株式会社ミツルヤ製作所 代表取締役会長 小林一茂さん |
大阪花博で注目された木の造形。 1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」。この『花博』会場のなかでも、ひと際注目されたものの一つが、信州のコーナーでした。背景にアルプスと花々をあしらった木壁画を配し、緑と花が彩られた自然の庭。木製ベンチが置かれていることもあり、腰を下ろしてくつろいだり、記念写真を撮る人々が絶えないほどだったと言われます。その作品「信州奏鳴曲」は特別賞を受賞しました。 さらに見学に訪れた各界の関係者にも強い印象を与え、以降、この作品が提示したうるおいと安らぎにあふれた空間デザインのあり方が、大きな影響を与えていくことになります。ことに長野県内では、文化施設や学校、病院、健康保険施設などの公的施設において、木のぬくもりを活かした空間造形が次々に採用されていきます。 信州らしい素材と技術で表現できないものか。 この花博の空間造形に深く携わったのが、株式会社ミツルヤ製作所の会長を務める小林一茂さん。 「ちょうど時期的にも、環境と社会のあり方に関心が高まりつつあったというともありますが、この機会に信州らしいイメージを、信州らしい素材と技術で表現できないものかと考えたんですよ。それで松本木工団地事業協同組合として、どれだけのことができるかやってみようと、取り組みました。」 それが、ステージを彩った木壁画とベンチ。県工業試験場の協力も得て、単なる工芸でも、アートでもない空間造形としての作品づくりへと結実させていきました。 ニーズに合わせた空間造形。 この作品製作を通じて構築した技術とノウハウをもとに、小林さんたちのもとからは、数々の新しい空間デザインが生み出され、県内各地の施設に飾ってあります。例えば、長野県立松本文化会館のロビーを彩る巨大な木壁画「アルプスシンフォニー」。木地色をそのまま活かして描き出されたアルプスの風景は、不思議な温かみを漂わせています。使用された自然木の種類は50以上。熟達した職人の技が隅々に活かされています。 学校や病院、健康保険施設、ホテル、オフィスビルなど、様々な空間に、それぞれのニーズに合わせた空間造形が送り出されています。 「こうした仕事は、もちろんお施主との共同作業で生み出される物です。しかし、空間は生き物です。素材となる木も生き物です。一通りの技術があればできるといった性質のものではないんですよ。」 座繰製糸器をルーツに始まったミツルヤの歩み。 もともとミツルヤの歴史は、座繰製糸器に始まっています。かつて日本の近代化を支えた製糸業。生糸を手繰り出すために用いられる座繰製糸器は養蚕農家の必需品でした。 「精巧な歯車一つまで、すべて木でできているんですよ。軽くて、自由自在に扱えて、しかも何年も持つ。こういうきめの細かい技術は、当時の日本人の特徴です。それはもう木を知りつくした技であり、暮らしに根ざした知恵だったといえるんじゃないでしょうか。」と小林さんは語ります。 『流行に敏感であることはもちろん大切です。でも基本からはずれてはならない。経営には不易が貫かれていなければ。』 ミツルヤ初代の小林三男人氏が檜材で製作した座繰製糸器は、明治43年の群馬の共進会では銅賞に、さらに東京で開かれた大正博覧会では褒賞に輝き、時の天皇皇后両陛下から御親筆を賜る栄に浴しています。 その木工の技は、二代正直氏へと受け継がれ、手押し鉋や自動鉋、座椅子など、さまざまな木工品にも及んでいったのです。 得意技術を活かして新分野開拓へ。 戦後の製糸業不況と共に業態の転換を迫られた時のこと。三代目となる小林さんが打ち出したのがステンレス流し台でした。昭和33年のことです。 「木工と金属加工、組立の技術はすでにあるわけです。その得意技術を活かすためにどうするか、ということですね。ただいわゆる量産品は私たちに向いていない。また競合性をみても難しいだろう。そうしたことで、いまでいうオーダーメイドのシステムキッチンを指向したわけなんです。」 キッチンの造りや、お客さまの要望に合わせて、一つひとつコーディネートし、設計・製作していく。お客さまの大半は、業務用途に限られましたが、高い評価と支持を獲得しました。 「まあ、いま考えると、時代が早過ぎたかなぁと思います。しかし、私たちらしい生き方でした。企業経営にとって、あれが流行っているからすぐ飛び付け、というのとは違うと思うのです。流行に敏感であることはもちろん大切です。でも基本からはずれてはならない。経営には不易が貫かれていなければ。」 『不易』を活かせ。 小林さんが語る『不易』とは、企業の本質にあるもの。あらゆる事業展開の根にあって、基盤となっている要素のことです。 「不易なるもの。私たちにとってそれは技術ですよ。三代100年をかけて貯え、築き上げてきた技術のストック。これはもう、急にこうしろ、やってみろと言っても出来るものではないのです。表面の技術は真似できても、ノウハウや文化の厚みは真似できないのですから。」 そうした『不易』である木の技術を活かす道。それが、「人のあたたかさと、木のぬくもりをテーマに快適化産業をめざす」という、ミツルヤグループの事業展開に結びつきます。 現在、同グループは、インテリアを始めとする空間造形の設計・施工を一貫して手掛ける株式会社ミツルヤ製作所と、住まいのヒューマンインテリアを提案する株式会社ミツルヤ家具センターにより構成されています。 ミツルヤ製作所では、グループ創業以来の木工技術の伝統を受け継ぎながら、時代のニーズをいち早く捉え、トータルな空間造形へのアプローチを続けています。 チャレンジする心を持って取り組めばできる、という自信。 例えばその技術力は、ダム発電施設の内装設備といった意外な分野にも及んでいます。 「今でも忘れませんが、梓川ダムの発電施設にアーチ型の欄干を施工したんですよ。当時は経験がなかったものですから、無理だったら専門業者に任せようかという話もあったほどです。しかし、担当したゼネコンの技術者と検討し、勉強もしながら、とうとう実現させた。たいへん喜ばれましたが、私たちにとっても大きな財産になりました。つまり、根幹にある技術を活かしながら、チャレンジする心を持って取り組めばできる、という自信です。」 変わらならないものと、変えてはならないもの。 そして今、冒頭にも記したように、ミツルヤの提案するうろおいと安らぎのある空間造形が、広く地域社会に浸透してきています。四賀村の中学校のプロジェクトでは、同村出身の芸術大学の先生とのコラボレーションでの作品づくりも実現させました。 世の中の流れが、大量生産・大量消費型社会から資源循環型社会へと大きく切り替わってきている現在、ミツルヤの指向している、建物という環境全体をトータルに捉えた空間造形へのアプローチは、大きく注目を浴びています。 固有の技術基盤を持つ地域企業が、この激変の時代をどのように生きていくか。小林さんはこのように語ります。 「自らの不易なるものに則して、しかも常にチャレンジをしていく。これに尽きるのではないでしょうか。時代は大きく変わっていきますし、企業も変わらなければなりませんが、変えてはならないものもあるのだと、私は思っています。」 |
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