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山谷運輸株式会社/阿南自動車株式会社 代表取締役 山谷清廣さん |
高速交通時代を予見して6,000坪の用地を確保し移転。 諏訪実業高等学校卒業後、運送会社での勤務を経て、山谷さんが独立したのは昭和37年のことでした。レンタカー事業の諏訪ドライブクラブ(現・有限会社諏訪レンタリース)、一般貨物自動車運送の山谷運送(現・山谷運輸株式会社)を相次いで設立し、運送事業に取り組みました。 中央自動車道の建設がようやく話題になりだした昭和40年のある日、地元紙に目を通していた山谷さんは、中央道建設計画の記事に目をひかれます。そこに掲載されていたのは、現在の諏訪ICを中心とする路線計画でした。当時は、諏訪市四賀地籍の会社の敷地が、事業の順調な拡大にともなって手狭となっていた時期。新たな用地の確保が課題となっていた時でした。 そこで、諏訪IC周辺地域への移転を決断。現在のアクセス道路沿いに6,000坪の用地を確保し、関連会社も含めた事業拠点としたのです。これは、経営における大きな転換点となりました。 「当時は見渡す限り田んぼという感じでした。今日の様になるとは想像もできなかった。ただ、かつてアメリカ視察に行った折に、高速交通網を活かした物流システムの発展ぶりを見せつけられまして、いずれ日本もこうなっていくであろうと、痛切に感じさせられていた。それで決断したんです。」 この決断はやがて、高速交通網時代の到来とともに、諏訪IC周辺が信州における地域物流拠点としての役割を担うこととなって結実します。 コストと時間を効率化するシステム輸送という発想。 ![]() 社会の成熟化と共に消費者ニーズが大きく様変わりすると、メーカーや商社は多様なニーズに合わせた多彩な商品アイテムを整備し、それらを迅速かつタイムリーに販売店に供給する必要に迫られました。販売店ごとの受発注情報に応じて、品揃えを行い、梱包等の物流加工をして、ジャストインタイムで各地の販売店へ配送する。それは、メーカーや商社単独で行うには、あまりにも多くの投資を必要とする取り組みです。 「そこで私共のような地域の運送業者が、ただ運ぶだけでなく、システムとして物流機能を提供しましょう、ということになってきたわけです。」 得意先でのコストと時間を効率化するために機能する、運送事業という新しいビジネススタイルがこうして確立されていきました。 「運ぶ」のではなく、お客さまに物流センター機能を提供する。 ![]() それはまさに、注文のままに専用トラックで一軒一軒配っていた時代から、地域物流の中枢を担うビジネスへの劇的変化と言えるものでした。 また長野県生協の商品流通では、検品から流通加工、配送までを一貫して行うなど、従来の「物流」という概念を越えた高付加価値機能も提供しています。 協同組合として取り組んだ、内陸税関(インランド・デポ)の活用研究。 しかし平成に入ると、わが国の経済活動が低迷する中で、物流量も減少を続けます。 「諏訪地域でも製造業の海外流出が相次いで、国内の空洞化ということが起きてくる。一方では国内の消費も低迷しているから、ますます物流量が減少している。では、われわれはこれからどういう方向で生き残っていけばいいのか、ということですね。」 その解決策を探る中で、協同組合の取り組みとして、諏訪にある内陸税関(インランド・デポ)の活用について研究を行いました。この研究は、平成5年度の中小企業団体中央会の補助事業として行われ、輸出入業務とこれをとりまく物流に関して、さまざまなノウハウを獲得することにつながりました。 「もちろんノウハウを得た程度では、地方の業者が全国レベルの専門業者に太刀打ちできるわけはないんですよ。でも、従来にはない視野から物流というもののあり方を見つめることができたという点では貴重な経験でした。」 中国滞在延べ400日。 そのなかで見えてきたこと。 山谷さんの眼はお隣りの中国へと向かうようになります。 「もともと当社では、昭和63年から中国人研修生の受け入れを行ってきている経緯がありました。私自身、もうかれこれ70回近くも中国を訪れているでしょうか。見聞も交流もずいぶん深めてきました。」 滞在日数にすれば延べ400日。当初こそ研修生受け入れの打ち合わせや懇談が目的だったのですが、「それだけではいけない」と一念発起。大陸各地を見て歩くようになります。 「中国の方々のバイタリティや勤勉さにはいつも感心させられます。それに産業発展の勢いの目覚ましいことも驚きでした。これからの日本はこの中国をはじめとする海外の人々と密接な関わりを持っていかなければ生き残っていけないと考えるようになりましたね。」 これだけ関わりが深まっている中国と日本の間を、物流で結ぶことができないか。そんな発想が山谷さんの頭に浮かびます。 物流の新たな可能性を追求する 新事業への展開。 「私共には、地域物流のなかで、お客さまのニーズにきめ細かく応えるシステムをつくり出してきている。これだけは他に負けないという自信がある。これを活かそうということです。」 いわば中国と日本を結んだシステム輸送(輸入)の実現です。このため山谷さんは、日本の商社と中国現地の運輸会社と合弁し、中国生産品の日本市場への配送業務を新たな事業として立ち上げるべく取り組みを進めています。 生産品の検品-流通加工を現地化することによって、輸入にまつわるリードタイムとコストも大幅に短縮するだけでなく、不良品リスクも回避する。国境を越えた新システム輸送事業は、本年8月のスタートを予定しています。 「ですから私も当分は、中国へ行ったり来たりということになりますが、なんとしても成功させたいと思っています。」 人のつながりこそが財産です。 わが国の物流をめぐっては、環境対策の推進や交通安全対策に伴う投資など、まだまだ多くの経営課題が立ちはだかっています。しかし困難だからといって手をこまねいているのではなく、何かを始めることが大切だと山谷さんは言います。 「時代は変化のスピードをますます上げているのですから、できることからどんどん取り組むべきです。その時に何より役立つのは、人の輪、人脈です。社内社外に限らず、人のつながりが企業にとってはいちばんの財産だと痛感しています。」 新規事業の展開も、70回に及ぶ中国訪問や留学生受け入れを通じて自然と培われてきた厚い人の絆が実現させつつあるもの。舞台は信州から世界へ。物流の新たな可能性を追求し続けている山谷さんです。
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