大塩のイヌ桜(イヌザクラ) 「静の桜」という異名を持つ背景には、静御前の悲しい恋物語があります。兄・源頼朝に追われ、奥州へと逃れた弟の義経を追いかけてきた静御前は、長旅の果てにとうとう義経に会うことができず、泣く泣くこの地(北安曇郡美麻村大塩)でこの世を去ったという言伝えがあり、このサクラは旅の間静御前が杖として使っていた桜がここで根付いたと伝えられています。静御前の魂は大切に祀られ、桜は「静の桜公園」と名付けられた公園の中で、薬師堂や桜慕情碑とともに保存されている。イヌザクラは桜の中でも珍しいとされる種類で、梅雨時に白い小さな花をたくさん咲かせるのですが、この木は1000年も生きてきた古木のため、残念ながら花数は少なくなってきているようです。
素桜神社の神代サクラ(エドヒガンザクラ) 長い歴史を持つ樹齢は1200年とも1400年とも言われており、この桜はその昔素戔鳴尊がここで休んだ時に、持っていた桜の杖をさして大きくなったものだという伝説をもっています。幹が大きく3つに枝分かれしており、4方へ手を伸ばすように広がる巨木は、支柱に支えられながらもずっしりと雄々しくその佇まいをみせています。寒い山間地にある桜ですが、毎年見事に花をつけ、4月末から5月にかけて、小さな神社を包み込むように、老樹とは思えないほどこんもりと美しく咲く淡い色の花は一見の価値があります。地元でも保存会で大切に守られており、樹木医が丹念に診断して肥料を施し、このため木の周りは立入禁止になっています。
愛宕神社の清秀サクラ(エドヒガンザクラ) 飯田で最も古いとされる桜。飯塚城(愛宕城)が長姫城に移ったあと、そこに建てられた地蔵寺の清秀法印が、1240年に植えたと言われており、このサクラは愛宕神社の御神木でもあるのです。樹齢750年以上で傷みと腐蝕が激しいのですが、3月中旬から下旬に、ほかの桜より早く、毎年元気に花を咲かせます。白っぽい色が特徴のエドヒガンザクラにしては花色が濃く、その鮮やかさに目をみはるものがあります。 飯田はもともと城下町で桜が多く、桜町駅横にある大雄寺にはシダレザクラ、並木通りにはソメイヨシノと、この周辺では春の暖かい陽差しの下で、数種類の桜の花を存分に楽しめます。5月上旬頃には花を引き継ぐようにリンゴの花が咲き乱れ、長い期間、飯田は花木に染められます。
関所破りの桜(シダレザクラ) その名前から、どんな激しい攻防戦を見守った桜なのかと想像するのですが、この地に貢献した人物が名を馳せて、役人の規制をも難なく緩めたという謂われ。その昔、この地域の水田開拓に尽くした市川五郎兵衛の偉業を讃え、祀るために、彼の生まれた群馬県から桜の木を貰ってくることになりました。その帰り道、木を運んでいた若者達が碓氷の関所で通行手形がないことに気付いたが、役人に理由を話すと、「市川五郎兵衛を祀るならば」と、すんなり関所を通してくれたということで、この名が付いたと言われているのです。高台から村を見守るように植わっている木は、見事に大きく枝を広げて薄紅の花をつけ、シダレザクラ特有の美しいしなやかさを見せています。
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