といわれている。日本では1995年に刊行されたダニエル・ゴールマン著「EQ―こころの知能指数」がベストセラーとなりまた、同年、雑誌「タイム」に掲載された「人生で成功できるかどうかを決めるのはIQではなくEQだ」という特集記事も大きな反響を呼びこの言葉が周知されるに至った。 EQはその語感から、IQ(知能)と対比されることがよくある。一般に知能(IQ)が高ければ物事を正確に処理することができ、仕事が出来る人だと思われがちだ。しかし、些細なことに動揺したり、怒ったり、他人の感情に鈍感で全く考慮しないなど、社会的知性の欠けている人だったらどうであろう。つまりIQだけでは測りきることができない部分をカバーするのがEQなのである。 人間は心理的に動揺すると論理的思考力、記憶力、集中力、判断力、学習能力が低下するといわれている。これを宿泊業にあてはめてみるならば、予想外の顧客の要求(心理的同様)などに対した時、如何に自身をコントロールし結果として、スピーディで神経の行き届いた対応ができるかどうかといったことにつながる。またさらにEQの高さは、上質な接客には必要不可欠な総合的な社会的知性の高さでもあるのだ。また、IQは遺伝的な要素が大きく影響するといわれているが、EQは自らの努力により高めることができるとされていることも見逃すことはできない。 EQI(行動特性検査)とは
EQIはEQ理論を基に、自身の行動特性がどのようなものかを客観的に測るために開発されたセルフレポート形式の検査である。その結果が行動傾向としてグラフと表に表される。また、その行動が情動のどこに起因しているかを探ることにより、EQの状態を推し測ることが可能となる。つまり、EQIではEQそのものを測ることはできないがEQIの結果からある程度EQという知性を推測することが可能なのだ。 EQに関する能力開発は、まず自らの行動特性を知ることからはじまる。この特性は3つの知性とそれを支える8つの能力、その能力を生み出す24の素養で構成されているとし(表3)、簡易なアンケート回答形式の設問に対し回答用紙に記入することにより、自己の強みと改善点を知ることができるとされている。 つまり、自分で自分の状態がわかる、心内知性(セルフコンセプト)。他者に適切かつ効率的に働きかけることができる、対人関係知性(ソーシャルスキル)。自分と他者の両者の状態を同時に認知できる、状況判断知性(モニタリング能力)。この3つの知性をそれぞれどの程度備えているかということ、および3つの知性のバランスがどの程度かということでバランスよくEQ能力を発揮しているかどうかが分かるのだ。 「EQジャパン」EQジャパンHPより抜粋・引用 (参考文献)「EQ入門」EQジャパン著 オーエス出版社「EQI解説と自己開発の指針」株式会社イー・キュー・ジャパン
一事業体でできないことこそ組合で取組む「野沢温泉旅館ホテル事業協同組合」
「旅館という小規模事業体が多いため、一組合員ではなかなか開催・実現しにくい取組みを組合事業という枠の中で実行しています」と語るのは組合理事の片桐アキラさん。片桐さん自身も当代で4代目を迎える老舗旅館「桐屋」の若旦那である。同組合では今回事例で紹介するEQセミナー受講以前にも、組合事務局と併設の旅館案内所職員の国内旅行業免許取得を推進したり、また、お茶の淹れ方から配膳まで、お客様のおもてなしの作法を学ぶセミナーを、組合として開催したりと様々な活動を通して積極的に組合の効果的活用に取り組んでいる。 「1組のお客様と接する時間が、飲食業では長くても2時間程度、これが旅館業となれば20時間はお客様と接する時間があるわけです。お客様にオーダーを受けなくても、お客様の表情を拝見しただけで、お客様が何を欲していらっしゃるのか、がわかることが旅館業の要であり、こうした気遣いは同時に非常に高いストレスを生みやすい、この相反した部分を上手に補い、高めていくのにEQIは非常に適していると思いました」と片桐さんは語る。片桐さん自身、実は以前にも、対人能力向上のためのセミナーを受けており、旅館業従事者の対人能力向上は常に問題意識として持っていたのだという。 接客能力向上だけにとどまらない同業他者との連携強化・地域発展の地盤強化のために
「○○旅館という旅館名だけでお客様が来てくださるのは全国でもわずか、特に中小規模の旅館で構成される野沢温泉では、まず野沢温泉という「地域」をお客様に選んで頂く事が前提となります。地域内での旅館同士が切磋琢磨し、より良いサービスを目指す事も当然必要となりますが、その結果が地域の魅力としてフィードバックされ、地域の活性化に繋がる仕組みがこれからの観光地には必要です。」 片桐さんは現在の旅行業・旅館業全体に関わる問題点を鋭く示唆する。 「お客様に本当に満足していただくために、野沢温泉という地域全体の満足度を高めていただくことこそが大切です。そしてこの地域全体の満足度を高めるためには、その構成者である我々が強く連携してゆくことが必要不可欠なのです。私たち同地域の旅館業者は競争相手であると同時に、一致団結し野沢温泉という地域の持つ魅力を高めていかなければならない。これなしでは自分たち自身の旅館経営に明るい展望は持てません。そのための骨格として同業者間のコミュニケーションの円滑化は非常に重要なのです。このことも今回、組合としてEQをやってみようと思った大きな狙いのひとつです。」
「自腹を切ってこそやる気になる」費用の一部は自費負担 EQにかかる費用は決して低額なものではない。野沢温泉旅館ホテル事業協同組合ではその一部を事業協同組合という組織を生かし補助金から、そして一部を組合の予算から、残りは参加希望者の自費で負担した。 「人間というのは誰でもなかなかあてがいぶちでは本気になりません。EQの趣旨に賛同し、積極的に参加しようと思ってくれた組合員の方に参加していただきたかった」と片桐さん。 実際のセミナーは昨年の冬に話がのぼり、片桐さん自身、その後ウインターシーズンの繁忙期の合間を縫ってEQに関する情報を書物・WEBから収集、流れを説明しながら参加希望者を募り実際にセミナーを受講したのは今年の春過ぎだった。前掲の調査票を参加者が自宅で記入し、分析された結果をもとに小グループに分かれてディスカッションが行われた。 「普段自分でなんとなく感じていた自分自身を論理的に指摘され、今後の接客業務に生かす具体的なきっかけがつかめた」と片桐さんは振り返る。また、大きな狙いの1つであった同業他者のコミュニケーションの円滑化についても「一緒に飲みに行ったりする間柄ではあったが、相手のことをあそこまで深く追求し話し合う機会はあまりなかった。現在、本来のEQの効果はじわじわとしか現れてきていないのかもしれないが、ああした話し合いの場を持ち各人がそれぞれの深い部分まで突っ込んだ話をする機会を設けたのは、それだけでコミュニケーションの円滑化という効果がありました」と、導入に対して相応の成果はあったようだ。 「EQにしても何にしても結局は手段の1つでしかあり得ない」というのが片桐さんの持論である。 「どんなことでもいいからこれは、と思ったことは積極的にやってみる。それがどんなものであれ、手段である以上”使って“みなきゃわからないじゃないですか。そしてその結果を冷静に判断分析して次に生かせばいい。結果を危惧して1人でなかなかできないことだからこそそういうことは組合として取組んでいくのだと思います。」 今回導入のEQに関して片桐さんは確たる手ごたえを感じ、且つこう締めくくった。 着々と進行中!野沢温泉旅館ホテル事業協同組合の新たなる取組み 野沢温泉は全国でも有数の古湯である。この観光資源に新たなる付加価値を生み出すための取組みが現在進行中である。 「EQが手段であるのは先ほどお話した通りです。この手段という部分ではEQに関わらず様々な取組みを考えています。その1つが”自然体験推進協議会(CONE)“のリーダー認定取得に向けた取組みです。現在グリーンツーリズム・森林インストラクター・ボーイスカウト・野鳥の会など様々な自然体験活動団体がありますが、これらの団体が一堂に集まり、ネットワークを形成し共通の指導員制度の策定などを通じて自然体験を推進していこうという組織が自然体験推進協議会です。」 野沢温泉は温泉以外にも近隣に上の平・カヤノ平など有数の原生林を観光資源として持っている。ウインターシーズンの宿泊客の落ち込みに対し、これをグリーンシーズンでどうカバーしてゆくか、この命題に対する回答の一つがリーダー認定取得なのである。 「といってもそんな大げさなことじゃないんですよ(笑)。ちょっと前なら山間の温泉で泊まったさきの旅館の親爺さんに付近の山を案内してもらったり、いっしょに山菜採りに行ったりということがあったと思うのです。ただそれが現在の社会では『怪我したらどうするんだ』とかやっかいな問題がけっこうありますからこういう制度を手段として使っていこうというわけです。CONEリーダー養成講座を受講し、認定を受けた仲間が他の旅館のお客様を山に案内するというような有機的な取り組みも始まっています。」 片桐さんは続ける。 「本来の野沢温泉にあったもの。それは人と人のふれあいから生まれる温泉情緒であり、ゆっくりとした時間の流れを楽しめる環境なのだと思います。スローライフとか癒しという、現在の観光を語るキーワードの原点が野沢温泉にはあったのです。これをとりもどし、さらに発展させてゆくための手段がリーダー認定であり、EQなのだと思います。」 今回紹介した野沢温泉旅館ホテル事業協同組合では、EQセミナーをはじめとする様々な試みやリーダー認定などの取組みは常に組合青年部が中心となって活動している。決して甘くはない状況の中で、次の世代に花咲くための芽が、各所各所で着実に芽生えているのだ。
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