信州の企業人-チャレンジャーたちの系譜-


“~ 世界育ちの「地球企業」として グローバルスタンダードを 提供する。 ~”


竹内明雄さん
株式会社竹内製作所
代表取締役 竹内 明雄さん


 世界の建機市場で、名だたるビッグカンパニーと伍して闘っている企業がある。坂城町に本社を置く株式会社竹内製作所だ。世界初のミニショベル、クローラーローダーなどを生みだし、小型建機のパイオニアとして欧米市場ではきわめて高い支持を得ているエクセレント企業だ。昨年12月にはジャスダック市場に上場し株式を公開した。混迷の時代にゆるぎない地歩を築き続ける同社の歩みと戦略について、代表取締役社長竹内明雄さんにお話をうかがった。

「徹底した現場主義」こそすべての原点です。

自主独立の気風


組立生産ライン(戸倉工場)
組立生産ライン(戸倉工場)
 坂城町に生まれた竹内明雄さんは、15歳で地元の自動車部品メーカーに入社した。以来14年間、仕事を勤める中で、技術者としての技と感性を磨いた。24、5歳の頃には、社長とともに、取引先であるホンダの本社を訪れ、優良企業の表彰を受けたこともある。そうした中で、少しずつ「小さくとも自分の工場をやってみたい」という思いを育んでいった。
 部品ではなく、完成品を自分の手で作り上げたい、自社ブランドを世に問うてみたい。その思いが高じ、独立を決意した。この当時の竹内さんの技術者としての高い感性と思いが、現在に至るまで、1日1回は工場を巡回し改善点を見出しているという、一貫した現場主義に今もなお脈々と息づいているのだ。
 「もともと坂城町には、自主独立の気風が根強くあります。当時私の周りでも、独立していく例が幾つかありましたし、それも影響していたとは思いますね。」
 独立は昭和38年のことである。慰留してくれた社長から「せっかく独立するのなら」ということで、退職金代わりに旋盤を譲り受けてのスタートだった。工場を造るにも資金が不足し、自分で屋根を張ったり、板を打ったりして完成させた。
 独立当初は、自動車部品の加工が中心だったが、少しずつお客様も広がり、小さいながらも、アッセンブリまで引き受けて納品するメーカーへと育っていった。


世界初、ミニショベルを開発

 転機が訪れたのは、昭和45年のことである。
 知り合いの土木事業者から「もっと手ごろなショベルカーはできないものか」という相談を持ちかけられたのである。それまでのショベルカーといえば、機械式の大型のものであり、市街地の土木工事や住宅基礎工事などには、とても導入できないものだった。昔ながらに、ツルハシやスコップで掘り返すという状態だったのである。
 「私も若い頃、地区の共同作業で、わが家に割り当てられた分をやったことがありました。慣れないのにツルハシを使ってみて、これは大変なことだなと実感していましたから。これはぜひなんとかしてみようと、考えたのです。」
 アイデアはあった。ショベルをスウィングさせ、ボディ全体を旋回させるようにすればいい。そのための油圧機構や機構部品についても調達の目処は見えていた。それにしても、わずか3ヶ月でミニショベルを完成させたのは、まさに熱意の賜といっていい。普段からの「徹底した現場主義」の成果がそこに活かされていた。
 こうして製品化されたのが、ブームスウィング機構を備えた全旋回型のミニショベル「TB1000」である。小型軽量で作業性の高いミニショベルは、地域の建設土木事業者の圧倒的な支持を得た。
 ミニショベルの一貫生産ラインを構築し、同社はユニークな独自性を持った建機メーカーとしての第一歩を歩みだした。


OEMから自社ブランドへ

溶接作業を行うロボットマシン(本社工場)
溶接作業を行うロボットマシン
(本社工場)
 当時のわが国経済は、大型公共投資などさまざまなビッグプロジェクトに湧きあがっていた時代。建機市場は拡大していた。さらに住宅ブームや市街地開発も後を追って到来し、同社のミニショベルへのニーズは一気に高まっていく。
 「しかし、既存のメーカーも販売チャネルも確立されている中へ、いくら新たな製品だからといって、すぐに打って出られるわけではないですね。ですから当初はOEMに徹しようと考えました。」
 昭和50年には大手建設機械メーカーとOEM契約を結んでの全国展開をスタート。新たな共同ブランドを付けられた同社のミニショベルは、その強力な販売網を通じて全国に浸透していった。
 だが、順風満帆に思えたOEM事業にも影が差す。ミニショベル市場が拡大すると、大手メーカーは相次いで自社生産に切り替えるようになり、同社の受注は激減したのである。その後も、他の大手メーカーへのOEM供給を推し進めたが、いずれも最後にはそうした流れがくり返された。
 「自社の販路で、自社ブランドで売っていかなければだめだと思いました。いくら新市場の開拓者として評価されても、それだけで終わってしまうのです。」
 しかし、国内は既存メーカーが乱立している。それならばむしろ、ミニショベル分野ではまだ未開拓といえる海外へ目を向けよう。欧米市場へ経営資源を集中させよう。それが、竹内さんの下した決断だった。


海外への戦略展開

 すでに同社では、昭和54年から、アメリカに現地法人を設立するなど海外での販売網づくりを進めていた。
 「たまたま工作機械メーカーの山崎鉄工(現・ヤマザキマザック株式会社)のお誘いを受けて海外の展示会に行くことがあり、その状況を見て、我々にもできるのではないかと考えたのです。」
 未開拓の世界だったが、同社のアドバイスなども受けながら進めた。当初はオフィスも同社の事務所の一角を借りており、市場調査も兼ねて広告を打ってみたところ、たちどころに40件程の反応があった。
 「扱ってみたいが、ついては見本を送ってくれと言うのです。とにかく、こうした小型建機というものは市場に存在していなかったわけですから、先方も手探りだったのです。」
 そこで、とにかく市場へ出した方が良いだろうと決断した。
 当初こそ国内に比べわずかな売上ではあったが、自社で構築した代理店網を通じた着実な販売展開が実を結んで、売上を拡大。それとともに「TAKEUCHI」ブランドへの評価は徐々に高まりつつあった。
 海外への戦略的集中を図ったのは平成五年のこと。1ドル100円を超える円高期ではあったが、逆風に耐えながら、竹内社長自ら陣頭に立って販売促進に取り組んだ。
「この苦しい時期に基礎固めをしっかりとしたことが、その後の欧州市場の本格的な需要拡大を的確にとらえることになりました。」
 普通、海外進出と言えば、市場調査を綿密に行いながら、営業戦略を構築していくことになるが、同社の場合は違った。
 「そもそもこういう製品の市場自体が存在しないのですから、市場調査にも限りがありますね。それならむしろ潜在需要を掘り起こす方が先だろうと、積極的に広告を打ち、展示会に出して、とにかく機械を見てもらおうという方法を取りました。」
 建機関連の展示会や見本市は積極的に活用した。サンプル機を出荷して、具体的な利用の場面や利便性のアピールも行った。反応は意外な所からも来た。
 「アメリカの展示会に、ヨーロッパからの視察団や見学者が来ていて、引き合いがあるのです。それでヨーロッパ市場へも展開していくことになりました。」
 平成8年には英国に、12年にはフランスに現地法人を設立。現在は、これら3つの子会社と各国を網羅する代理店網を通じて、世界に「TAKEUCHI」ブランドを提供している。
 ミニショベル市場の占有率では、米国で2位、ヨーロッパで五位というポジションに位置するなど、文字通りのリーディングメーカーの地位に立つまでに至っている。


建機のベンツ

 同社の強みは、ユーザーニーズに機敏に対応し、卓越した機能と品質、耐久性を実現させていることである。
 年間2000時間稼働という、「日本の約2倍にも及ぶ過酷な使用条件下での実績」が高く評価され、「建機のベンツ」とも称される程の評価を確立した。
 そうした機能・品質・耐久性への裏付けとなっているのが「徹底した現場主義」の姿勢だ。お客様の現場でニーズを探り、ものづくりの現場から徹底した品質改善への取り組みを続ける。
 「こうした現場をつねに見て、接していることが、新たな製品づくり、技術開発のヒントにもなるんです。」
 こうした事例はクローラーローダー開発にも見られる。
 竹内さんが、米国でアフターサービスの委託先を探していた時のこと。土砂掘削・運搬車両がよく故障して整備工場に並んでいるのを見かけた。理由を聞くと、粘土質の土に車輪を取られることが原因という。それならば、無限軌道式にすればいいではないか。そこで、帰国後すぐに開発に着手し、完成させたクローラーローダーは、現在同社の主力製品の一つに成長している。


猫の目の経営

世界初全旋回式ミニショベル(TB1000)
世界初全旋回式ミニショベル
(TB1000)
 坂城は、ものづくりのメッカとして世界から高い評価を得てきた町。そうした中で培ってきた豊富な技術やノウハウ、そして何よりもものづくりに懸けるスピリットは、得がたい財産である。
 これらを活かしながら、さらに発展していくために、信州大学や中国復旦大学などとの異業種交流や国際交流、産学官共同開発も進められているところである。
 こうした取り組みの中から、それぞれの企業が「新しい時代を開く芽を育んで欲しい」と竹内さん。例えば、得意先の言われるままになるのではなく、むしろ逆にコスト削減や新技術導入を積極提案していくこと。それが企業の強みになっていくからだ。
 そうした時代を見据えた経営を行うために、竹内さんが必要と考えているのは「猫の目の経営」だ。
 「猫は、明るい所では目を細くして、暗がりでは眼を大きく見開いています。経営もそうだと思います。今日のような先の見えにくい時代、私たちはもっと大きく目を見開いて、いろいろな物を見通す必要があります。また絶えずさまざまな角度から、ものを見るようにしていくことも不可欠です。それが私の言う『猫の目の経営』なのです。」



プロフィール
竹内明雄さん
代表取締役
竹内明雄
(たけうちあきお)
中央会に期待すること

 地域経済の活力源は、創業のエネルギーです。新たに起業しようとする人、新規事業にチャレンジしようとする人がいれば、その地域は活性化されます。ですから創業支援をさらに強化して欲しい。
 小さくとも元気な企業がもっとでてくるように、サポートをしていただきたいと思います。
開発センター(本社)
開発センター(本社)

経歴 昭和8年、坂城町村上生まれ。地元のメーカーに就職し、14年間勤務の後、昭和38年に独立。株式会社竹内製作所を設立。代表取締役社長に就任、現在に至る。
趣味 渓流釣りや山菜採りは最近なかなか出かけられなくなった。
健康維持と気分転換を兼ねて、畑いじりに精を出している。



企業ガイド
株式会社竹内製作所
所在地 長野県埴科郡坂城町上平205
TEL.0268-81-1100
設立 昭和38年8月21日
資本金 13億8635万円
事業内容 各種建設機械及び工業用撹拌機、環境機器等の設計・開発・販売
事業所 本社・村上工場・戸倉工場・千曲工場
所属団体 松山スキ工業協同組合

目次に戻る