干支特集 |
家畜としてのヒツジの起源
メエメエという独特の鳴き声と丸まった角、カラダにはモクモクとした独特な毛がいっぱい。といえば、ヒツジですね。 ヒツジは哺乳類偶蹄目ウシ科に属する動物。愛嬌のある細面のヒツジは、意外にも牛の仲間なのです。人間とヒツジとの共存の歴史は古く、中央アジアで牧羊が始まった紀元前6000年頃にさかのぼります。 刈り取った羊毛で毛織物を作ったのは紀元前2200年頃、メソポタミア南部のカルディア人が最初といわれ、その後、古代エジプトやギリシャ、ローマへと伝わりました。そして人間はより良質な羊毛を取るために、羊の品種改良に努力を重ねてきました。現在、羊の種類はなんと約3,000種。東南アジアをのぞく世界中で約12億頭が飼育され、北極近くの過酷な環境にも適応しています。 日本人にとってヒツジは、あまり身近な動物とはいえません。湿度の高い日本の気候がヒツジの牧畜に向いていなかったからです。にもかかわらず十二支のなかに登場したり、江戸時代には火消しの羽織に使われたりと、意外になじみのある動物でもあったのが不思議といえば不思議です。 めん羊の始まり 現在、アパレル用に最も使われている羊毛は、純白で縮れが多く細い「スペイン・メリノ」。それは12世紀の大スペイン帝国で生まれました。 スペインは、すぐれたヒツジの品種改良技術を持つローマと北アフリカの牧畜民族ムーアの支配が長く続き、そのおかげで良質のメリノ種羊の改良に成功したのです。メリノ種羊はスペイン大航海時代の礎となる莫大な富を築くこととなりました。 18世紀までヒツジは王様や貴族たちの大切な所有物であり、毛織物は庶民には高嶺の花。ところが18世紀にイギリスで起こった産業革命によって、羊毛工業は飛躍的発展をとげ、庶民にも普及していきました。 世界最大の羊毛生産国はオーストラリアですが、英国植民地だった1797年、英国陸軍大尉ジョン・マッカーサーが南アフリカからスペイン・メリノを8頭買い付けたことがそもそもの始まりといわれています。以来、オーストラリアで飼育されるヒツジの75%はメリノ種。ソフトでしなやかな純白のウールを世界に供給しています。 長野県「ヒツジ」産業はいかに ヒツジはウール以外にも、ジンギスカン料理をはじめとする食肉でもなじみが深い動物。海外では、ヒツジの肉をメインに食べている国も珍しくありません。 長野県でも、地域の味として積極的にPRしている信州新町の「ジンギスカン料理」が有名です。町内にはジンギスカン料理のお店が点在し、サフォーク(イギリス原産のヒツジ)の肉なども食べさせてくれます。 長野県の畜産業は牛、豚、鶏が主体ですが、めん羊も長野地域、下伊那地域などでわずかながら飼育されています(平成14年2月現在、畜産農家41戸で約700頭)。信州新町にみられるように、中山間地域の重要な特産品として生産・加工・販売の取り組みがなされ、自然と調和した産業として地域活性化の一翼を担っています。
|