信州の起業人-チャレンジャーたちの系譜-

“~ これからの 中小企業経営者の仕事は、
ビジネスモデルを見つけだすことです。 ~”


夏目 潔さん
株式会社夏目
代表取締役社長 夏目 潔さん



麻問屋からのスタート


 俗にノベルティグッズと呼ばれる販売促進用品。企業や商品のデザインがあしらわれたさまざまな販促ツールは、私たちにとって身近な存在である。時として大きなプレミアが付いて話題を呼んだりすることもあるが、現実には、企業活動の第一線に関わっているきわめてシリアスな製品領域である。
 この販売促進用品の企画・制作・販売を通じて信頼を獲得しているのが、長野市に本社を置く株式会社夏目である。現在の代表取締役社長は夏目潔さん。昭和26年生まれ、戦争を知らない子供たち世代である。
 古くは江戸時代、現在の長野市東町において営んでいた麻問屋がルーツ。当時の麻は、長野地方にとっては重要な産品の一つであり、西山地方で産する麻は、ここに集まり、全国へと送り出されていた。合わせて戸隠などの竹細工やアケビ細工といった工芸品も取り扱われており、その一方域外からは荒物雑貨を仕入て卸すというのが、夏目家の商いだったという。主人は麻屋平助を名乗ることから『麻平』と呼ばれ、ずいぶん後になってからも『麻平』と呼ばれていたという。
 明治以降、物流の流れが大きく変わっていく中で、荒物雑貨の卸販売を主力とする夏目商店を創業。これが現在の株式会社夏目に繋がる直接の基点となっている。


安定供給ルートを見つけ出せ!

 この業態に変化が起きるきっかけとなったのは、大戦中のいわゆる物資統制である。同社の扱う荒物雑貨品も統制経済の下に組み入れられることとなり、組合に再編された。この時、理事長となって尽力したのは、夏目さんの祖父であった。
 戦後になって、組合は解体され、それぞれ旧来の卸問屋へと戻っていったのだが、経済の混乱は、同社にも大きな環境変化を与えていた。
 例えば、終戦直後、もっとも深刻に不足が叫ばれたものの一つに紙がある。ことに印刷・出版物に使用される洋紙は、供給自体が混沌としているありさまだった。
 こうした折も折、長野県の教育界をリードする立場にあった信濃教育会は、従来の国定教科書に代わる独自の教科書づくりに取り組んでおり、これをサポートする業務に携わっていたのが、夏目さんの叔父にあたる故夏目忠雄氏(元長野市長・参議院議員)であった。
 その依頼を受ける形で、印刷・出版用洋紙の安定供給のルートづくりに奔走したのである。
 また一方では、キリンビールの販売の一翼も担うこととなった。独占禁止の指令に基づいて分割されたビール各社はそれぞれ独自のルート開拓を進めており、その関係から販売に携わったのである。
「これは後に、同じ長野エリアをカバーする三事業者による事業合併により、長野キリン販売株式会社の設立に至るわけですが、現在でもキリン製品の販売専業でありながら、同社の資本は一切入っていないんですね。きわめてユニークな形態だと思います。」


企画提案型商社への脱皮

 こうした、いわば異分野の開拓に取り組んでいったことが、結果において商社機能を充実させるという結果に結びついたと夏目さんは語る。
「やはりそれまでは、どれほど近代化しようと、あくまで卸問屋ということだったと思うんです。商品を卸すことには長けていても、仕入先を拓くとか、商品自体を開拓するという発想はそもそもなかった。それが、自ずと得られて行ったんです。」
 それが販売促進用品という領域に結びついた。
 例えば、マッチである。かつて、家事の電化が起こる以前には、暮らしの中においてマッチはまさに必需品であり、荒物雑貨の定番であった。ところがそこに、「広告マッチ」という概念が加えられてくる。マッチ箱のラベルに社名や商品名を入れることで、販促用品へ展開し始めたのである。
「マッチは、雑貨店で『売る』商品から、企業のPRとして『提供する』ノベルティに一変したんです。当然販路も変わりますし、売り方も変わる。どれだけ販促ツールとして魅力ある商品企画を打ちだせるかが勝負になる。それはもう商社の機能ですから。」
 これが、同社の販促用品分野への展開のきっかけとなった。マッチからうちわ、カレンダー、文具、各種ノベルティグッズへ。一挙に視界は拡がった。
「私たちが上手く機能できたのは、どちらのノウハウも持っていたということだと思います。雑貨のルートやノウハウはもちろん、洋紙の販売を通じて拓いたチャンネルもあり、さらに得意先のニーズに応じて新たなルートを構築するノウハウも持っている。それはノベルティ専業者にはない強みでもあったんでしょう。」
 昭和31年には東京営業所を設置し、首都圏進出を果たしていたが、販売促進用各種ツールに特化した形での展開によって、当時の服部時計店(セイコー)を始めとして大手企業との取引拡大につながっていった。
 昭和48年、長野市の新しい流通の発信基地として、卸センター(現長野アークスARCS)が創設されると、同社も団地内に拠点を移して、さらなる展開を進めることになっていった。


入社、そして意識改革

 そんな同社に夏目さんが入社したのは昭和52年7月のことである。大学を卒業後、大手コンピュータメーカーの営業として、当時のOA化のうねりの最前線にいた夏目さんだが、急遽呼び戻されることになったのである。
「その時は父親(故夏目幸一郎氏)が体調を崩していたということもありましたが、そもそも商店会連合会や商工会議所の仕事に全身を傾けていたんですね。だから、戻ってきて好きな様にやってみろと。こんなことでした。」
 社長室長の肩書きで戻り、経営内容を見てみると、累積赤字が膨らんでいた。外からみれば、販売促進ツールというフィールドで活躍している企業でも、内実は、累積する赤字、沈滞する社員の意識という問題を抱えていたのである。
「文字通り好きなようにやらせてもらいました。いわゆる同族色の強い老舗という風を排して、人事を若返らせたり、財務もキャッシュフロー重視のスタンスに切り換えたり。徹底してやりました。ある意味で、それまでまったく違う世界で学んでいたから良かったのかもしれないとも思います。」
 事業面では、強みである販売促進用ツールの企画・開発・制作・提供へと、さらに大きな意識改革を進めた。事業の中身も大きくシフトさせていったのである。


事業目的をいかに絞り込めるか

 現在同社では、長野市アークスの本社のほか、東京支社を持ち、多様化する社会のニーズに対応するべく、大手メーカー等との連携も強化しながら、お客さまサービスの向上に取り組んでいる。
 その一方では、異分野である衣料・繊維関連の製造メーカーなどを企業グループに加えており、近頃、中国上海地域での工場拠点を確保したところである。
 わが国の衣料製造は、国際競争力という面ではきわめて苦しい立場にある分野だ。ことに中小企業レベルでは、いかに中国との差別化を図れるかが、生き残りのポイントとすら目されている。そうした分野で、なおかつチャレンジをする意図とはなんだろうか。
「私たちは衣料品の製造工場を確保したわけですが、実際には製造機能というよりも、調達及び管理機能に主体をおいた『新しい形態のものづくり拠点』を目指しました。」
 つまり、ダイナミックな活力と成長性を持つ中国の生産力を活かしつつ、自らの拠点では管理機能に注力することで、タイムリーかつフレキシブルな生産体制を実現させていこうという狙いだ。
「中国進出に限りませんが、これからの事業展開においては、どれだけ目的を明確に絞り込むことができるかが重要であると思っています。とくに私たちのような中小企業にとっては、投下できる資源とその回収、さらにリスク予測も十分に踏まえて行動しなければならないわけですから。目的は限定させたほうがいいのです。」
 同社の中国拠点も、実際にはある日本企業との契約によって、その工場の一部を借りるという形をとっている。管理スタッフについても、その企業のサポートを通じて確保した。排除できるリスクは極力事前に排除しておくというわけである。


ニュービジネスモデルへの挑戦

 あえて中国においてはコストの高い上海地域を選んだ背景には、的確な情報とビジネスチャンスの獲得という狙いが込められているのは言うまでもない。
「これによって、私たちにとっては、単に一事業の生産拠点という以上に、商材集積の基地ができるわけです。」
 この商材集積機能を活用した事業展開の開拓にも着手している。
 これからの中小企業経営者の仕事というのは、自らに適したビジネスモデルをいかに見つけだすか、考え出すか。それが仕事なのではないかと夏目さんは語る。
「それは必ずしも目新しい技術とか、新しいシステムとかというわけではないのです。固有の技術や、積み上げてきたノウハウ、チャンネルというものがどう活かせるか、ということも一つはあるでしょう。あるいは、既存のニーズにまったく別の形で応えるということもあるでしょう。機能を強化させていくのか、あるいは業務の形態を変化させて行くのか。業態自身を変えてしまうのか。それは経営者自身が判断をして、決断を下していくことです。」
 夏目さんは、平成11年より協同組合長野アークスの理事長の任にある。「アークス創設から30年を経て、一つの世代交代期にかかった」という夏目さん。
「もう一度ふりかえってみる、自分や会社のふりかえりをしてみることも重要なのではないかと感じています」と締めくくった。



プロフィール
夏目潔さん
代表取締役社長
夏目潔
(なつめきよし)
中央会に期待すること

 これからの中小企業経営者に必要なことは、自らに適したビジネスモデルを見つけだすことです。しかし、それには情報が必要です。中小企業にとって最も弱いのがこの『情報力』です。そうした部分をしっかりとサポートしていただける取り組みを期待しています。

経歴 昭和26年、長野市生まれ。父は長野商店会連合会会長、長野商工会議所会頭として活躍した故夏目幸一郎氏。
明治学院大学法学部卒業後、日本ユニバック株式会社(現日本ユニシス)に入社。コンピュータ機器の営業に取り組む。
昭和52年7月、株式会社夏目に入社し、社長室長として経営に携わる。財務面では、いち早くキャッシュフロー重視のスタンスをとり、また沈滞していた人事面でも活性化を行うなど、社内の刷新に取り組んだ。事業分野では、販売促進関連全般にわたる用品等の企画・制作・販売への取り組みを強化させ、東京支社を表参道に移転するなど、さらに時代の先取りを図るべく、情報の収集にも取り組んでいる。また現在、衣料・繊維関連などに企業グループを形成しており、拠点の中国進出を進めるなど、多様化する社会のニーズに対応する展開を図っている。平成11年1月より、協同組合長野アークス理事長を務める。
趣味 好奇心が旺盛なのは、普段も一緒。旅行すること、食べること、とにかく能動的に動き回るのが趣味。
現職 協同組合長野アークス 理事長
学校法人平青学園 会長
家族構成 夫人、長男、長女、犬2匹



企業ガイド
株式会社夏目
設立 創業 明治初年
会社登記 昭和3年6月
資本金 1,300万円
代表者 代表取締役社長 夏目 潔
事業所 本社 長野県長野市大字川合新田字古屋敷北3.222-17(長野市アークス)
TEL.026-228-2621(代)
支社 東京都港区南青山
営業内容 販売促進用品・各種業務用品の企画・制作・販売
洋紙の卸/包装資材の販売/その他

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