特集1 経営セミナー 講演録
株式会社オーテック

株式会社オーテック 代表取締役社長 呉宮 仁鎬
株式会社オーテック
代表取締役社長
呉宮 仁鎬
 平成14年度長野県中小企業経営セミナーは「経営構造の変革の扉を開く」という時宜を経た内容で行われる。その第1講座がさる8月27日、株式会社オーテック代表取締役社長呉宮仁鎬氏を講師に迎えて開催された。
 呉宮仁鎬氏は昭和39年東大阪市生まれ。1991年に東大阪市で起業して以来、独自の経営戦略によって事業を展開。インターネット上で世界中のさまざまなメーカーをネットワークする「グローバル・バーチャル・メガファクトリー・ネットワーク」を構築。日本のモノづくりの将来を見据え、メガコンペティションに勝てる新しい市場づくりをめざす「メガへの挑戦」をキャッチフレーズに、着実に成果を上げつつある気鋭の経営トップである。
 当日の講演の内容を要約して紹介する。



小さな会社でも能動的かつ積極的に提案をしていけば市場が取れる。
 私は大阪の理工系大学を出てすぐ樹脂モデル加工、金型などの町工場に就職。バブル経済がはじけた1991年東大阪市にて、中古の卓上旋盤とボール盤を買って、樹脂の製作加工ビジネスをはじめました。それが私の事業の始まりです。
 下請けの下請けの、そのまた下請けの仕事を拾いながらビジネスを始めましたが、なかなか儲からない。2~3年たったら良くなるだろうと楽観論でいましたが、朝から晩まで働いて月の収入でせいぜい15万とか20万。93年にはもう事業を止めようと思いました。その時、本当に製造業はだめなのかと真剣に考え、どうせ止めるんだったら、生き残れるような製造業を思い切ってやってみようと初めてビジネスにおける人生計画(事業計画)を立てました。
 直接大手メーカーと取引出来るようなメーカーになろう、できれば世界中にモノを売りに行ける会社を作ろうと。そのためには、うちしかできないような開発、提案の出来る技術を持とう。歴史ある他の企業に勝つためには違うことを考えなければいけない。ただの職人として東大阪で生きていく人間としてでなく、企業として初めて考えたのが、95年11月に作ったオーテックです。
 それまでの2年間、私は大手に売り込みに行けば採用されるだろうテーマをたくさん作り、提案資料を100アイテム作りました。しかし当然、誰も話を聞いてくれません。いろんな営業スタイルを勉強するために近くの大手電機メーカーに行って、資材部門の商談室で待っている間、周囲の商談を耳にすることがあり、その中で企業のニーズを掴むヒントを得ることもありました。
 これは私がビジネスをやっていく上で大変重要な情報でもありました。
 こうして得た情報をメモして帰って提案用の模型をたくさん作り、それを話していた技術や資材の方に提案すると、「えっ、ちょうど欲しかったんや」。最初はなかなか買ってもらえなかったのですが、だんだん採用されるようになってきました。自分で設計し、協力会社に製造をお願いしなからどんどん受注し、1年目で何とか1億3千万くらいの商いになり、2期目5億、3期目9億と、一気に事業が伸びてきました。

モノづくりではなく、「マーケット」を作ることへの衝動。
 しかし、95年から2000年の5年間で、私は技術やモノを作るということを捨てる決心も同時につけました。業績が伸びたこの5年間は同時に、いくら良いものを作っても、そんなに簡単に受け入れてもらえない。市場ニーズに対応できる価格かどうかのハードルを超えても、量産体制に対応できなかったら、私達が提案したものにも関わらず余所にそれを作らせる。発想は非常に喜ばれたけど簡単にマネされるんだ、ということを、学んだ5年間でもあったのです。
 要するに、これからの時代はモノを作る価値がどんどん下がっていく。世界の工業部品の生産量はこれからも上がっていくと思いますが、コストが下がって自分たちが作ったものの価値がなくなったら、もはや事業としてはやっていけない。その時、モノづくりではなく、マーケット(市場)を作ること。それが非常に強烈な衝動となって自分の中に入ってきたのです。
 売り上げも伸び、新しい設備投資もできて順風満帆にみえましたが、実は非常に脆い。他よりも先に提案してマーケットを作っていくことにあまりに執着し、5年間で次から次へと設備投資したところが、その事業だけ見たら非常にマージン率は高いんですが、全体をとらえたらまったく儲かってない。しかも借金は膨らんでいく。4期目に入った時、事業はストップと思いました。これ以上やったら大変なことになると。
 ちょうどこの時期、私はリチウム二次バッテリーのポリカーボネイトの材料の薄肉成形化に成功し、リチウム二次業界にたくさんの金型と量産品を提供することができました。しかし、あっという間に追いつかれた。ニーズを掴んで提案したら市場は取れるけれども、あっという間になくなっちゃう。こんなことは繰り返していけない。その時に思ったのがスピードです。たとえ良いものを作っても、1年半かけてやっと採用になる頃にはもう1年半前のニーズになっている。必要がなくなってるものも沢山出てきます。そういうものを開発するのは非常にリスクなので、すぐに市場に出せるような仕組みをつくり出そうと思いました。

グローバル・バーチャル・メガファクトリー・ネットワーク。
 ちょうど会社を設立した95年頃から、新聞にその言葉が載らない日はないくらい「IT」が騒がれましたが、我が社のIT革命は大成功だったと思います。それは非常に大きな武器でした。98年にはこれを上手く徹底的に使ってマーケット戦略をしようと考えました。
 私は20人ぐらいの社員全員にパソコン持たせ、先ずインターネットで日本中のお客さんのサイトを調べて、メールで自分たちの提案をしました。月に1000件。当時は大手企業の部長クラスの人でさえ喜んで返事を書いてくれ、「こういう研究テーマでやってるから是非来てくれ」とニーズがどんどん集まるようになりました。そして1年くらい経ったある日、今まで顔を見たことも取引をしたこともない大手の工場から「発注します」というメールが飛び込んできた。試作品100個、1ヶ月以内に送ってくれたらいい、と。実際にものを送って評価され、試作型だけでそのお客さんから1年間で十数件受注できました。
 これを使えば、アイデアナイズされたものが瞬間的にショートカットされて市場に提案できる。そんな世界が10年後にでき上がるなと思いました。2008年、2015年くらいには、できたものをすぐに吸い上げる市場になる。これは大変なことが起こるなと思いました。ITが使いこなせるトップの世代に変わるのにあと10年、15年かかる。その間にこのマーケットで強くなっておく必要があると感じました。
 そして気がついてみたら、提案レベル、技術レベルで九州や北海道のお客さんとコンタクトを取れるようになっていた。その時の私の衝動がマーケットを作ることだったんです。ITは物は運んでくれませんが、市場に近いところにいて、作ったものをすぐ提案できる。考えたこと、感じてることがお客さんにすぐ伝えられる。
 現在、大手メーカーのバイヤーのメールのデータベースを持ち、提案メールを瞬時に全員に送れるシステムになっています。これが今のオーテックの武器。当社に取引口座を開設して頂いたお客さんは、この2年間で15倍くらいに増えました。事業所だけで百数十社、工場ベースでいくと300事業所。それが私達がこの2年間進めてきた、インターネットによる「グローバル・バーチャル・メガファクトリー・ネットワーク」で構築されてきたお客さんの数です。
 私達は今、世界のサプライヤーの企業データベースを7000社持っています。あまり日本にこだわっていません。金型と樹脂の量産に特化した分野で110社のパートナー企業と連携を取り、品質保証体制もデジタル情報の交換も、一つの会社のようにオンライン上で戦略をとっています。メーカーのメールアドレスのデータは4000社超。私はそれ自体をお客さんに売りに行っています。

フリーでスピードの速い、強いメーカーが評価される市場に。
 2000年には「ミレニアムトレード」という会社を作り、インターネット上で世界中のあらゆるメーカーを登録させるポータルサイトを作りました。今は日本・中国・台湾・韓国・シンガポール・マレーシア・タイ・インドネシア・アメリカ・ヨーロッパのいろんなメーカーの情報を集めています。これ自体で商売するのではなく、10年、15年後のための仕掛けをしているのです。企業からの提案とか、お客さんからの発注情報などをこのオープンサイトで情報発信しています。
 3月には初めて月間30億円の発注案件をいただけるようになりました。金型と樹脂の量産品に限って受注。それ以外はお客さんから事前にお金をもらって斡旋、もしくはオンライン上でのフリートレーディングです。
 当然、次の戦略はこのシステムを欧米のメーカーに売り込むこと。私達はまだまだ投資をし、パートナーを見つけ、世界のカスタマーをここに集合させなければいけません。これが私が5年間製造業をやりながら、時代を見て大きく切り替えた2000年からの事業です。5年後、フリーでスピードの速い、強いメーカーが評価される市場を作り上げたい。オーテックもその競争の中に入っていきたいと思います。
 なぜ他の企業を含めた連合体にしようと思ったか。そのキーワードは「束ねる」ということ。今、製造業はあらゆる所に生産拠点を持って行ってますが、お客さんはやっぱり近いところから買いたいんです。そういうお客さんから沢山のニーズをもらうためには、世界中のいろんな場所に工場がなければいけない。でも、私には持てません。ですから、他の企業さん達と一緒に市場を運営し、カスタマーからのニーズを引っ張ってきて、簡単に売り込める仕掛けを作ろうと。それが私の発想。不特定多数の沢山のお客さんの情報を持ち、正式にお客さんと契約を結んで、いろんなルートで商取引ができているのは、日本では当社だけです。
 昨年12月にはオーテックとミレニアムトレードが合併し、3つの事業の柱を持ちました。ひとつは「グローバルエリア・トレーディング」。これは実際にオンラインだけでは商売がなかなか成立しないので、特に海外の企業に関して仲介をします。各地にトレードセンターを置き、あらゆるお客さんからの情報、発注情報に対応しています。もうひとつは「グローバル・オンライン・トレーディング」。そして、実際にモノづくりができる機能として「グローバル・リアル・ファブリケーション」。この3つの事業を組み合わせたビジネスモデルに変換しています。

日本の製造業は中国とは違うところで勝たなければいけない。
  最近よく学生達がアメリカの大学でMBAを学んできたとかいいます。しかし過去の成功事例をケーススタディで学んできただけですから、こんなものはこれからの時代に通用しない。これからは過去の成功事例を持っている人が失敗する。過去に成功体験を持っている人が進化できない。これが私の持論です。過去の成功事例を持っている人ほど、それを早く捨てる勇気を持たないといけないと思います。
 私達の会社のスローガンは「メガへの挑戦」。それは「超える」という意味と「チャレンジ」という2つの意味を込めています。メガというのは、これからはメガ・コンペティションの時代、国際大競争社会に入ったんだということ。あらゆる業界でいろんな再編が行われていますが、とっても大きな企業か、とっても小さな組織が国際大競争に勝てる。世界を相手にビジネスをするか、ある特定の地域に特化するか、これが次の時代のキーワードです。
 私達の会社は世界を相手にします。そして、小さな会社が集合体になって大きなマーケットにチャレンジしようというのが私達のキャッチフレーズです。
 100年先、工業はもう農業と同じように生産量は上がってるけど、付加価値はなくなっている。日本ではアイディアとか開発の分野で生きていく企業でないとだめ。この5年、10年先でも非常に苦しくなっていくのではないかと思います。
 日本に残るモノづくりは1億2千万人の市場に近い部分のアセンブリまでできる企業、世界のマーケットに打って出られる自社製品を持っている企業、世界から受注できる加工技術を持っている企業、そして世界で短期間に物を売り込める企業だと思います。
 これからは加工技術のエンジニアでなく、設計とか開発技術のエンジニアを残す努力をしなければいけないと常に思います。特に中国と比較したとき、一番弱いのは人件費の安さではなく、優秀な若い人材が入ってこないこと。そして日本の社会のインフラが高いこと。しかし、政治の保護を待っているようでは生き残れません。
 日本では量産加工はできないと思います。間違いなく勝てない。中国の人件費がいつか上がるというのも嘘で、あそこに世界中のマーケットが行っちゃったんですから。私達に残るのは、日本の市場に対応するクイックデリバリーのできる生産体制。つまり、最終組み立てまでできる体制、研究開発・開発部門、アイデアライズされるような自社製品を持ったモノづくりだけ。日本の製造業は中国とは違うところで勝たなければいけないと思います。


 講演の後に質疑応答が行われた。
Q1 「オープンサイトでフリートレードやっておられる時に、どういうところで利益が出るとお考えなのか」
A1 「収益モデルについては企業秘密だが、簡単に言うと、お客さんからお金が取れる。成約案件がうまくいけばいくほど、予算を預けてくれる」
Q2 「パートナー契約の信頼関係や取引資格基準は」
A2 「現在、パートナー契約は120社。私達が仲介して発注するという下請けのようなもの。クオリティ、コスト、デリバリー、エコロジー、IT、セーフティ、プレゼンテーション能力、テクノロジーの評価を、自己診断シートによってお願いしている」
Q3 「斡旋などをする場合のフェイス・トゥ・フェイスの関係の急所はどこにあるのか」
A3 「インターネットを使ってできるのは出会いの時間を短縮することで、発注や打ち合わせはフェイス・トゥ・フェイスでないと難しい。当社は各地のエリアトレーダーにそれを代行させ、120社の情報を売り込んでいる。それが非常に効率的」

最後に非常に厳しい助言をいただき、平成14年度経営セミナーの第1講座は終了した。


●カリキュラム
開催月 テーマ 講  師 開催場所 会場(見学先)
10月 顧客ニーズにマッチした
差別化商品の開発
ダイキン工業(株)
境製作所金岡工場 
担当者様
大阪 平成14年10月29日(火)午後1時30分~
堺市金岡町
ダイキン工業株式会社
堺製作所金岡工場
成熟した市場で
競争力を発揮
ダイキン工業(株)
滋賀製作所 
担当者様
滋賀 平成14年10月30日(水)午前9時~
草津市岡本町大谷
ダイキン工業株式会社
滋賀製作所
11月 新技術特許数十件、
宇宙開発事業団も認める
ナノテクノロジー
(株)クラスターテクノロジー
代表取締役 
安達 稔 様
大阪 平成14年11月20日(水)
午後1時30分~
東大坂市渋川町
クラスターテクノロジー株式会社
本社・工場
薄板金属加工の
コンビニを宣言
最上インクス(株)
代表取締役 
鈴木 三朗 様
京都 平成14年11月21日(木)
京都市右京区西院
最上インクス株式会社
本社・工場
1月 未  定
2月 ハイテク技術を陰で
支える宝石加工
オグラ宝石精機工業(株)
常務取締役 
小倉 教太郎 様
埼玉 行田市若小玉
オグラ宝石精機工業株式会社
埼玉工場
※上記研修先には内諾をいただいておりますが、状況により変更となる可能性がありますので予めご了承下さい。


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