2.飯田水引の歴史

和紙の原料のコウゾやミツマタ等が豊富だったこと、さらに天竜川の清流や風越山のふもとから豊富に湧き出るきれいな水に恵まれていたこと、そして交通の要所であったこと等好条件に恵まれたため、水引作りが盛んになった。当時は、髷を結うための元結作りが盛んであり、水引作りは副業と見られていたが、明治の断髪令により、髷を結う人が少なくなり、元結の需要は激減し、代わって水引作りが主流になった。

3.組合の沿革

水引、元結の同業者が集まり組織化されたのは明治44年の「下伊那元結同業組合」に始まる。
その後、昭和14年に「飯田水引金封販売組合」となり、昭和34年に一部の組合員により「飯田水引祝儀用紙製品協同組合」がつくられ、約30年にわたりこの2つの組合が活動してきたが、類似した事業が多く、組合を一本化するため昭和63年3月に合併し、現在の組合になった。

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